何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

昨日、やっと山県大弐(やまがただいに)著・「柳子新論」を

読み終えました。

 

「やっと」というのは、目の調子が悪くて文字が読み辛くなっているから。

 

本を読むのもなかなかタイヘンになってきました。

 

わたしの目の調子が悪くなっているのは、加齢のためだけではなく、遺伝的要素もあるようです。

 

というのが、母がわたしくらいの年齢からしきりに目の不調を訴えていて、その症状がいまのわたしそっくりだったから。

 

当時のわたしは、目の調子の悪いことを嘆く母に対して

「なんだ、見えているジャン。たいしたことないんじゃない?」

くらいにしか思っていませんでしたが、いざ自分がその状態になると、不便この上なく、母の嘆いていた「辛(つら)さ」が、やっと理解できた次第。

 

何事も、その人(当事者)の立場、状態にならないとわからないものです。

 

「お母ちゃん、ゴメン」

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もう亡くなっているから、遅いですけどね・・・

 

 

ということで、「柳子新論(りゅうししんろん)」なんですけど、苦労しながらでも(文字が小さかったですからね)読むに、じゅうぶん価値のある内容でした。

 

f:id:hibi333zakkan:20190319202741j:plain ←この人が著者の山県大弐さん(1725年~1767年)

甲府藩の与力でしたが、弟が事件を起こしてクビ(改易)になり浪人。

その後江戸に出て医者をしながら学問研鑽に励み、その学識の深さから多くの門人を抱えるようになった、儒学者、思想家です。

 

今では、「尊王思想家」の先がけ、くらいな認識しか持たれていない大弐さんですが、著書を読むと、その思想の根幹が「民本主義」、徹底した「人民第一主義」であったことがわかります。

 

その山県大弐さんが、「人民を苦しめるもの」として批判、鋭く対峙(たいじ)していたのが、江戸中期から勢威を増してきた「富商」、「初期資本主義」というような「利益第一主義」だったんですね。

 

たとえば、こんな調子・・・

→『~「資本家」というのは天下で最も下賎(げせん)な民である。天下で最も下賎な民でありながら、天下の大金持ちの地位にいる。

 それなのに、うまい肉を食べ軽い着物を着ている。

しかも、思いのままに天下の財貨(ざいか)を投機(とうき)的にに買いだめしたり売り出したりする。

罪はなんと大きいではないか。 ~』(現代語訳のベースは筑摩書房「日本の思想」(1970年刊))

 

ちなみに「資本家」は原文では、「商人」となっていますが、大弐さんのいう「商人」あるいは「富商」は、「資本家」のイメージに近いので、「資本家」と言い換えたほうが、現代では理解しやすいと思いましたのでそうしました \(^^;)

 

また、山県大弐さんは、「士農工商」を身分差別とはとらえておらず、「職業区分」としていたので、ここで言っている「下賎」という言葉も「身分差別」ではなく、あくまでもその「行為」に対する批判から出てきている言葉だということに注意する必要があるかと思います。

 

この「柳子新論」を読みながら、山県大弐さんの生きた時代前後の「年表」を見ていて気がついたのですが、商業資本(初期資本主義)が発展して行くにつれ、大きな「飢饉(ききん)」が発生するようになっているんですね。

享保の飢饉(1732年)→宝暦の飢饉(1753年~1757年)→天明の大飢饉(1782年~1787年)→天保の飢饉(1833年~1839年)など)

 

昔の「飢饉」が自然災害だけによるものではなく、支配者の政策による「人災」の側面があったことは近年指摘されていますが、「資本主義」の勃興と「飢饉」の関係を論じたものは、あまりないようです。(わたしは見たことがありません)

 

飢饉では何万、何十万という農民、民衆が餓死(がし)したわけですが、(当然のことながら?)官僚(仕官している武士)や富商はひとりとして餓死していません。

それどころか、彼ら(=富商やそれと結びついた官僚)は飢饉のたびにその資産を富み加え(「倍加」させ)ているのです。

 

「人民の不幸は資本家やそれと結びついた政治家や官僚の幸福」という資本主義の「法則」が既にこの時代に現れているわけです。

 

近・現代ではさらにそれ(※1)が「人為的」にやられるようにさえなっているようですが、それが人々に認識されるようになったのは最近のことで、2007年に出版されたナオミ・クラインさんの「ショックドクトリン」が文字通り世界の人々に「ショック」を与えたのは記憶に新しいところです。

 

おっと、少し行き過ぎましたか・・・

 

とにかく、この山県さんの著作は時代の制約は当然あるものの、それを突き抜けている部分も多くあるように思えました。

 

こんなところとか↓

 

『すべて損得勘定の立場に立ち、朝廷をけがし官界をけがし、みだりに人民と利益を争い、かみは権勢をもっている人にくっつき、しもは商人から支配を受け、天下の財貨が日一日と流通せず、食糧が日一日と不足するようにしむけ、~』

『努めて自分の国を弱くし、努めて自分の人民を貧しく~』

しているような?現代日本の政治家、官僚、(経団連などの)資本家は、この「柳子新論」を読んで山県大弐さんに学ぶべし、

と思うんですけど、・・・読むわけないですよねえ(笑)

 

もし現代に山県大弐さんが生きていたら、今の日本の状況を「亡国亡民への道」と断じていたんじゃあないかとわたしは思います。

 

「柳子新論」の出た1759年は奇しくも、商業資本をバックにした田沼意次(たぬまおきつぐ)が幕府の実権を完全に握った年でもありました。

山県さんにとって「最悪」の体制が現れたわけです。

 

「柳子新論」はその末尾で

「この書は家の庭を掘ったら出てきた石函の中にあったもの」

と書いて、煙幕を張っていましたが、

大弐さんは、田沼時代の真っ只中である1767年に、謀反事件にかこつけたフレームアップ(※2)によって逮捕、斬首されてしまいます。

 

それでも昔の民衆というのはたいしたものですね。

「罪人」として斬首されたにも関わらず、その学識と人格を慕って山県さんの故郷である甲斐の国(山梨県)に山県神社を建てます。(追注!)

 

その神社は現在もあり

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学問の神さまとして、山梨県の「天神様」のような存在になっているようです。

 

わたしもお参りしたい!

できれば氏子になりたいですねえ・・・ \(^^)/

 

 

 ※1 災害、戦争、不況、恐慌 等々・・・近年ではあからさまとも言える「経済封鎖」とか。。

 

※2 フレームアップ → 事件を捏造(ねつぞう)して犯人に仕立てあげて逮捕したりすること。でっちあげ。でっちあげ逮捕。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追:田沼意次の政策は商業資本による「内需拡大策」だったわけで、当時の情勢から見れば、必ずしも悪い政策ではなかったように思えます。

少なくとも、消費税増税に象徴されるように、国民の血(富)を吸い上げ、その身体を冷やすような、ここ最近の政治、政治家よりはマシな為政者だったんじゃないでしょうか?

しかし、金権腐敗政治によるモラルの低下は甚だしく(田沼意次の息子で若年寄りだった意知(おきとも)もその横暴と反モラル的な行為が原因で、城内で斬り殺されています)、

また、飢饉の頻発で民衆の怒りが最高度に高まり、田沼意次は非難の嵐の中で失脚した、

というのはご存知の通り、です。

 

さらに追:

あと、(柳子新論で)「易経」から、

益卦(えきか)のシンボル〈 陽陰陰陰陽陽 〉は「上を減らして下に増す」を意味し、

損卦(そんか)のシンボル〈 陽陽陰陰陰陽 〉は「下を減らして上に増す」を意味している、

と判じているのもいいですねえ。

現代でいえば、「富裕層ばかりを富ませる」ような格差拡大策は天下の「損」で、庶民貧者・弱者に富を回す「格差縮小」策は天下の「益」だということです。

 

これは「天地の原理」だと。

 

学識の深さも窺われます。

 

追注!

山県神社は明治天皇の意向を受けて、大正時代に建てられたものとか。

明治天皇山県大弐に相当な思い入れがあったようで、明治13年の山梨巡幸に際して、山県大弐の祭祀料を賜り、当時今の新宿区にあった大弐の墓に勅使を派遣した、とあります。

明治天皇山県大弐の「柳子新論」を読んでいたのではないでしょうか?

 

ただ、地元では山県神社の元になるようなものがあったのではないか?とも思いますので、記述はこのままにしておきます。

 

ただ、江戸時代は、どうやら「柳子新論」は禁書扱いだったようで、吉田松陰もこの書を極秘に読んだ、というようなことが書かれているものもあるとか。

 

明治天皇の強い「支持」のあった山県大弐ですが、

昭和に入ると一変、

「抹殺」の動きが出て、昭和10年、ついに山県大弐は教科書から除外されます。

 

文化人や知識人、地元の郷土史家、地元の人たち、などの運動により、山県大弐が教科書に「復帰」したのは、6年後の昭和16年、日米開戦の年でした。(どさくさにまぎれて復帰?)

 

それにしても、明治天皇山県大弐に対する「強い思い入れ」は意外でした。

 

山県大弐の「思想」は「官僚資本主義」へと向かっていった明治政府とは真っ向からぶつかるものでしたから。

 

明治13年・・・明治天皇はどんな「気持ち」だったのでしょう?

 

(しかし・・・・・それにしても、昭和天皇・・・・・・・w)

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

山県大弐さんが主張していた、飢饉に備える食料の大備蓄政策(計画)。

 

その政策が取り入れられていれば、

 

(もちろん、当時の商業資本からは嫌がられます)

 

田沼時代(重商主義)の末期に起きた「天明の大飢饉」での100万人を越えるといわれる餓死者の相当数が救われたと思うんですがねえ。

 

そんな人を処刑しちゃうんだから

 

(現代も似た時代かも・・・

山県大弐さんが突きつけたのは、「金もうけと人の命、どちらが大事か?」

という問題ですもんね。)

 

 

https://youtu.be/Tjd35u16elQ

   ↑ 山梨まで行けないので、

食糧自給率39%、種子の保護の廃止、国民のための公事業、公共施設の民営化、さらには遺伝子組み換え食品、ゲノム編集食品、その他もろもろ?のこの国の先行きを案じつつ、

 こちらの画像に手を合わせます。

 

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参考動画 

 

天明の大飢饉

https://youtu.be/R_tiyqGxAyo

 

昭和天皇

 https://youtu.be/bxpAeRC6rvQ

 

https://youtu.be/dHNX0N867qk

 

https://youtu.be/26Es74b5C0c

 

 

 

↑2,26事件と昭和天皇の関係について詳細に述べられていますね。

こちらの動画は連続して長く続くので、わたしもヒマを見つけて、ぽつぽつ追って見ていきたいと思っています。

 

そろそろ「歴史」としての「昭和天皇」が語られるときがきているのでしょう。

 

うーん。。

 ・・・・・・・

明治天皇」が山県大弐さんを高く評価 → 「大正天皇」の時代に山県神社が建てられる → 「昭和天皇」の時代になって山県大弐さん抹殺の動きが出てくる → 昭和10年、教科書から山県大弐さん削除  そして → 翌、昭和11年、農民、庶民の絶対的貧困の救済を訴えて青年将校・兵士が決起=2.26事件 → 

「君側の奸」といわれた重臣たちは反乱兵の意見を汲むべしとの意見が大勢 → 

昭和天皇が日本をロシアのようにするつもりか、と激怒。鎮圧を命令 → 反乱兵投降 → 重臣たちは投降した将校や兵たちの刑罰の軽減を進言 → 昭和天皇は許さず、青年将校17名と民間の思想家2名を処刑 → 翌、昭和12年、日中戦争開始 → 昭和16年、日米戦争開始 → 日本人300万人の非業の死をもって、昭和20年敗戦。。。

 

「昭和」の飢饉ならぬ戦争禍での非業の死は天明の大飢饉における死者の約3倍、ということになりますか。

 

権力者の「失政」の恐ろしさをわれわれは肝に銘じるべきです。

 

しかし、

それでも、日本人は変わらないというか、この国は変わらないんですよねえ。

 

キーワードは「命」(いのち)。

国民の命を大切にする政治であるか否か、なんですよね。

 

そのことが理解できない人たちが、また、この国の支配層を形成しています。(戦前の昭和への回帰)

 

 

なんだか絶望的な気分のまま後付けが長くなってしまいました。

 

わたしは「右翼」ではありませんが、こちらの動画がよくできているので・・・(^^;)↓  日本が変わらない、という意味でも。

https://youtu.be/e89NqIgQ3DE

 

↑でも、もしこの決起がある程度成功していたとしても、それは彼らが期待した結果にはならなかったと思うんですが、どうでしょう?

 

あと、歌詩はいいんですが、曲調が苦手・・・(どうしてもあの○○車の音量とかが思い出されて・・・?スミマセン)(笑)

 

ちなみに、「戦後右翼」の行動を分析すると、ごく一部の民族派を除いて、間接、直接にCIAの子分あるいは手先だということがわかります。

 

眠れなくなる歌なので、夜より朝聞くことをお勧めします。画像は抜群。