何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

日記のほうが思い出話になっているので、

一時こちらで日常の「日記」(笑)

 

今日の夕方、突然の雷雨。

 

降りこめられてスーパーの軒下で空を見上げながらぼんやりしていると、ひとりの青年が近寄ってきて、

 

「雨が止(や)むのを待っているんですか?」

 

「はァ」と気の無い返事をすると、

 

「これを使ってください。」

と、自分がさしている傘を差しだした。

 

「い、いや、だいじょうぶですから」

遠慮したのだけれど、

 

「私はこのすぐ近くに住んでいますので。」

 

と元気に言われて、思わず受け取ってしまった。

 

それでも「いやー」とお返ししようとすると、

 

「杖をついておられるので・・・。大変でしょう。」

 

そういうと、雨の中を駆けて近くの建物の中へ入って行った。

 

せっかくの親切を無碍(むげ)にしては、とありがたく傘をさして家まで帰ったが、

 

うーん。

最近の若い人がどうとかこうとかいうけど、こんな親切というか、心配りのできる人もけっこういるんだよなあ。

 

ところで、杖をついていたのは、また軽く?痛風が出ているかな?という状態になっていたから。

 

痛風がでているときのわたしは、どうも相当アワレな様子に見えるらしい。(トホホ・・・)

 

そういうとき日本人のやさしさというか親切に気づかされることが多い。

 

2,3年前も、やはり痛風で杖をつきながら重い荷物を負って駅の階段をぼちぼち降りていると、後ろから一人の男性がついてくる。

 

(なんだよ、はやく追い越してくれよー)

なんて思っていると、

横にスッときて、

「あの、(階段を下りるのを)お手伝いしましょうか?」

と声をかけてくれた。

 

「い、いや大丈夫です」

 

そのときは丁寧にお断りしたのだが、

その時の人(30代~40代くらいのサラリーマン風の人だったかな?)の親切というか他者への思いやりの気持ちにも心が打たれたものだった。

 

そんなことがあると、それまですぐれなかった気分も、一気に晴れる。

 

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いまの日本も捨てたものではない。

 

痛風も「かすった」感じで、大丈夫のようだ。

 

ひとつの言葉、ひとつの行為のおかげでその日の気持ちががらりと変わってしまう。

こういう経験をさせてもらえるだけでもありがたい。

 

痛風も悪いものではない?) ← 絶対にそれはない。(^^;)

 

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実はわたしは若いころは他者からの親切、助けを断る傾向が強かったのですが、最近は邪心なき親切、助けはこちらも邪心なく受けるということにしています。

 

そして、他者からの親切に対しては、負担に思ったり過剰に感謝することもなく、ただ、ありがたく受ける。

 

わたしがそういう態度というか心境に変わったのは、歴史の関係で行基のことを調べたときからなんですね。

 

行基は7世紀後半から8世紀の前半を生きた人で、ずっと国から弾圧されていたのですが、聖武天皇の時にその活動が認められて日本で最初の大僧正になった人です。(国から弾圧されていたときには小僧行基と呼ばれていました。)

 

行基とその信仰集団は民衆救済に尽力したのですが、自己犠牲的とさえ見えるその行為、行動には「福田」(ふくでん)という考えがあったようです。

 

福田とは他者からの助けを必要としている人たちのことです。

 

行基はそれらの、今でいえば弱者を豊かな稲を実らせる田と見ました。

 

つまり、助けを必要としている人々は、自分たちが功徳を積み育てることのできる田んぼだということ。

 

この考え方を知ってから、わたしもちょっと態度を改めた、というわけなんです。

 

まあ、若いころから奉仕活動などとは無縁な環境で生きてきて、他者や社会ののためになることをやった記憶はあまりなく、そのまま年を食っちゃって、もうたいしたこともできないかなー、なんて思っているような人間なのですが、

せめて立派な人たちの邪心なき行為、行動はありがたく受け取るようにしたい(←うーん(笑))

 

わたしのような、なかなか救いがたい人間は相当スゴイ福田(ふくでん)かもなー。

 

なんて。(笑)

 

ま、それは冗談???にしても、(コホン・・・)

 

邪心なき親切を邪心無き気持ちでありがたく受け取る、というのは悪いものではないですね。

 

もちろん、邪心や思惑のある悪人もまれにはいるので、その点は要注意ですが、(←これが問題なんですよねえ。)

 

電車の中で席をゆずってくれたりする行為には過剰に遠慮したりせず、ありがたければ、素直に親切を受ける、ということでいいのではないでしょうか?

 

行基行基集団についてはまた別の方向から書いてみたいと思っています。