文字通り、わが身を捧げてきた中村哲医師が、移動中に襲われ死亡されました。
たぶん、中村医師の行為のその動機は、目の前の困った人たちを何とか救いたい、ということだったと思うのですが、
この人の活動を見るたびに、わたしなど何百年たっても真似ができそうにないな、と、その精神と能力の高さにただただ畏敬(いけい)の念を覚えるばかりでした。
そんな人を計画をもって殺せる者がいたことに、驚きます。
これはもう、人間の所業(しょぎょう)ではない。
悪魔はたしかに存在するな、と改めて確信した次第です。
中村哲医師はその悪魔の対極、神の側にいて、しかも高い能力を与えられた神の使徒ともいうべき存在ではなかったでしょうか?
人間の心も魂も悪魔に売り渡した悪魔の手先によって理不尽な死を遂げたことが、そのことを証明していると思います。
中村哲医師はキリスト教徒(プロテスタント)だったということですが、イスラム教を信じる人たちのためにイスラム教の施設も作っていました。
中村医師の行為は、もしいま生きていれば、イエス・キリストだけでなく、イスラム教の開祖、ムハンマドも高く評価したことでしょう。
(いちおう、わたしはコーランを読んでいまして、
ムハンマドがイエスキリストは偉大な予言者として認め、ユダヤ教に対してもユダヤ教徒の信仰が足りないことを批判するだけ、というくらいに柔軟であることを知っていますので。)
仏教でいえば、中村医師に近い活動をした人は日本の行基(ぎょうき)です。行基はそのあとに菩薩(ぼさつ)をつけて行基菩薩と呼ばれます。
その後継者として、その行為により中村哲菩薩と言ってもいいかもしれない。
したがって、中村医師を殺害した連中、勢力が、キリスト教にも、イスラム教にも、」仏教にも属しているものでないことが推測されるのです。
・・・悪魔。
ですね。
では、悪魔とは何か?
それは徹底したエゴイズムのことではないか?
と、わたしは最近考えるようになりました。
たとえば、人間や動物、あるいは植物も殺すウィルスなどの病原菌。
これも、その存在が宿主?のことなど考えない生命を破壊するエゴイズムを徹底することによって、悪魔として人間や動物、植物を苦しめ、殺すのではないでしょうか?
菌でも善玉菌と悪玉菌がいます。
そして、人間界を見ると、
大昔も、現代も、「悪しき金持ち」というのが悪魔の比喩(ひゆ)であったことがわかるのです。
ちょっと飛躍するようですが、徹底したエゴイズムによってどこまでもカネを儲けようとする、他者(弱者、貧者、労働者など)を顧(かえり)みることのない、「悪しき金持ち」こそが、人類を破壊、絶滅に追い込む悪魔ではないか、と思っているのです。
ひたすら、目の前の困った人たちのためにわが身を犠牲にして活動していた中村哲医師を殺したのも、そういった悪魔(エゴイズム)と、それに心も魂もゆずり渡した悪魔の手下たちなのではないでしょうか?
いくら「宗教」を偽装しようと、ほんとうの宗教心のかけらもない、人間の心を持たない連中であることは明らかなのです。
中村医師にすれば、
「まだまだ、やらねば。」
ということはいっぱいあったでしょうが、悪魔とその手下に襲われてしまったのでは仕方ありません。
いまは神様の近くでしばしの休息をとっておられることでしょう。
このことで、ほんとうに気の毒というか大変なのは、あとに残されたわれわれですよ。
わたしなども、今の世界、この国を見ていると、ただただ不安と絶望にさいなまれるばかり。
これ以上この国の良心と、他者を助ける、他者に救いの手を差しのべることのできるほどの能力の持ち主が(悪魔によって)消されないことを祈るだけなのです。
悪魔はたしかにいるけど、神様もどこかに必ずいる。
そう思わせてくれた中村哲医師には、ただただ手を合わせるのみ。
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あれ?
いつのまにかわたしは善悪二元論的な考え方になっているなァ。
1%派 = 悪。
99%派 = 善。
当面、これでいいや・・・