オウム関連死刑囚の死刑執行はなかったようですね。
しかし、ネットでネトウヨといわれる人たちや安倍首相を異常に擁護するネットサポーターが、声高に“死刑執行”を煽り立てているようで、「政治利用」というか、権力争いの「道具」として、彼らの死刑執行のタイミングを測っている様子も濃厚なので、予断を許しません。
日本のこういった「大量処刑」はすべて、政治利用されてきたという歴史があります。
アップできなかったという、osantai12345のブログ(原稿)に、
「オウム関連のほとんどの死刑囚は、マレーシアでキム・ジョンナムとされている人を、毒ガスをしみ込ませた?布を顔に当てて殺害したとされている女性2人みたいなもの」という見方が書かれていたようですが、わたしもその見解に賛成です。
ただ、教祖=松本智津夫死刑囚だけは、かなりのことを知っていると思うんですけどね。彼の「闇」は深いと思います。
その当人が、「なにひとつ」まともに語っていない。
というか、語らせていない?
これで、死刑執行でオシマイ。自民党右翼政権の持続に協力、ごくろうさまでした。では、ちょっとたまらない。
「闇」から「闇」へが日本で「あたりまえ」のようなことになれば、それこそが「由々しき事態」だと思うのですが。
なんともいえない状況です。
ところでいまの日本は、その「オウム関連」の死刑執行に影響を与えそうな、政治の混乱の真っ最中。
安倍政権があまりにもムチャ、無体な暴走を続けたたため、これまで歩調をあわせてきた官僚機構と「齟齬(そご)」をきたしているということでしょうか?
まあ、われわれ庶民から見たら、大マムシ(安倍政権)と巨大ムカデ(官僚機構)が、互いに「ちょっと、あんたはたまらんね」と言い合っているという感じなんですけどね。
それにしても、(野党はがんばっているとしても)、売国?右翼勢力と売国?官僚機構の間で、本来は国権の最高機関であるはずの「国会」の力の弱いこと。
この「国会」の弱体化に関しては、戦時中スパイとして処刑されたドイツ人ジャーナリスト=リヒャルト・ゾルゲ氏が1939年にドイツの雑誌に書いた「日本の政治指導」という論文での国会の「分析」が興味深い。
ちょっと引用させてもらうと(摘要)
→『日本はイギリスやアメリカやフランスのような意味の民主主義国家ではない。
~
というのは、日本のこの議会制度の権利と義務は、議会が政務処理にたいして十分に統制することも許されないほどに制限されているからである。
日本の国会と、そこに代表を出している民衆は、けっして団結のための独自のイニシァティブを発揮することができず、国会がきわめて限られた範囲内でしか、審議、同意、または拒否の権能をもたず、独立の立法力を持たないことを、忘れるべきではない。~』(「ゾルゲの見た日本」みすず書房)
もちろん、これは明治憲法時代のことなのですが、今も、「まんま、そのまま・・・」じゃないでしょうか?安部政権が登場してからは、さらにこの「弱い国会」が徹底化された結果、明治憲法?日本国憲法?どころか、無法状態の「戦前」。(立法機関も政府、官僚機構ですよね)
いったい、安倍政権、何をやろうとしていた?
わたしにはどうも「日本を滅ぼす」アジェンダの一環としか思えないん・・・ですけどねえ???
前にも、明治以降の政治がらみの「大量処刑」を列挙しましたが、いずれも日本を暗黒に引き込むブラックホールのような不気味さを内包しています。
その「政治的背景」をうかがわせる事件の中でも、オウム事件は「民衆一般」を対象にしたテロ事件だということに際立った特徴があると思います。
これは、近年の日本政府の「標的」「攻撃目標」が「日本の民衆」であったことと規を一にしていることとも関連があるのではないか?
・・・いやな予感ですけどね。
この「謎のまま終わらせた」?オウム事件での大量処刑もまた、「日本滅亡」へと歩を進める(将来、必ず日本&日本社会の足を引っぱる)アジェンダのひとつであるかもしれない、と懸念するのです。