何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

昨日5月17日の東京新聞の

「大波小波」という(文芸系の?)コラムの記事が“一歩踏み込んだ”面白い内容だったのでここに抜粋、紹介しておきます。

 

→『白井聡の最新刊「国体論 菊と星条旗」(集英社)を興味深く読んだ。

 戦前の天皇に代わる国体とはアメリカであるという論も新鮮だが、分析が精緻かつ鋭利で説得力がある。

戦前の国体が、「天皇の国民」から「天皇なき国民」そして「国民の天皇」へと変化したように、戦後の国体もまた、「アメリカの日本」から「アメリカなき日本」そして「日本のアメリカ」という最終段階に到達している、と著者は指摘。その先には破滅しか待っていないことも戦前同様である。

パックス・アメリカーナ(アメリカによる平和)が八紘一宇(はっこういちう)としてとらえられているという現状は恐ろしい。

日本人は奴隷であることを否認する本物の奴隷になっているのだ。

さて、ここまで著者の認識には首肯できるが、一点大きな疑問がある。

今上天皇の「お言葉」についてである。

お言葉は「アメリカを事実上の天皇と仰ぐ国体において、日本人は霊的一体性を本当に保つことができるのか」と問いかけているという。が、天皇が日本という共同体の霊的中心であるという言説には賛同しがたい。

先に内田樹天皇主義者を名乗ったのも衝撃だったが、まさか「永続敗戦論」の白井聡から、この見解が示されるとは。白井よ。お前もか。   (皐月)  』

 

私はこの白井聡さんの本を読んだわけではないので、いいかげんなことは言えませんが、この文章を読む限り、いい論点というか、なかなか今の日本の本質に迫っているのではないか?と感じます。

 

「国体論」の「国体」が「国の支配体制」のことであることは、この文章からも明確に理解できると思います。もともと「国体」というのは“ナショナリティ”の訳語だったんですけどね。「国体」と訳したとたんに日本ではこうなっちゃった(笑)

 

戦後、アメリカが戦前の天皇の位置に納まったというのも、いまの日本の現状を見れば充分に頷けます。

 

本自体を読んでないので、確かなことではないですが、

白井聡さんが(現?)天皇を日本という共同体の「霊的中心」としたのは、アメリカは日本の支配者ではあっても「霊的中心」にはなれていない、ということが言いたかったのかもしれませんね。いわば「不完全な天皇」=アメリカ。

 

一部の日本の保守(右翼)政治家や官僚、戦後「右翼」=ウヨにとっては(アメリカが)「霊的な中心」でもある「天皇」かもしれないですが。

 

ただ、わたしも天皇を「霊的中心」とする見方とは、意見を違にします。

わたしは天皇を日本の「歴史的中心」あるいはそれに近いもの、としてとらえていますから。

 

そしてわたしは、その日本の歴史的中心であった天皇(あるいは天皇制)は明治時代以降、まったく「変質」してしまった、と思っています。

 

ここからは、まったくのわたしの「私見」、「歴史認識」になってしまうのですが、わたしは「日本」より先に「天皇」があったと考えています。

これはもちろん、日本書紀古事記の神話のことを言っているのではなくて、歴史的事実のことを言っています。

 

この国がもともとは「倭」と言っていたことは誰でも知っていますが、それでは、その「倭」が「日本」になったのはいつのことか?

こんな重要なことが(故意に)あいまいにされているのがこの国なんですよね。

 

なぜあいまいにされているのか?

(・・・たぶん何か不都合なことがあるんでしょうね(笑))

そこらへんのことはわたしの「私見」でおいおい述べていくことにして、

日本がこの国の「国号」を「日本」としたのは、持統天皇の時代です。

そして、日本が国号を「日本」とする前に、持統天皇はすでに「天皇」だったのです。(あるいは天武天皇も「天皇」であったかもしれない)

 

しかし、持統天皇は初代天皇でなく、「天皇」の初代は「天智天皇」です。

ただし、天智天皇は日本の「天皇」ではない。

当時、世界帝国であった「唐」で「天皇」を名乗っていた人物です。

では、なぜ持統天皇が唐の「天皇」から天皇号を譲り受けることができたか?(「天皇」を名乗ることができたか?)

それは、持統天皇が唐の「天皇」の娘だったからです。

持統天皇が100%の中国人女性であったことはもはや隠れた歴史的常識といっていいのでは?)

 

ずいぶんとヘンなことを言っているようですが、かつて、わたしは某マイナー掲示板の日本史スレで、中国の古書の記述などを引きながら、このことを延々と述べていました。

少しでも、この「私見」を理解してもらうには、また同じような説明が必要だと思いますので、このブログでも要点だけ、追々述べていこうと思っています。

 

いま、ここで、結論的じみたことを言えば、「天皇制王朝」(天智(天武)持統~)は、もともとは(倭に対する)「征服王朝」だったということです。

そしてこの「征服王朝天皇制国家」が「日本」を作った、ということなのです。

 

いま「日本」の「存立の危機」に際して、この経緯、歴史を振り返ることはかなり重要と考えて、この先、折に触れて、このことは述べて行きたいと思います。

 

ともあれ、いま目の前にある危機は、アメリカ(あるいはアメリカをも越えるもの?)による日本支配。「ダメになっていく(なった?)アメリカ」の問題で、日本は史上最大級の難所にさしかかっているといえるでしょう。

 

わたしは、この難局を乗り越えるカギのひとつが、「日本国憲法の精神」を生かそう、実現しよう、とする市民運動だと考えているのです。

これまで人類が積み重ねてきた「よりよい世界」を目指す営み。その先にしか日本が生きる道はないだろう、と思っています。

 

ちなみに、「天皇」の問題について一言しておけば、日本に天皇制をもたらせた「体制」は当時(千数百年前)の世界最先端、最高レベルの「思想」が背景にあったということです。

だから天皇制が確固として、永続したんですよ。