何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

昨日のブログで、「今日は300ヶ所以上の自民党

支部の前で、抗議のパフォーマンスがあったとか。」

と書いてしまいましたが、これはわたしの聞き違いで、「30ヶ所以上の」が正解。

きょうネットで調べたら、抗議活動が行われたのは32ヶ所となっていました。

まあ常識的に考えて自民党支部が300ヶ所以上あるわけはないわけで、われながら「あれ?」というような間違いでした。

 

ところで、一般市民による自民党への抗議など、マスコミはすべてスルーするだろうな、と思っていたら、さすが、東京新聞は、きっちり報道していた。

名古屋での抗議行動は朝日新聞が載せていたとか。

潮目が変わってきて、市民運動がそれこそ、「市民権」を獲得しつつあるようにも見えます。

 

あと、驚いたのが、共産党のしんぶん「赤旗」がしっかりとこの新潮流ともいうべき市民活動を報道していること。

こんなことは、昔には考えられなかった!

いやあ、ほんとうに共産党は変わった。そしてたぶんいい方向に変わっていっている。

時代に遅れていない。

過去の亡霊、悪霊にとりつかれているのは、むしろ自民党の方でしょう。

 

共産党、なかなかいい線いっています。この調子でよろしくお願いしますよー

                                \(^-^)/

ところで、NHKなどの大メディア、大マスコミは市民運動無視(シカト)の姿勢があいかわらずあからさまで、とくにNHKは「市民の敵」と感じられるくらいの悪質さなんですけど、この原因は、やはり、戦前からの日本政府の「国民」に対する姿勢、考え方からきているようです。

 

どうやら、自民党、学閥官僚、は「日本国民」を「市民」とは見ていないようなのです。

「明治回帰」のアベ政権(日本会議などのウヨ勢力を代表する政権)での「改憲」騒ぎで、このことは一層はっきりとしてきました。

 

このあいだから、[「頭山満と近代日本」大川周明・著 中島岳志・編 春風社]という本を読んでいるのですが、そこに明治15年に「府県会」の法を定めるにあたっての岩倉具視の(反対)意見書が載せられている。

これがじつに、日本の支配者・支配層の「日本国民」観をよくあらわしたものになっているんですね。

 

これ、市民運動など民主主義運動に携わっている方はいちおう読んどいたほうがいいと思いますので、岩倉具視の「意見書」の部分だけ転載させていただいときます。

これ、難しい文章書けばいいってもんじゃないでしょ、というくらい読み辛い文章ですが、()で少しでもフォローしますので、回りくどいですが、読んでみてください。

 

→『曩(さき=先と同じ)に明治六年、参議(国政に参与して政策などを議する職。閣僚より地位は上)の重任に居る者、はじめて朋党(ほうとう=主義・利害などが共通する仲間)の兆し(きざし=予想させるしるし)あり、

 

一動して佐賀の騒擾(そうじょう=騒動、佐賀の乱のこと)となり、再転して台湾の出師(すいし=出兵)となり、八年におよび、ニ~三の参議大阪に密会し、ついに漸次(ざんじ)立憲の詔(みことのり)を請(こ)えり。(※板垣退助たちのことか?)

 

そもそもこのことたるや、下民(げみん)上(うえ)を網(あみ)するの路(みち)を啓(ひら)き、大権(たいけん)下(した)に移るの漸(ぜん=だんだんに進む)をなし、じつに不易(ふえき=不変)の国体を変ずる者、具視、きわめてその不可を論ぜるも用いられず。

ときに維新の功臣(こうしん)その末節(晩節と同じ意)を令(よ)くせず、芳蘭(ほうらん、美しい花の意)たちまち葷蕕(くんゆう=臭い草)に変ずる者あり、具視、憂憤(ゆうふん)の情に堪(た)えず、つとめて政務に従事す。

 

果たして十年に至り、西郷暴挙の事あり。

次年には分権自治の目的をもって府県会の法を定む。内閣の中、ニ~三の人はそれ甚(はなは)だ不可なるを論ずるあり、具視、亦(また)所見を同じくす。

以謂(おも)らく此法は又大権(たいけん)下移の路を速(すみやか)にす、天下之(これ)より多事ならんと。

爾来(じらい=その後)大本(おおもと)既(すで)に堅(かた)からざるを以って小規(しょうき)亦(また)定まること能(あた)わず、

~(中略)~

 

遂(つい)に明治十四年夏秋の際に至りて開拓使(※注)の事あり。

此事や僅(わずか)に行政事務の一小処分に過ぎざりしも、此年以来、上威軟弱(じょういなんじゃく)、下民(げみん)横恣(おうし=ほしいまま、勝手気まま)の弊(へい=ならわしとなった悪さ、悪)、漸(ようや)く積聚(しゃくじゅ=つもり集まること)するを以って、一たび詭激(きげき=異常に過激な言動)の論を以って人心を扇動(せんどう)するや、上下惑乱、官民鼎沸(ていふつ=やかましく騒ぎたてる)す。

 

平常忠実の官吏と雖(いえど(も))、其(そ(の))向背(こうはい=従うかそむくか)を定めず、誠偽(せいぎ=真偽)黒白を判す可(べ)からざるに至れり。

 

惟ふ(おもう)に彼(か)の不逞(ふてい)の徒(=ならず者。不正に抗議している人たちのこと)、空拳赤手(くうけんせきしゅ=武器を持たない)、徒(いたずら)に口舌を鼓(こ)し筆管(ひつかん=筆=ふで)を弄(ろう)す、固(もと)より三軍の衆(=軍隊(武力?))あるに非(あら)ざるなり。

然(しか)り而(しこう)して政府の之(これ)に対して汲々(きゅうきゅう=あくせく)として安からざる(心配をしている)こと、むしろ驚愕(きょうがく)に堪(た)えざるものあり。』

 

     5月13日のブログ②に続く