わたしが、なんでこんなにオウム真理教の人たち13人の処刑にこだわるのか?
考えれば不思議ですが、どうにも、処刑された人たちのことが頭から離れないんですね。
13人の霊がまだこの世の近くにいて、そのことをわたしの乏しい霊感が感じ取っているからでしょうかね?
「霊感度フツー」程度のわたしがこういうのもなんですが、彼ら、「悪霊」ではないんですね。むしろ、「善霊」的なものを感じます。
・・・素人が独断でこんな判断をするのは危険だといわれますが・・・「悪いもの」は感じとれないですねえ。
(「そこ」にいるような???でも恐ろしくはないような???)
そういうこともあってなのか、彼ら13人の処刑が「冤罪」によるものであった、という確信が日に日に強くなっています。
歴史を見ると、日本という国は、権力者が多くの無実の人たちを死に追いやった、「冤罪処刑」国家でもあるんですよね。
このオウム真理教13人処刑の前の大量処刑は明治末期の大逆事件(12人処刑)でしたが、こちらも権力の「都合」による「冤罪処刑」でした。
ところで、
松本智津夫氏の遺骨に関して、彼の四女の後見人になっている弁護士さんが、
「遺骨はパウダー状にして海に散骨したい」
というようなことをおっしゃっていました。
どういう意図で言われたのかはわかりませんが、そのことを聞いたとき、わたしの頭には、ふと、「長屋王」のことが浮かびました。
「長屋王」というのは、天武天皇の長男である高市皇子のさらに長男という、天武天皇直系の人で、8世紀の始めころの日本政界のトップ、天皇に次ぐ位置にいた人です。
これほどの位置にいた人でも、「冤罪」攻撃をかけられるとひとたまりもなかったんですね。
という「密告」によって、あっというまに滅ぼされてしまいました。
この「密告」については、日本書紀の後継「正史」である続日本記が「誣告(ぶこく)」としていますから、国も認めた冤罪であったわけです。
この冤罪事件の黒幕は藤原不比等の子どもたちである「藤原四兄弟」。
長屋王滅亡の後、長屋王に変わって政界のトップの地位についたのは四兄弟の一人である藤原武智麻呂でした。
なぜ、ここで長屋王のことが頭に浮かんだかというと、殺された(自害した?)長屋王の骨が、やはり焼かれて砕かれたあと、海に撒かれた、という伝説?があるからです。
このとき、遺灰が土佐の海岸に流れ着き、土佐に疫病が蔓延した、という話しが残っています。
(権力争いに関係のない庶民には迷惑なはなしですが、「国」のケガレのとばっちりを食った、ということでしょうか?
じつは今回のオウム真理教の件についても、わたしは「いやな感じ」がしています)
「長屋王の変」の八年後には、事件の黒幕であった藤原四兄弟が天然痘によって一年のうちにすべて死に、「長屋王の祟り」がいわれました。
天智天皇(高宗) - 藤原鎌足(王文度)の関係から始まった「藤原氏」ですが、天武ー持統系の血統の天皇が続いている間は、けっこう苦労の連続でした。
権勢を誇った、武智麻呂の息子、藤原仲麻呂も称徳天皇によって滅ぼされています。
しかし、称徳天皇の死後、皇位継承権の無かった天智系の大納言を天皇にするクーデターに成功(光仁天皇)。
その際、天武ー持統系の血統は断たれます。
(ここで、(この後ずっと続く)天智系天皇+藤原氏の体制が確立します)
称徳天皇の姉妹とその子どもたちも殺されてしまいますが、藤原氏がその(隠然たる)「処刑」理由にあげたのが、「呪殺」(をしようとした)。
もちろん「冤罪」です。
光仁天皇の「格上の」正妻であった井上親王とその息子の親王(どちらも父親と違って皇位継承権があった)も「光仁天皇」を呪殺しようとしたとして「逮捕」、暗殺されてしまいます。
(自分の正妻と実の子どもを殺させたという点では、徳川家康の先輩ともいえるお方ですね)
このように、「呪殺」を理由とした冤罪作りは、このころの藤原氏のお得意技と言って良く、非常に効力を発揮しましたが、いまここであげた「冤罪犠牲者」の人たちが、すべて熱心な仏教徒だったということは、注目に値します。
仏教による呪殺。
ありえないようでいて、案外、あるんですねこれが。
オウム事件に戻って、
わたしが不思議に思っているのは、オウム事件でしきりに言われた「ポア」って「呪殺」のことじゃないか?ということ。
オウム真理教はチベット仏教の影響が大きいようですけど、チベット仏教でいう「ポア」は「神」に祈ることによって、「悪人」を文殊菩薩の浄土に送り届けること、のよう。
この素人のわたしにさえわかることが、ヨガやチベット仏教のプロ?であるオウム真理教の人たちにわかっていなかったはずはないんじゃないでしょうか?
なんで、「呪殺」を試みずに、「毒物(ガス)」なんて撒いたの?って話しですよ。昔のチベットでも「毒殺」は最低の行為、とされていたんじゃなかったっけ?
その(宗教的な)面からも、不思議な事件としかいいようがないですね。
(チベットでも「呪殺」は良くないこととされ、ずいぶん前から禁止されているようですが、だからといって「毒薬(ガス)」はないんじゃないですかねえ???)
ちなみに「呪殺」といえば、日本では不動明王の姿を思い浮かべる人が多いようですが、「呪殺」で祈る「神」は日本では「大威徳天」であるようです。
「大威徳天」は日本では水牛に乗った姿で描かれますが、本場?チベットでは、頭自体が水牛です
この大威徳天に祈る(ってポアする)ための「修行」はとても仏教徒は思えない、「特殊な性交」等、「破戒」の限りを尽くした、すさまじくもおぞましいものであるようです。
このあたり、「性と呪殺の密教 - 怪僧ドルジェタクの闇と光」(正木晃・著)に詳しいようです。(また読んでみます)
「呪殺」といえば、(宗教屋さんではない)日本のお坊さんも、公害をふりまいたり、放射能を撒き散らしたりしている資本家や権力者さんに対する「呪殺」のパフォーマンスをやっておられましたが、
本来、本格的な「呪殺」からみれば、あれは「戒め」「お叱り」みたいなもので、お坊さんの一種のジョークといっていいんじゃないでしょうか?
ともかく、いましばらくはオウム真理教の13人の処刑(そのほかの冤罪処刑)のことから頭が離れないようです。
(彼らの四十九日くらいまで?)
ともかく、事件の「犠牲者」、処刑された人たちの冥福と成仏を祈りつつ
ここは
【南無シャカムニ仏】
ということで
(大威徳天のマントラ?は、聞いていても少しコワイです(笑))