何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

昨日5月17日の東京新聞の

「大波小波」という(文芸系の?)コラムの記事が“一歩踏み込んだ”面白い内容だったのでここに抜粋、紹介しておきます。

 

→『白井聡の最新刊「国体論 菊と星条旗」(集英社)を興味深く読んだ。

 戦前の天皇に代わる国体とはアメリカであるという論も新鮮だが、分析が精緻かつ鋭利で説得力がある。

戦前の国体が、「天皇の国民」から「天皇なき国民」そして「国民の天皇」へと変化したように、戦後の国体もまた、「アメリカの日本」から「アメリカなき日本」そして「日本のアメリカ」という最終段階に到達している、と著者は指摘。その先には破滅しか待っていないことも戦前同様である。

パックス・アメリカーナ(アメリカによる平和)が八紘一宇(はっこういちう)としてとらえられているという現状は恐ろしい。

日本人は奴隷であることを否認する本物の奴隷になっているのだ。

さて、ここまで著者の認識には首肯できるが、一点大きな疑問がある。

今上天皇の「お言葉」についてである。

お言葉は「アメリカを事実上の天皇と仰ぐ国体において、日本人は霊的一体性を本当に保つことができるのか」と問いかけているという。が、天皇が日本という共同体の霊的中心であるという言説には賛同しがたい。

先に内田樹天皇主義者を名乗ったのも衝撃だったが、まさか「永続敗戦論」の白井聡から、この見解が示されるとは。白井よ。お前もか。   (皐月)  』

 

私はこの白井聡さんの本を読んだわけではないので、いいかげんなことは言えませんが、この文章を読む限り、いい論点というか、なかなか今の日本の本質に迫っているのではないか?と感じます。

 

「国体論」の「国体」が「国の支配体制」のことであることは、この文章からも明確に理解できると思います。もともと「国体」というのは“ナショナリティ”の訳語だったんですけどね。「国体」と訳したとたんに日本ではこうなっちゃった(笑)

 

戦後、アメリカが戦前の天皇の位置に納まったというのも、いまの日本の現状を見れば充分に頷けます。

 

本自体を読んでないので、確かなことではないですが、

白井聡さんが(現?)天皇を日本という共同体の「霊的中心」としたのは、アメリカは日本の支配者ではあっても「霊的中心」にはなれていない、ということが言いたかったのかもしれませんね。いわば「不完全な天皇」=アメリカ。

 

一部の日本の保守(右翼)政治家や官僚、戦後「右翼」=ウヨにとっては(アメリカが)「霊的な中心」でもある「天皇」かもしれないですが。

 

ただ、わたしも天皇を「霊的中心」とする見方とは、意見を違にします。

わたしは天皇を日本の「歴史的中心」あるいはそれに近いもの、としてとらえていますから。

 

そしてわたしは、その日本の歴史的中心であった天皇(あるいは天皇制)は明治時代以降、まったく「変質」してしまった、と思っています。

 

ここからは、まったくのわたしの「私見」、「歴史認識」になってしまうのですが、わたしは「日本」より先に「天皇」があったと考えています。

これはもちろん、日本書紀古事記の神話のことを言っているのではなくて、歴史的事実のことを言っています。

 

この国がもともとは「倭」と言っていたことは誰でも知っていますが、それでは、その「倭」が「日本」になったのはいつのことか?

こんな重要なことが(故意に)あいまいにされているのがこの国なんですよね。

 

なぜあいまいにされているのか?

(・・・たぶん何か不都合なことがあるんでしょうね(笑))

そこらへんのことはわたしの「私見」でおいおい述べていくことにして、

日本がこの国の「国号」を「日本」としたのは、持統天皇の時代です。

そして、日本が国号を「日本」とする前に、持統天皇はすでに「天皇」だったのです。(あるいは天武天皇も「天皇」であったかもしれない)

 

しかし、持統天皇は初代天皇でなく、「天皇」の初代は「天智天皇」です。

ただし、天智天皇は日本の「天皇」ではない。

当時、世界帝国であった「唐」で「天皇」を名乗っていた人物です。

では、なぜ持統天皇が唐の「天皇」から天皇号を譲り受けることができたか?(「天皇」を名乗ることができたか?)

それは、持統天皇が唐の「天皇」の娘だったからです。

持統天皇が100%の中国人女性であったことはもはや隠れた歴史的常識といっていいのでは?)

 

ずいぶんとヘンなことを言っているようですが、かつて、わたしは某マイナー掲示板の日本史スレで、中国の古書の記述などを引きながら、このことを延々と述べていました。

少しでも、この「私見」を理解してもらうには、また同じような説明が必要だと思いますので、このブログでも要点だけ、追々述べていこうと思っています。

 

いま、ここで、結論的じみたことを言えば、「天皇制王朝」(天智(天武)持統~)は、もともとは(倭に対する)「征服王朝」だったということです。

そしてこの「征服王朝天皇制国家」が「日本」を作った、ということなのです。

 

いま「日本」の「存立の危機」に際して、この経緯、歴史を振り返ることはかなり重要と考えて、この先、折に触れて、このことは述べて行きたいと思います。

 

ともあれ、いま目の前にある危機は、アメリカ(あるいはアメリカをも越えるもの?)による日本支配。「ダメになっていく(なった?)アメリカ」の問題で、日本は史上最大級の難所にさしかかっているといえるでしょう。

 

わたしは、この難局を乗り越えるカギのひとつが、「日本国憲法の精神」を生かそう、実現しよう、とする市民運動だと考えているのです。

これまで人類が積み重ねてきた「よりよい世界」を目指す営み。その先にしか日本が生きる道はないだろう、と思っています。

 

ちなみに、「天皇」の問題について一言しておけば、日本に天皇制をもたらせた「体制」は当時(千数百年前)の世界最先端、最高レベルの「思想」が背景にあったということです。

だから天皇制が確固として、永続したんですよ。

 

あの「意見書」だけを見ると

岩倉具視氏ひとりが(庶民から見て)悪党になってしまうので、とりあえず、わたしの乏しくおぼつかない知識、私見でフォロー?しておきます(笑)

 

まず、この明治15年というのは、西南戦争で勝利した長州閥がその支配体制を確立し(伊藤・山縣体制)、国内の締め付けを始めた年です。(軍人勅諭戒厳令制定、集会条例など。この意見書が書かれる直前には福島事件(自由民権運動)も起きています)

 

西南戦争のときの岩倉具視の立ち位置は、政府軍側に身をおきながらも、西郷軍とは対話を通じて事の収束を図ろう、とする立場でした。

これは西郷軍も承知の上で、桐野利秋ら西郷軍幹部も、「そのうち岩倉公が勝麟(かつりん=勝海舟)を(和解の)使者として寄こすだろうよ」と言っていたといいます。

そして、そのとおり、岩倉具視勝海舟に使者を依頼する。

しかし、勝海舟はこういってその役目を(事実上)断っています。

→「オレ(勝)と西郷に政治のすべてをまかせるなら行くさ。しかし、そうでないのなら行かない」

たぶん勝は状況が絶望的であることを読んでいたのでしょう。

 

結果、政府軍は強硬姿勢で臨み、西郷軍は滅んで、西郷も死ぬことになる。

 

そういったいきさつを見ると、開拓使事件で岩倉が薩摩人脈(閥)のカタをもった気持ちも理解できないではない。

裏には、(権力を確立した)長州閥(伊藤、山縣、井上など)一党のほうがはるかにあくどい事をやっているではないか、という気持ちもあったでしょう。

(ちなみに岩倉具視の娘さんのひとりは長州の某超大物によって強姦されたそうです???)

 

あと、この時期は憲法制定前であり、権力内部での支配権をめぐる綱引きも激しかったと想像します。

わたしは、岩倉具視憲法制定にも立憲主義にも反対の立場だったと思います。

対して、憲法制定、立憲主義の立場が伊藤博文

 

岩倉が(おそらく)(立憲主義憲法制定)に反対していたのは、天皇の(何ものにも縛られない)絶対的権力化を目指していたからでしょう。

公家として生まれ育った岩倉には天皇のみを絶対の存在とする「一君万民制」が理想の体制として頭にあったのではないでしょうか?

 

それに対して、伊藤博文は西欧流の立憲君主制を推進しようとしていた。

伊藤は憲法の目的、立憲主義をよく理解していました。

伊藤が憲法を制定する理由を問われて

天皇の(無制限の)権力を縛るため」

と答えたのは有名な話です。

しかし、西欧の立憲主義と違うのは、天皇権力を縛るのが人民(市民)ではなく、自分たち薩長閥官僚制の側にいる者たち、だということ。

どちらにしろ、日本の一般の人民(国民)は「(憲法下での主役としての)市民」ではなく、「下民(げみん)」だったのです。

 

また、(当時の)西欧流の体制を受け入れるということは、「階級制」を受け入れるということでもあります。日本を階級性社会にするということ。

これは一面、江戸時代の士農工商制度よりキツイ差別が(大多数の)人民を襲うということですよ。(経済による差別というのは・・・)

実際、明治・大正・昭和(戦前)を通じて貧富の格差は拡大、階級化が進んでいきました。(ごく一部の者たちだけに富が集中)

(一君万民制なら天皇以外の「万民」は原則すべて平等。西郷たち尊王の志士たちがそこに理想を見ようとしたのはよく理解できます。

しかし、それは「(資本主義体制が確立した)世界」から見ると過去の遺物的な思想として、実現不可能なものだったのかもしれません)

 

それ(階級化)が一時的にストップして、日本人が一時的に「(自由な)市民」の幻想を得たのが「戦後」ではないでしょうか?

 

いままた、戦前回帰の「改憲」体制、ということで、社会の階級化も急激に進んでいますが、これ、立憲主義否定の階級化・改憲の動きなんですよねえ。

 

どうなんでしょう?

世襲政治家、(ポチ)政治家、学閥官僚、資本家(財界)、大資産家といった支配層が、

国にあるお金のほとんど、司法(検察・裁判所)・立法(国会・地方議会)・行政(各省庁、地方自治体)を完全に握り、

警察・自衛隊海上保安庁厚労省のマトリ、といった実力(武力)組織を従え、

テレビ・新聞・雑誌などのマスコミ、インターネットを駆使して国民への情報を操作する(洗脳、マインドコントロール=教育も)、

ことによって、(明治時代よりもはるかに強力な)万全の支配体制を構築。99%の国民、市民に顧慮する必要もなくなったことで、支配層がかって気ままに好きなことができる体制になったということなのでしょうか?

(彼らにとって99%の日本人は今なお「下民(げみん)」なんですよねえ)

 

現代ニッポンはさらに、そういう傾向が徹底化されつつあります。

ただ、民主主義を基本とした立憲主義日本国憲法は、まだ存在しています。

われわれ99%の日本の人民が、「下民」となるのか、「市民」として民主主義社会を進展させていけるのか?重要な分岐点にさしかかっているのではないでしょうか?

 

でも、ニッポンの「市民」は頑張っている!!

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わたしたちは「市民」だぞー!

なめるな!馬鹿にすんなー!!!!♪アベ政権下での改憲絶対反対ー!国民切り捨てる政治はヤメローーー!!!

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ちなみに岩倉具視の孫娘は共産党員の疑いで警視庁に逮捕され、自殺していますね。どんな思いがこの孫娘さんにはあったのでしょうか?

 

 

5月13日のブログ②

続きです

 

→『嗚呼(ああ)大権下移の漸、此に至りて其様(そのさま)を察すべきなり。

夫れ政府の頼りて以って威権(いけん=威力と権力。従わせる力)の重(おもき?)を為すものは、陸海軍を一手に掌握(しょうあく)し、人民をして寸兵尺鉄(寸兵はおそらく寸鉄の間違い。寸鉄も尺鉄も短い刃物の意)を有せしめざるに因(よ)れリ。

 

然(しか)れども若(も)し今日の如(ごと)くにして人心を収束することなく、権柄(けんぺい=権力)益々(ますます)下(した)に移り、道徳倫理滔々(とうとう)として日に下らば、兵卒軍士と雖、焉(いずくん)ぞ心を離し、戈(ほこ)を倒(さかし)まにせざるを保せんや。

~(中略)~

故(ゆえ)に今日にして政府の威権を恢復(かいふく)し、民心の頽瀾(たいらん=崩れようとする波)を挽回(ばんかい)せんと欲せば、断固として府県会を中止し、万機一新の精神を奮励(ふんれい)し、

陸海軍及び警視(けいし)の勢威(せいい)を左右に提((ひっ)さ)げ、凛然(りんぜん=厳しく、勇ましく)として下(した)に臨(のぞ)み、民心をして戦慄(せんりつ=ふるえあがらせる)するところあらしむべし。

 

凡(おおよ)そ非常の際は一豪傑(いちごうけつ)振起(しんき)し、所謂(いわゆる)武断専制(ぶだんせんせい)を以って治術(ちじゅつ=治療)を施(ほどこ)す、古今(ここん)其例(そのれい)乏(とぼ)しからず。

故に此時に当たり、半期一歳の間、或(ある(い))は嗷々(ごうごう)不平の徒あるも、亦(また)何ぞ顧慮(こりょ=気づかう)するに足らんや。』

 

(※注)開拓使

→ 「開拓使官有物払い下げ事件」

明治十四年、北海道開拓使長官の黒田清隆が、開拓使官有物を同郷薩摩の政商・五代友厚の貿易商会に安値、無利子で払い下げようとした事件。

世論の厳しい批判を浴び、払い下げは中止となった。

 

なお、この文章について、大川周明はこう述べています。

→「~ 而(しこう)して如何(いか)に岩倉公の勢力を以ってしても、府県会中止の事は行われなかったが、武断専制だけは此後も政府の採用するところとなった。

政府は薩摩の暴動(西南戦争)を鎮圧せると同じ精神を以って、政党をも弾圧せんとしたのである」

 

藩閥官僚制の本質がこのような「武断専制主義」であることをこの岩倉具視の「意見書」はよく物語っています。

立憲主義なんて知らないよ」という地点で改憲をしようとしている改憲派のバックボーンもこれと(基本的に)同じものだと思います。

戦前回帰というのはそういうことなんですね。

 

また、明治時代の「開拓使」事件と現代の「森友・加計」事件も同じようなものですが、現代のアベ政権のほうが、当時の支配層よりもはるかに酷い、ということもよくわかります。

籠池氏夫妻の「抹殺」ともいうべき長期拘留弾圧など、明治時代なら世論が許さなかったでしょう。

 

ここまで見ると、政府自民党(清和会=細田派=改憲ウヨ派)や学閥官僚、御用メディア(NHKなど)が日本の市民を馬鹿にし、侮っている、その理由がよくわかるでしょう。

彼らにとって日本には市民など存在しないのです。彼らからすれば、それは市民ではなく、「下民(げみん)」にすぎないのです。

 

市民運動、負けられません!

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昨日のブログで、「今日は300ヶ所以上の自民党

支部の前で、抗議のパフォーマンスがあったとか。」

と書いてしまいましたが、これはわたしの聞き違いで、「30ヶ所以上の」が正解。

きょうネットで調べたら、抗議活動が行われたのは32ヶ所となっていました。

まあ常識的に考えて自民党支部が300ヶ所以上あるわけはないわけで、われながら「あれ?」というような間違いでした。

 

ところで、一般市民による自民党への抗議など、マスコミはすべてスルーするだろうな、と思っていたら、さすが、東京新聞は、きっちり報道していた。

名古屋での抗議行動は朝日新聞が載せていたとか。

潮目が変わってきて、市民運動がそれこそ、「市民権」を獲得しつつあるようにも見えます。

 

あと、驚いたのが、共産党のしんぶん「赤旗」がしっかりとこの新潮流ともいうべき市民活動を報道していること。

こんなことは、昔には考えられなかった!

いやあ、ほんとうに共産党は変わった。そしてたぶんいい方向に変わっていっている。

時代に遅れていない。

過去の亡霊、悪霊にとりつかれているのは、むしろ自民党の方でしょう。

 

共産党、なかなかいい線いっています。この調子でよろしくお願いしますよー

                                \(^-^)/

ところで、NHKなどの大メディア、大マスコミは市民運動無視(シカト)の姿勢があいかわらずあからさまで、とくにNHKは「市民の敵」と感じられるくらいの悪質さなんですけど、この原因は、やはり、戦前からの日本政府の「国民」に対する姿勢、考え方からきているようです。

 

どうやら、自民党、学閥官僚、は「日本国民」を「市民」とは見ていないようなのです。

「明治回帰」のアベ政権(日本会議などのウヨ勢力を代表する政権)での「改憲」騒ぎで、このことは一層はっきりとしてきました。

 

このあいだから、[「頭山満と近代日本」大川周明・著 中島岳志・編 春風社]という本を読んでいるのですが、そこに明治15年に「府県会」の法を定めるにあたっての岩倉具視の(反対)意見書が載せられている。

これがじつに、日本の支配者・支配層の「日本国民」観をよくあらわしたものになっているんですね。

 

これ、市民運動など民主主義運動に携わっている方はいちおう読んどいたほうがいいと思いますので、岩倉具視の「意見書」の部分だけ転載させていただいときます。

これ、難しい文章書けばいいってもんじゃないでしょ、というくらい読み辛い文章ですが、()で少しでもフォローしますので、回りくどいですが、読んでみてください。

 

→『曩(さき=先と同じ)に明治六年、参議(国政に参与して政策などを議する職。閣僚より地位は上)の重任に居る者、はじめて朋党(ほうとう=主義・利害などが共通する仲間)の兆し(きざし=予想させるしるし)あり、

 

一動して佐賀の騒擾(そうじょう=騒動、佐賀の乱のこと)となり、再転して台湾の出師(すいし=出兵)となり、八年におよび、ニ~三の参議大阪に密会し、ついに漸次(ざんじ)立憲の詔(みことのり)を請(こ)えり。(※板垣退助たちのことか?)

 

そもそもこのことたるや、下民(げみん)上(うえ)を網(あみ)するの路(みち)を啓(ひら)き、大権(たいけん)下(した)に移るの漸(ぜん=だんだんに進む)をなし、じつに不易(ふえき=不変)の国体を変ずる者、具視、きわめてその不可を論ぜるも用いられず。

ときに維新の功臣(こうしん)その末節(晩節と同じ意)を令(よ)くせず、芳蘭(ほうらん、美しい花の意)たちまち葷蕕(くんゆう=臭い草)に変ずる者あり、具視、憂憤(ゆうふん)の情に堪(た)えず、つとめて政務に従事す。

 

果たして十年に至り、西郷暴挙の事あり。

次年には分権自治の目的をもって府県会の法を定む。内閣の中、ニ~三の人はそれ甚(はなは)だ不可なるを論ずるあり、具視、亦(また)所見を同じくす。

以謂(おも)らく此法は又大権(たいけん)下移の路を速(すみやか)にす、天下之(これ)より多事ならんと。

爾来(じらい=その後)大本(おおもと)既(すで)に堅(かた)からざるを以って小規(しょうき)亦(また)定まること能(あた)わず、

~(中略)~

 

遂(つい)に明治十四年夏秋の際に至りて開拓使(※注)の事あり。

此事や僅(わずか)に行政事務の一小処分に過ぎざりしも、此年以来、上威軟弱(じょういなんじゃく)、下民(げみん)横恣(おうし=ほしいまま、勝手気まま)の弊(へい=ならわしとなった悪さ、悪)、漸(ようや)く積聚(しゃくじゅ=つもり集まること)するを以って、一たび詭激(きげき=異常に過激な言動)の論を以って人心を扇動(せんどう)するや、上下惑乱、官民鼎沸(ていふつ=やかましく騒ぎたてる)す。

 

平常忠実の官吏と雖(いえど(も))、其(そ(の))向背(こうはい=従うかそむくか)を定めず、誠偽(せいぎ=真偽)黒白を判す可(べ)からざるに至れり。

 

惟ふ(おもう)に彼(か)の不逞(ふてい)の徒(=ならず者。不正に抗議している人たちのこと)、空拳赤手(くうけんせきしゅ=武器を持たない)、徒(いたずら)に口舌を鼓(こ)し筆管(ひつかん=筆=ふで)を弄(ろう)す、固(もと)より三軍の衆(=軍隊(武力?))あるに非(あら)ざるなり。

然(しか)り而(しこう)して政府の之(これ)に対して汲々(きゅうきゅう=あくせく)として安からざる(心配をしている)こと、むしろ驚愕(きょうがく)に堪(た)えざるものあり。』

 

     5月13日のブログ②に続く

きょう5月11日は#全国一斉自民党前抗議

の日、というので、永田町の自民党本部前で開催された抗議集会に行ってきました。

f:id:hibi333zakkan:20180511232656j:plain地下鉄を降りて地上に出ると、いつものようにおまわりさんの車両が(降りたのは永田町駅ではありません)

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国会周辺に来たらまず立ち寄るコンビニのイートインで一服 → 国会下の道を永田町方面に歩いていたら、マンションの建築現場に遭遇。「こんな一等地にマンションを建てるとは豪勢だな」と思っていると → うん?何?このハタは → 建築主は元谷外志雄サン?アパホテルの?はぁ、アパマンションねー、、。なんだか納得。こういうところにマンションを建てるには「政治力」も必要でしょうからねえ。

なんともはや、「ウヨにあらずんば人にあらず」的な現代日本のお金儲け事情を垣間見たような気がします。安倍政権下のニッポンはウヨ国家なのです。

 

暗い気持ちで永田町へ到着


f:id:hibi333zakkan:20180511235225j:plain前にも横にも後ろにも窓のない?おまわりさんの車。こんなタイプの警察車両を見たのははじめて。

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おっと、例の鉄柵? → 自民党本部の前を通る道路のある四つ角でお巡りさんたちが何かの作業(鉄柵とカラーコーン) → 自民党本部(入り口) → 抗議の行われる場所から見た自民党本部。

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自民党本部と道路を隔てた向かい側にある人気のないビルの前のオブジェ?たちが自民党本部に向かって抗議の声をあげているようでした。 → オブジェたちの前の歩道。雑草がしなびて、踏みつけられていました。なんだか象徴的ですねー。 → 会場となる歩道。時間が早かったのでまだ人はまばら。 → だんだん人が増えてきました。

 

集会が始まりました。

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最初は穏やかな調子、かつ風刺のタップリきいたトークで始まりましたが、コールが始まると、ど迫力。一気にテンションがあがります。

自民党はアベを降ろせー」「アベ内閣は今すぐ退陣」等々。セクハラ擁護発言の麻生財務相にも、「いますぐヤメロー」!!!「アベ政権を擁護する?自民党はツブレロー」!!!

マイクの迫力も凄いが、それに集会参加者が声をきっちりあわせて大合唱。全員が大声で応えていました。

 

コールが始まる前は、わたしは同年輩くらいの男性と女性の三人で談笑していたのですが、始まると、わたしも大声で参加(いい人たちだったのでもっと話していた

ていたかったのだけど(笑))

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時間がたつにつれ、参加者の数が増えていって、列が後ろへ後ろへと伸びていきます。

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それにしても、みなさんパフォーマンスがすばらしい

 

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最終的に参加者は一千人超。この集会が新潮流によるもので、既成の組織的な参加がなく、すべて自主的、主体的な参加であったことを考えれば、これは驚くべき人数といっていいでしょう。

そういう集会だから、全員、誰もが大きな声でコールをしていた。全員がひとつになったような躍動感があった。(明日、声がかれている人も多いでしょう)

 

主催者も警察も最初は数十人程度の参加者と思っていたのでは?

 

最初のんびりムードだった警察

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も、参加者の多さに驚いたのか、集会の終わりごろには「公安」のおまわりさんたちが登場。集会を終えて三々五々帰って行く市民に厳しい視線を送っていました

f:id:hibi333zakkan:20180512011129j:plain気にしてるようだったから写真ぼかしてあげましたよ(偶然だけど(笑))わたしもなぜか注視されていたみたいだけど(気のせい?)。

 

今日は全国300ヶ所以上の自民党支部の前で、抗議のパフォーマンスがあったとか。これ、政党さんとはまったく関係のない(市民が応援する野党も含めて)まったく新しい潮流の市民運動、というべきで、日本の市民が自立し、育っていっている過程と見ていいでしょう。

 

こういった市民運動の芽が、お日様の下で、のんびり明るく、自由にすくすく育っていけば、日本にもまだ希望があるのではないでしょうか。

フクシマ、辺野古・・・なかなか厳しい状況ではありますが。

 

最寄り駅に帰って、住み家近くの総菜屋さんのイートインで軽い食事とコーヒー(コーヒーは80円。ボランティアみたいなお店です)。そういうわけで、今日はいただいたパンフレットも少ない(個人的に持ってきて限定数を配っていたという感じ)

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みなさんがんばってます!

 

と、やっぱり日付が変わってしまった(笑)

心地よい疲れで、今日はぐっすり眠れそうです。

 

最後に良寛さんの和歌を一首

 

『身をすてて 世(よ)を救ふ(すくう)人も在(ま)すものを 

草の庵(いおり)に ひまもとむとは』

 

それはそれでいいじゃないですか、良寛さん(笑)

 

おやすみなさい。

いい一日をありがとう。 (-。ー)zzZZ





 

 



 





きのうは有明防災公園で開催された

「5・3憲法集会に行って来ました。

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→左から右に、地下鉄豊州駅構内→地下鉄から出て見た、豊州の街並み。交番の前に「おまわりさんバス」?がとまっていました→ゆりかもめに乗り換え→ゆりかもめの内部。ゆりかもめに乗るのは二度目。

 

f:id:hibi333zakkan:20180504171251j:plain途中、ゆりかもめの窓から見た豊州新市場(一部)

市場というより工場といった感じでしたね。“情緒”面で比べれば、築地80点、豊州0点、といったところでしょうか(笑)

f:id:hibi333zakkan:20180504172347j:plain有明駅に到着。おまわりさんの車がとまっていたり、機動隊姿のおまわりさんなどもいたりして、警戒がやや厳しいのは、街宣右翼さんが周囲をぐるぐるしているから、らしいですね。

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トイレをすませて会場へ

f:id:hibi333zakkan:20180504173556j:plain会場に到着。
11:00スタートだったのですが、わたしが会場についたのは13:00過ぎ。

トシヨリ?は朝に弱いのです(?笑)

 

前半に行われたトークイベント、コンサートを見ることができなかったのは残念。

 

f:id:hibi333zakkan:20180504173905j:plainそれにしても、有明防災公園、広い。前方にいる人たちは会場(縄が張られている内側)からあぶれた人たちです。

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「通路」を歩いているときに壇上をパチリ。

集会はもう始まっています。司会は古今亭菊千代さん。さすがプロのバリバリの落語家さんだけあってお話はスムーズ。活舌もよく、声もよくとおって、テンポもいい。

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もういい場所はとれないので会場の周囲をウロウロ。しかし、広い・・・

途中、寝転がっている人も何人かいましたので、わたしもゴロン(笑)

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入り口でいただいたポスター?を見ながら、「これが安倍内閣退陣前の歴史的な集会になればいいな」などと漠然と考えていました。

 

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ステージの裏に移動。ここではビジョンカーがあって、意外な穴場になっていました。

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上の画面は夫婦漫才の「おしどりマコ&ケン」さん。

マコさんは司会の菊千代さんから、原発問題に関しては学者さん以上の知識、と紹介されていましたが、漫才自体も軽快でテンポがいい。話を工夫していけば、正当派夫婦漫才としてブレイクするのでは?と思いました。

 

ステージは「トークⅡ」へ。

①沖縄問題(山城博治さん)②フクシマ問題(武藤類子さん)③高校生平和大使(布川ひとみさん、重松舞衣子さん)④教育と教科書問題(上山由里香さん)⑤朝鮮高校無償化(東京朝鮮高校生徒・合唱部)⑥武器輸出入問題(杉原浩司さん)⑦貧困・格差問題(六郷伸司さん)⑧働き方改革(岡田俊宏さん)

 

いずれも、それらの問題の最前線で関わっている人たちなので、必見必聴。いずれのお話しも本を一冊読む以上の価値がありました。

朝鮮高校の女子生徒さんたちは、差別の苦しさ理不尽さを訴えた後で歌を披露してくれたのですが、非常に「上手い」。とくに「花」を聴いていたときは、涙腺が破壊一歩手前。「おっさんが泣いてもさまにならんぞ」と、グッと我慢しましたが(わたしはヘンなところで古風なのです)、あれはやばかった・・・。

 

現代社会の先端で格闘している知識人たちによる「トークⅠ」と合せて見るだけでも、この集会のレベル、質の高さがわかります。

(「トークⅠ」 = ①落合恵子さん②竹信三恵子さん③清末愛砂さん④山内敏弘さん)

 

主催者さんも自賛していたとおり、この2018-0503憲法集会は大成功だったと思います。

 

集会はラストへ。

安倍政権の改憲に反対する署名活動の中間報告があり、現在の署名者数は1350万人とのこと。

プラカードコンクールの発表があって、諏訪原健さん(安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合)の連帯挨拶。

デモ隊が次々と出発(豊州コースとお台場コースの二手)。

 

デモ隊を見送る?クロージングコンサートは「ジンタらムータ」でした。

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このジンタらムータさんは、以前、わたしにはじめて、(FMとはいえ)ラジオで「ワルシャワ労働歌」の演奏を聴かせてくれたグループ。まさか、公の電波でワルシャワ労働歌が聴けるとは!と、早朝でしたが、いっぺんに目が覚めましたよ♪\(^0^)/

ここで「生」演奏が聴けるとは!

「不屈の民」

と「平和に生きる権利」も演奏してくれました。

この二曲もやばくてね、やはり一瞬、涙腺崩壊の危機に見舞われました。(ググッと我慢)。

https://youtu.be/vYr-_rq_ifU

 

 

わたしのデモコースは豊州。途中、マンションの階上から手を振ってくれる人が。

 

夜、最寄り駅に着いて、よく利用するパン屋さんの二回で、カレー野菜パン(160円)とコーヒー(200円)の“ディナー”(^-^;)

f:id:hibi333zakkan:20180504194915j:plain充実かつ感動した一日でした!

 

部屋に帰って、さらにカップラーメン(大盛)とサプリメントの“夜食”(笑)



 

 

 

 

 



 

 

 

28日のブログに書いた霊園散歩は

楽しいだけではなく、いろいろなことも考えさせられて有意義なものになりました。

江戸時代から現代までの墓石の数々を見て歩いていると、歴史とその人たちの生きた時代に思いが及びます。

 

芥川龍之介の墓の前で手を合わせながら、わたしは「将軍」を読もうと思っていることを「報告?」したような形になりましたが、(28日のブログ)

乃木希典をモデルにした「将軍」は芥川龍之介の小説の中では評価の分かれる作品で、昔の評論家からは厳しい評価を受けていたものです。

たとえば、わたしがいま読んでいる昭和44年初版発行の、角川文庫版の「藪の中・将軍」の「作品解説」では、国文学者の三好行雄氏がこう書いています

 

『~・・・これもよかれあしかれ、いかにも芥川龍之介らしい短編である。旅順戦の勇将乃木希典は ~ 今日の感覚では想像できぬほど偉大な英雄であった。その至誠・尽忠・誠実・仁愛などという典型的な武人の通念をさまざまなエピソードによってはぎとってゆくわけだが ~ 寄木細工ふうな構成がわざわいして、全円的な人間像の肉付けには失敗している。

殉死の前に写真をとった将軍と自殺した友人との対照だけが妙に白々しく浮き上がって、作品の印象をやや浅はかに・・・~以下省略』

 

この批評は、「将軍」という短編が当局の検閲によって小説・作品といえないくらいに「削除(××××)」されていることにまったく触れていません。

要はこの作品を「否定」しているんだと思います。

これを評価して芥川龍之介のイメージが変わることを恐れたか?さらにはまた、この作品を「評価」することのできない評者自身の立ち位置のためか?

いかにも、「体制維持」を至上目的とする東京大学系の学者さんらしいスタンスだとは思いますが(^^;)チガッタラゴメンナサイ

 

いっぽうこういう見方もあります。2014年に学研から出た「怪奇事件の謎」(小池壮彦・著)、と書けば、「え?オカルト?怪談本?」なんて言われそうですが、この本、なかなか穿った面白い本なんです。

この本には芥川龍之介の「将軍」についてこう書かれている

 

『~・・・

 芥川龍之介天皇の問題を念頭に置きつつ「将軍」という小説を書いた節がある。

近代日本の二重基準、すなわち王政復古と欧化売国という欺瞞的な体制のなかで、芥川は天皇資本主義を見限り、社会主義に傾いた。だが、最後まで傾ききれずに自殺した。

~・・・

しかし、芥川の評価を体制内に組み入れておきたい人々の思惑もあって、彼の社会主義的傾向にあまり触れないような空気がこれまでにはあったのではないだろうか。』

 

また、こんな一節も

明治神宮の創建にまつわる話題が世上をにぎわした当時 ~・・・

(この「将軍」という小説は)乃木将軍をダシにして、明治神宮創建による明治天皇の神格化に釘を刺したものとも受け取れる』

 

芥川龍之介は当初歴史学者を目指していた、というほど、歴史をしっかり学んでいたようですから、「歴史的欺瞞」を見抜く目は確かだったでしょう。

同書によると芥川は別の「金将軍」という小説の末尾にこう書いているそうです

 

『・・・~ しかし、歴史を粉飾するのは必ずしも朝鮮ばかりではない。日本もまた小児に教える歴史は、- あるいはまた小児と大差ない日本男児に教える歴史はこういう伝説に充ち満ちている。』

 

今でこそ「なるほど」と、普通の人も頷ける言葉ですが、当時(明治体制下の日本)でこう書くのは(暗に官製歴史を批判)、かなり勇気のいることだったのではないでしょうか?

 

この「怪奇事件の謎」という本、裏表紙に

『この世は「フィクション」で成立している』

とあるように、明治 ~ 現代における日本政府・日本支配層による「フィクション造り」にかなり「肉薄」していて、

 

明治時代の薩長閥官僚体制によるフィクション造り以来の、(再びの)フィクション作りの時代に生きているわたしたち日本人に、

 

「考える」ためのいい材料を提供してくれていると思います。

 

じつはわたしも、これまで芥川龍之介といえば、「河童」や「侏儒の言葉」だったりしたのですが、この小説家さんは、まだまだ奥が深いようです。

 

ともあれ、(明治時代から続いている)政府、日本の支配層、大メディア、御用学者、学校(教育)などが作り出すフィクションに無防備に洗脳・マインドコントロールされるというのは、恐ろしいことです(日本の戦前~敗戦のように)。

 

わたしたち庶民は自分たちの生きているリアルな現実を対象化することによって、そういった(わたしたちの生命、生活を危うくする)フィクションに対処していかなければなりません。

いま、日本の多くの人たちが参加して声をあげている市民運動なども、そういったもののひとつでしょう。

 

(たとえば、「フィクションを基にした改憲」に対する護憲。わたしたち庶民にとっては、自民党・エセ右翼がやろうとしている改憲よりも護憲のほうがはるかにメリットが大きい。

わたしたちの「生命」「生活」を基準にして見ればわかりきったこと、一目瞭然じゃないですか!)

 

まだまだ書きたいことは尽きないのですが、長くなりましたので今日はここまで

(^-^)

わたしは5月3日の憲法記念日には有明防災公園の集会に参加します!

みなさんもぜひお近くの「護憲集会」に足を運びましょう!わたしたちの生きている、生活している立場から、声をあげましょう!

おー!

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では、また