何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

このところyoutubeのオススメ画面に

よく出てくるのが大映の「座頭市シリーズ」。

 

このシリーズは大好きで、ほとんど見ていると思うのだが、内容はほとんど忘れていて、今見ても面白い。(笑)

 

そのなかでもわたしが中学生だったころ田舎の映画館で見たものはなつかしさとも相まって格別だった。

 

この二作品。

 

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座頭市の歌が聞こえる」       と、     「座頭市海を渡る」 

だ。

 

当時は、「あー、面白かったー」と、その面白さ、痛快さに酔いしれていただけなのだが、それから半世紀以上経(た)ったいま見ると、また別の感慨がある。

 

座頭市の歌が聞こえる」では、座頭市の強さにあこがれる子どもに座頭市が、「大きくなっても盲人をバカにするような人間になってはいけないよ。」

と語りかける場面があって、

ああ、そういうテーマもあったんだ。と気づかされた。

 

ここらへんが子ども(中学生)と大人の違いかな?

 

もっとも大人でもそういうことに気づかない人もいるだろう。

 

いまネットで猖獗(しょうけつ)をきわめるネトウヨなんて人たちはおそらくそういう人で、ひょっとしたら中学生以下・・・いや、小学生以下かもしれない。(笑)

 

もうひとつの「座頭市海を渡る」は、村を支配して利益を貪(むさぼ)ろうとするならずもの集団が座頭市を邪魔者として襲うのだけど、

村人たちはならず者たちに抵抗する気持ちも無く、閉じこもる。

それを、お吉(安田道代さん)が「市」を助けてくれ(いっしょに闘ってくれ)と家々の戸を叩いてまわるシーンが、何といっても圧巻だった。

 

中学生だったわたしはこのシーンをどう感じていたのだろうか?

 

いまから振り返ると、そう、

この作品が公開された1966年は「成田闘争」が始まった年だった。

 

ひょっとしたら、この作品で後年勝新太郎さんが警察ににらまれることになったのかな?

なんて、少し思ったのだけど、

さすがにそれはないだろう。(笑)

 

成田闘争」ということで言うと、わたしの大学生時代には相当激しくやられていて、わたしは成田にこそ行かなかったものの、自分たちの土地を追われる農民側にシンパシーを抱いていた。

 

あのころ、森田健作鈴木英治)が成田闘争に関して、しきりに「機動隊ガンバレ」というようなイベントをやっていて、「いいかげんいしろよ~」と思っていたものだった。

 

しかし、それから55年。

超一流俳優であった勝新太郎の晩年が不遇であり、

(わたし的には)なにがいいのかさっぱりわからなかった二流どころの(?)テレビタレントだった森田健作はこのあいだまで千葉県知事をやって権勢を誇った、

という結末を見ると、

さすがに嘆息せざるを得ない。

 

森田健作の後ろにはおそらく警察権力とそれにつながる政治家がいただろう。

 

いまは当時とも比較にならないほどの警察国家だ。

 

そして、ならずもの、といえば、自民党公明党政権が続いていて、その中心メンバーである世襲政治家の横暴ともいえる無法政治が当然のことのようにまかり通っている。

 

いま、「差別用語」を口実にほとんど見られなくなっている座頭市だけど、

もう一作、

座頭市の嘆きが聞こえる」という映画を作ってもらえないだろうか?

 

もちろん、主演にはあの世から勝新太郎さんを呼んで。(笑)

 

もう、そういう映画がこの国で撮られることはないだろう、というということだ。

 

絶望世界でのわたしの妄想映画としてならありうるかな?(笑)

 

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わたしのこのブログを見ている人はほとんどいないだろうし、このyoutube動画もすぐに消されるだろうけど、

よろしかったら見てください。(笑)

 

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