何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

5月13日のブログ②

続きです

 

→『嗚呼(ああ)大権下移の漸、此に至りて其様(そのさま)を察すべきなり。

夫れ政府の頼りて以って威権(いけん=威力と権力。従わせる力)の重(おもき?)を為すものは、陸海軍を一手に掌握(しょうあく)し、人民をして寸兵尺鉄(寸兵はおそらく寸鉄の間違い。寸鉄も尺鉄も短い刃物の意)を有せしめざるに因(よ)れリ。

 

然(しか)れども若(も)し今日の如(ごと)くにして人心を収束することなく、権柄(けんぺい=権力)益々(ますます)下(した)に移り、道徳倫理滔々(とうとう)として日に下らば、兵卒軍士と雖、焉(いずくん)ぞ心を離し、戈(ほこ)を倒(さかし)まにせざるを保せんや。

~(中略)~

故(ゆえ)に今日にして政府の威権を恢復(かいふく)し、民心の頽瀾(たいらん=崩れようとする波)を挽回(ばんかい)せんと欲せば、断固として府県会を中止し、万機一新の精神を奮励(ふんれい)し、

陸海軍及び警視(けいし)の勢威(せいい)を左右に提((ひっ)さ)げ、凛然(りんぜん=厳しく、勇ましく)として下(した)に臨(のぞ)み、民心をして戦慄(せんりつ=ふるえあがらせる)するところあらしむべし。

 

凡(おおよ)そ非常の際は一豪傑(いちごうけつ)振起(しんき)し、所謂(いわゆる)武断専制(ぶだんせんせい)を以って治術(ちじゅつ=治療)を施(ほどこ)す、古今(ここん)其例(そのれい)乏(とぼ)しからず。

故に此時に当たり、半期一歳の間、或(ある(い))は嗷々(ごうごう)不平の徒あるも、亦(また)何ぞ顧慮(こりょ=気づかう)するに足らんや。』

 

(※注)開拓使

→ 「開拓使官有物払い下げ事件」

明治十四年、北海道開拓使長官の黒田清隆が、開拓使官有物を同郷薩摩の政商・五代友厚の貿易商会に安値、無利子で払い下げようとした事件。

世論の厳しい批判を浴び、払い下げは中止となった。

 

なお、この文章について、大川周明はこう述べています。

→「~ 而(しこう)して如何(いか)に岩倉公の勢力を以ってしても、府県会中止の事は行われなかったが、武断専制だけは此後も政府の採用するところとなった。

政府は薩摩の暴動(西南戦争)を鎮圧せると同じ精神を以って、政党をも弾圧せんとしたのである」

 

藩閥官僚制の本質がこのような「武断専制主義」であることをこの岩倉具視の「意見書」はよく物語っています。

立憲主義なんて知らないよ」という地点で改憲をしようとしている改憲派のバックボーンもこれと(基本的に)同じものだと思います。

戦前回帰というのはそういうことなんですね。

 

また、明治時代の「開拓使」事件と現代の「森友・加計」事件も同じようなものですが、現代のアベ政権のほうが、当時の支配層よりもはるかに酷い、ということもよくわかります。

籠池氏夫妻の「抹殺」ともいうべき長期拘留弾圧など、明治時代なら世論が許さなかったでしょう。

 

ここまで見ると、政府自民党(清和会=細田派=改憲ウヨ派)や学閥官僚、御用メディア(NHKなど)が日本の市民を馬鹿にし、侮っている、その理由がよくわかるでしょう。

彼らにとって日本には市民など存在しないのです。彼らからすれば、それは市民ではなく、「下民(げみん)」にすぎないのです。

 

市民運動、負けられません!

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