何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

オウム13人処刑の問題について

は、いいかげんに一区切りつけたい。

と思っているのですが、なかなかこのことから離れられないのは、この問題がわたしたち日本人の「存在」、というか「あり方」と深く関わっている、と考えるからであって、

 

オウム真理教に対する宗教的シンパシーによるものではないのです。

 

ということで、またその話しになるわけですが(笑)

 

「日記」でもとりあげた「獄中の麻原彰晃」という本のなかで、拘置所で麻原氏の世話をした、という人が、

「刑務官の支持で、かなり大量の薬物を麻原氏の飲むお茶に入れていた」と話しています。

さすがに疑問を感じたので、刑務官に「何の薬か?」聞いたところ、刑務官は睡眠薬だ、と答えたそうです。

また、「注射」もときどき行われていたらしい。

 

「薬物」に関しては、麻原氏の意識がまだはっきりしている頃、裁判で麻原氏自身がそのことを訴えていて、「ヘロイン」ではないか?と言っています。

 

これを読んでわたしが思ったのは

「なんだか日本のことではなく、外国のスパイ小説ようだなあ」

ということ。

 

? !この「外国・・・」というフレーズで、わたしの頭に浮かんだのが、1978年にあったアメリカの「人民寺院」事件

f:id:hibi333zakkan:20180912104320j:plain

 

「・・・あっ。似てる」

 

中央のサングラスの人物が人民寺院(ピープルズ テンプル)の「教祖」、ジム・ジョーンズ氏です。

常にサングラスをかけていたのは目が悪かったためでしょう。

こんな点も麻原氏に似ています。

 

キリスト教の牧師だったジム・ジョーンズ氏の宗教と、麻原氏の仏教に基づく宗教。

基本となる宗教は違いますが、「弱者救済」を強く打ち出した、その教団の「社会」に対する姿勢、教団の展開、権力に追いつめられ破滅する結末、は瓜二つといっていいほどなのです。

 

人民寺院」に関しては、「世界最悪のカルト」という評価が定着していて、情報も徹底してネガティブなものばかりなため、実際のことはほとんどわからない状態なのですが、

「図説 自殺全書」(マルタン モネスティエ 著)に教団の「教義」に関することとジム・ジョーンズ氏の言葉がいくつか載せられていますので、そこから抜書きさせてもらいます。

(こちらもかなり偏った見解(=ジム・ジョーンズは共産主義者である)に基づいているのでその点割り引かなくてはならないのですが、他の情報よりはマシなので)

 

→『この神秘主義者(ジム・ジョーンズ) - 悪魔や罪の中ではなく、社会やテクノロジーの中に敵を見る者 - は、自らをキリスト、レーニン毛沢東の再来だと称するに至った』

 

ジョーンズは数年間人種差別や麻薬と闘い、高齢者のために運動し、貧窮者に無料で食事を与えていた。

~ 一人の息子の他に、有色人種四人を含む、七人の子どもを養子にしている。この種の行為にある種の勇気を必要とした時代に』

『彼はまた、法が人種差別を禁じる以前に、映画館やレストランのオーナーに対して、黒人にも門戸を開くよう説得している』

 

人民寺院は教会を買い取り、膨大な数の信者を新加入させた。

~この時期(1971年頃)人民寺院は、診療室、託児所、建具造作製造場、印刷所、毎日数百人の人間に無料で食事を与え続けるための厨房をもっていた。

当時の信者は三万人と推定される』

 

『信者の素性は実に多様だった。

黒人、障害者、もちろんあらゆる貧困者など。

~大部分は弱者だが、理想主義者やアメリカの知識人の典型ともいえる人々もいた。

公民権のために闘ったかつての闘士、ベトナム戦争の生き残り、自国で見いだせなかった理想の社会を熱望する夢想家。』

 

『彼(ジム・ジョーンズ)の話はマルクス主義の原理と宗教的な呪詛を奇妙に混ぜ合わせたものだった。

信心深い人には宗教を与え、イデオロギーを信じる者には政治を与える。単純な人や無知な人には奇跡を与える。

そして、すべての人に、希望を与える』

 

以上、「人民寺院」についての、「ネガティブ」でない部分を抜き書きしてみました。

 

「ネガティブ」なものは、オウム真理教におけるこの国の「報道」を思い浮かべていただければいいかと(笑)脱会をめぐるトラブルとか殺人事件等、こちらもそっくりです。

教団への攻撃がマスコミから始まったのも同じです(オウムではサンデー毎日?、人民寺院ではニューズウィーク?など)。

 

(結末は、「教祖を含む900人以上の集団自殺」(人民寺院)、「サリン?事件→教祖を含む教団幹部13人の処刑」(オウム真理教)と、異なっていますが、)

 

あと見逃せない共通点としては、ロシア(オウム真理教)、旧ソ連としてのロシア(人民寺院)。

 

人民寺院旧ソ連を「約束の地」として移住を計画していたし、オウム真理教ソ連崩壊で生活に苦しむロシア国民の間で「救済」を語り、信者を増やしていったのは周知のことです。

 

ちなみに、現代のロシアはオウム真理教を「禁教」としているようですが、

旧ソ連人民寺院集団自殺の際こんな「声明」を出しています。(同書)

 

→『ジム・ジョーンズはガイアナのジャングルで暮らす反体制者だったが、アメリカ当局が彼とその信者に制裁を加えるために、その地まで襲いかかってくるのではないかと恐れていた。

アメリカ社会の特徴であるあらゆる議論の抑圧。それが彼らすべての死の原因である』

 

・・・オウム真理教事件に関して、われわれは国内にしか目が行かないのだけど、国際的というか、世界的な視点を持つ必要もあるのではないでしょうか?ね?

 

追:

麻原氏は「第三次大戦で殆んどの日本人は殺される」ということで、そのときの「防衛」のために教団の武装化を計画・実行していたようですけど、

ジム・ジョーンズ氏もこんなことを言っています

→『必ずやいつかアメリカを襲う核による大虐殺、ファシストによる専制、に耐えて生きのびることができるように、あなた方(信者)は準備しておかなければいけないのだ』

また、「人民寺院」の信者は、アメリカに帰れば自分たちには「拷問」と「虐殺」が待っているだけだ、と信じていたということですが、

日本でのあの13人処刑を見ると、あながち荒唐無稽とも思えなくなってしまうんですよねえ・・・            恐ろしい・・・

 

f:id:hibi333zakkan:20180912125749p:plain

                        

                              f:id:hibi333zakkan:20180912125957j:plain

 

 

「日記」の表題を少し変えました。

今までずっと「hibi333zakkanの日記」でやってきたのですが、それを「ひぐらし無常(hibi333zakkanの日記)」

f:id:hibi333zakkan:20180908114125j:plain へと変更\(^^)

これからもよろしくお願いします。

 

あと、お仲間ブログの「osantati12345」も

『おっさんやじいさんが過激に語り合うブログ』

なるものに「舞台」が移行?(笑)

よろしければ見てください(^皿^)

 

最近よく、「政治が悪いと天災も多い」という内容の言葉を耳にします。

 

たしかに、日本の歴史を見ても、体制の激変期やそのすぐ後に大きな地震や火山の噴火の起きていることが多いようです。

 

日本書紀を読むと、「日本」の創生に関わる天智・天武期が地震など天変地異の活動期であったことが窺われますし、

その後の持統ー天武朝の終わり、なかんずく持統天皇の血統がこの国から完全に消えた後に富士山が噴火、活発な火山活動がしばらくの間続きました。

 

人間界の政治が悪いから「自然」が怒るのか?「自然」が不安定だから政治も悪くなるのか?

 

そのあたりのところはわかりませんけど、古代の天皇などは天変地異による災害を自分の責任として受け取り、その被害者の救済もそのような姿勢で行っていました。

 

いまの為政者(政府・政治家)のように、被災した民衆に対して恩着せがましかったり、被災者を平気で切り捨てたり、

あるいは、「災害」を経済的チャンスとみて、利権をむさぼったり、

というのとはずいぶん開きがあるようです。

 

「権力」の裏にあるのは「責任」

このことが、現代ではほとんど忘れ去られているようです。

 

権力者である大富豪(財)、政治家、官僚、メディアが結びついて、分断された民衆を専制支配し、富と権力をむさぼる。

いまの日本ではそんな構図がしっかりと出来上がっているように見えます。

 

その上での「改憲」。

基本的人権の尊重」「民主主義」「平和主義」こういった国民(民衆)の側に立った日本国憲法を、いまの「権力者」さんたちに変えられれば、日本国民には何が残るでしょう?

 

「彼ら」に「憲法」を自由にされていれば、いずれ「日本」は滅びる、のではないでしょうか?

 

「日本の滅び」のあと、それらをやった「権力者」さんたちは、世界的(グローバル)富豪として生き残るのでしょうが、われわれ庶民はどうなるのか?

 

(「日本」は明治クーデターによって既に終わっているという意見もありますが・・・これはまた)

 

「日本」創生のころ、

「倭」の滅び=高宗(のち天智天皇)・王文度(のち藤原鎌足)による「新王朝」

~ 持統・天武朝(武后系) ~ 天智系天皇藤原氏貴族体制確立、の頃の歴史を見ることによって、

現代の「その後」の日本人民衆の運命をも「予測」できれば、と思っています。

グローバリズムの問題も合わせて)

 

ともあれ、「日本人」というひとつのカタマリとしては、「倭」から「日本」への移行時以上の危機的状況が到来していることは間違いないようです。

 

誤ったナショナリズムや(外国機関も加わった?)工作的エセ右翼活動などを乗り越えて、日本人が事実・真実を直視し、より良い方向に進むことのできるような「歴史の見直し」になれば、と思っています。

 

hibi333zakkan.hatenadiary.jp

 

日記の「表題」を変えたらgoogleでまったく検索できなくなってしまいました

(^^;)

わたしの「日記」へは上記のリンクから行ってください(汗)

 

 

 

 

【別の民族の成りすましが国の支配者層

を形成する】

などという陰謀論まがいの話が最近の日本でささやかれているそうですが、「歴史」を見れば、別段これは珍しいことでもなんでもない。

「他民族による支配」というのはむしろあたりまえのこと、と言っていいんじゃないでしょうか?

 

珍しい、あるいは変わっているのは「成りすまし」という部分だけでしょう。

これは民衆が「国」「民族」を強く意識しはじめた近・現代の特徴だと思います。

 

昔は他民族が堂々と別の民族を支配していました。

ヨーロッパ、中東地域は言うに及ばず、中国でも歴代王朝は漢民族よりも「異民族」によるもののほうが多い。

 

日本も「万世一系」云々といった「フィクション」はともかく、「日本」という国はその始まりから「異民族支配」です。

 

これはわたしの持論ですが、日本はまず「天皇」制ができ、その後に「日本」という国ができた。

その際、あるいはその後しばらくの間、朝鮮半島や中国大陸から多くの人あるいは部族が「日本」に来て、その人たちが「支配層」を形成していったわけです。

 

(異民族)天皇 - (異民族)支配層 - 旧来の土着日本人

というヒエラルキーです。

 

「異民族支配層」というのは、「源」「平」「藤」「橘」といった姓を朝廷からもらった一族で、その元はすべて渡来民です。

日本の苗字のほとんどはこれらのいずれかに属する、ということになっています。

 

だから、たとえば江戸時代に、氏姓を名乗れるというのは、潜在的に「渡来系」であるということを誇っていたわけで、それのない「くまさん」「八っつあん」「ごんべ」さん、なんてのが「原日本人」を「主張」?していたわけです(笑)

 

「旧来・土着の「日本」人」はバカにされる存在?

 

なんだかそんな潜在意識が日本人にはあるのかもしれませんね。

 

天皇制」以前の「倭」の時代に遡っても、「倭」の大王=蘇我氏は中国大陸にその始原を持つ「渡来系」です。(「倭」じたいがもともと中国大陸南部の部族)

さらにその前も、「夏」由来の民族がこの国の支配的部族であった(中心的部分を支配していた)といわれています。

 

つまり、この国は、後からやってきた有力部族が、それまでの支配勢力、「土着民」を支配していく、といった歴史の積み重ねでできているわけ。

 

だから今さら「異民族支配」云々を言って支配層を非難しても、その効果は薄いわけです。

実際、いまの日本も財・政・官といった支配機構の深いところまで(なりすまし)「異民族支配」が確立していて、「原日本人」たる庶民が「権力」を主張できる余地は無くなっているように見えます。

東京大学法学部を頂点とするヘンサチ教育そのものが「異民族」のための教育ですしね←原日本人=庶民を差別するための)

 

ただ、現代において進行する「異民族支配」の問題点は、それが「冷酷」「残酷」で、原日本人=庶民の滅びも辞さない体制だ、ということですね。

これは「成りすまし」ということの弊害であるともいえます。

 

いまの日本の(なりすまし)支配層(者)は、潜在的に日本人を「憎悪」しているのではないか?

 

自分たちの銭勘定(儲け)ばかりを優先して、日本人の生命、生活に対する関心が薄い、というか、そのことに対する「感受性」そのものが無いようにも見えます。

老人、障害者、災害被害者、貧者などの日本人弱者に対しての「敵意」に近い虐待ぶりがそのことをよく現しています。

 

「異民族支配」といっても、中国などを見ると、「異民族支配者」はそのことを意識するが故に?善政を心がけたということがある。

ともに末期には「悪政」になってしまったとはいえ、中国における二大善政王朝というべき「唐」「と「清」はともに異民族王朝です。

 

元祖「成りすまし」?の「日本」の「天皇」も異民族支配ヒエラルキーを構築する反面、「善政」を心掛けていました。

(土着日本人である「百姓(ひゃくせい)」を「宝」と言っていることなど)

 

天皇が招来した多くの渡来人は、天皇の家来としてこの国に定着したわけです。

(だから、たとえば関東に住んだ渡来系の武人(源氏や平家の元になった)は厳しい条件で防人として九州などにも行きました)

 

ともあれ、現代が「日本創始」のころのような「激変」の時代を迎えていることは間違いないようです。

もし、「日本」の始まりのころの支配者が「善政」(=「唐」の善政がモデル)を志すのではなく、残虐な「悪政」を行っていたとしたら?

・・・たぶん、わたしたちのほとんどは、今ここに存在していなかったでしょう。

 

現代・現在の国、社会の状況も、そのころのようなきわどい局面にあるのだということを、わたしたちは強く意識しなければならないのですが

・・・どうも、支配者・支配層も、庶民も、あまりいい状態ではないように思えます。

 

ともあれ、いまこの国の「歴史」を見直し、それを現状の理解に資する、そこから現状打開のヒントを得る、という作業は大切なことだと思います。

わたしも自分なりに納得できるよう、細々と、そういった作業を続けて行きたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

人が宗教や占いにはまるのは不運なとき、

というのが相場ですが、このところ宗教や占いにのめりこみ過ぎているわたしも、たしかに不運というか、調子の良くない状況が続いています。

 

いまは前回のブログで触れた「宿曜占星術」なるものに、プチはまっています(笑)

 

麻原彰晃氏の「星回り?」に少し驚かされましたもんね。

あれで見ると、上川陽子氏が法相になった時点で、麻原氏の運命は極まった、ということだったんだなあ、と、それなりに納得がいきます。

 

ただ、師 - 弟子 - 妻が「壊」だったからといって、それが即「凶」ということではないんですね。

この場合、まったく人間的な交流のなかった「法相」と違って、

師・弟子・妻にとっては麻原氏は「安」。つまり安心してお付き合いのできる良い相性の人で、これを「安」-「壊」の関係というそうです。

 

この宿曜占星術の面白いのは、「相性」ということを考えたとき、「双方にとって良い」「双方にとって悪い」というのではなく「片方にとっては良くないかも知れないが、もう片方にとってはその人は良い相性」ということをいっているところです。

(「相性の悪い相手だから夫婦になる。相性が良い同士の結婚はむしろ珍しい」というのは、奥が深いですねえ・・・)

 

だから、「安」-「壊」の関係で言えば、「安」に対して「壊」の人は、「折れる」あるいは「従」えばいいわけです。

(自分にとって「壊」の人は、その人にとっては(こちらは)「安」になるそうです)

 

そこから見ると、麻原氏にとって「師」であるダライラマ十四世との関係は問題なく、「壊」である妻との関係も、「安」である自分(麻原氏)が「折れれば」、うまくいくわけです。

 

ただ、「弟子」である井上氏との関係は、やや難しいものがあったと思いますね。

それでも長年うまくいって、双方にプラスであったように見えるはの、おそらく麻原氏が弟子に対して一歩譲るとか、持ち上げてあげる、という努力をしていたからではないでしょうか?

 

最後の最後で、井上氏の麻原氏に対する「運の力の強さ=優位」が出て、その関係のバランスが崩れた、ということだったのかもしれません。

 

特大級の「不運」は「(不運を)みんなまとめた」かのように襲って来ますからねえ。

 

わたしにもこれまでの人生で一度だけ(何度もあっちゃたまらない)そんな「特大級不運」のときがありました・・・、

 

わずか2ヶ月くらいの間の出来事だったのですが、

可愛がっていた外ネコ(いちおうわたしの飼い猫。性格のいいオスでした)が何者かに切り刻まれるような死に方をしたのを皮切りに、住居トラブルで次の住居も決まらないまま住居を出ることになり(ビジネスホテルなどを転々)、そんな半ホームレス状態のときに母と二人の兄が亡くなり、仕事上の事で警察に引っぱられました(しばしの留置場暮らしで、兄二人の葬儀には出席できませんでした)。

 

当時、身体だけは頑健そのもので、命は亡くしませんでしたが、精神的には打ちのめされ、

一生に一度(?死ぬのを不運というなら、一生に二度かな?)の、まったく身動きのできない、なすすべもない、特大級不運のオソロシサは骨の髄まで沁みました。

 

そのころのわたしは生活が乱れ気味で、行いも感心できるものではなかったので、それが「超不運」を招き寄せたのかな?とも思いますが、

じつは、若い頃、ひやかし感覚で街頭の占い師さん(30歳代くらいの女性)に運勢を見てもらったとき、「その年代」での「大破滅」を指摘されていました。

 

そのとき、その占い師さんは「ハッ」という顔をして、暗い表情でそのことを言ったのですが、「破滅」があるということを指摘しただけで、それを防ぐにはどうすればよいか?などのアドバイスは無し、というか

「避けえぬ運命」というという感じだったんですけど、それじゃあ、占いが当たってもどうにもならない(悲)

 

その不運がやってきて、しばらくたったあとでその「占い」を思い出したのですが、なるほど、当たる「占い」というのもあるんだな、と思いました。

 

そういうことがあるから、

インチキ、詐欺師の「占い師」というのも出てくるんですね。

高額な占い料を要求したり、高価な「災難よけ」グッズを買わせようとするような人は要注意だと思います。

わたしが「たしかに中(あた)った」と実感した唯一の占い師さんであるその女性の「見料」は3000円ポッキリでした。

 

それにしても、「解脱者」「超能力者」といわれていた麻原彰晃氏でさえ?避けることのできなかった「不運」、「運命」とは恐ろしいものです。

 

「どうすりゃいいの?」

って話し。

で、そこに(麻原氏を尻目に?)「宗教」がやってくるんですよねえ(笑)

 

人の不運と宗教は表裏一体のようにも見えます。

 

不運に対する考え方、対処のしかたにはそれぞれの宗教によって違いがあると思いますが、

この「不運」の問題を教義の中心にすえて、「宿命転換」ということを言っている宗派が日本にはあるようで、創価学会顕正会といった日蓮正宗系の「教団」はとくにそのことを強調しているように思います。

 

この「不運からの脱却」「宿命転換?」という「教義?」を教団の中心に据えることは、教団の拡大には大きな力となり、実際、創価学会顕正会などの「宿命転換」をいう教団は勢いもあり、結束も強いようです。

 

ただ、「宿命転換」とはいうものの、それは「タイヘンなこと」だと思うんですけどねえ(外部の者がこんなこと言うと怒られるかな?(笑))

「特大不運にやられた」経験のあるわたしには、なかなか理解し難いというか、承服し難い(笑)話しではあります。

 

それでも、「宿命転換」というか、それに限らず、「宗教」を信じることによって救われた、という人が多いのも事実です。

だから、わたしは「宗教」を一方的に悪者とする考え方には同調しません。

 

わたしの亡くなった父は生前

「自分は無神論無宗教だが(先祖からの宗教を慣習的に継承しているだけ)、宗教を信じている人を悪くは言わない。宗教というのはどこの宗教でも良いことを言って、良いことをしようとしているのだから、尊敬しなくてはいけないんだ」

とわたしに話したことがありますが、

わたしも基本的に父の路線を継承しています(父の話とは関係なく、わたしの考えで)。

 

ただ、戦争の時代を経験した父は生活でも仕事でも、残酷、冷酷というか、厳しい現実を多く体験したために「無神論」になったようですが、わたしは「無宗教」ではあるけれど、「無神論」ではありません。

 

ともあれ、「宿命転換」ということについて、これまでのわたしの人生経験上、「運命」「宿命」は確かに変えることができる、と考えます。

ただ、それは、「お題目をあげる」ということだけではなく、「環境」を変えることによって(「も」と付け加えておきましょう(汗))

 

人間の運命というのは周囲の環境、社会制度、政治などによって大きな影響を受けているわけで、それが変わることによってわたしたち一人ひとりの運命も大きく変わって行くからです。

 

たとえば、もし、資本主義から、共産主義へと政治体制が変わったらどうでしょうか?

私たちの運命、宿命も劇的に変わる、と思いませんか?

そこまで行かなくても、ちょっとした政策の違い=内閣の交代、あるいは政権の交代によってもわたしたちの運命には微妙な違いが生じるでしょう。

 

「環境」に働きかけ、「環境」を変えることによって、わたしたちは「自分の運命」を変えることができる。

いままで「不運」と思っていたものが、じつは「環境」によるものだった。

 

このことを、もっと、わたしたちは考えなくてはいけないと思います。

「ただ、お上の方針で流されているだけでは、不運な人はずっとそのまま」である可能性が強いということです。

そして、それ(大きなものにツブサレルこと)を「運のオソロシサ」と思い込んでいるんですね。

 

現状維持で「不運脱却」「宿命転換」を主張されている宗教団体さんは、「集団の力」でこの社会を乗り越えようとしているようにも見えるのですが、これもまた

そのことによって周囲の)「環境を変えている」ということではないでしょうか?

もちろん、「信仰」ということも大事でしょうが。

 

またまた、とりとめもなく長くなってしまいました。

ともあれ、「宗教」にしろ「占い」にしろ、インチキ詐欺師にはくれぐれもご用心、ということで。

不運なときは、悪いことや悪人も寄って来るんですよ。

ちょっとしたことで「妄信」に陥らないよう、くれぐれも注意してください。

では

f:id:hibi333zakkan:20180824020025j:plain
f:id:hibi333zakkan:20180824020144j:plain

                                

                        f:id:hibi333zakkan:20180723232926p:plain

占いは「あたるも八卦あたらぬも八卦」、宗教は「助かることもあれば助からないこともある」

ということで




 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと気分を変えるために散髪して

きました。

                              f:id:hibi333zakkan:20180821235154j:plain

暑いと散髪屋さんに行くのもおっくうで、伸び放題だったのですが、刈ってもらってスッキリ、さっぱり。

夜風にふかれつつ、気持ちよく帰ってきました。

 

つつましくとも、不安や圧迫感なく平和に暮らせれば、庶民は言うことないんですけどね。

 

この国の政、財、官などのエライさんたちはそれを許してはくれないようで・・・

“どうしてそんなことをするのかねえ”というようなことばかりをやってくれます。

 

この夏の、オウム真理教13人処刑も、そんなことのひとつだったでしょう。

 

この13人処刑については、半ば公開処刑気味にテレビなどで、「処刑やっとるぞー」みたいな情報を流しましたが、

 

処刑以後はテレビなどのメディアは、「そんなことあったの?」という感じで13人の処刑に触れることは無くなり、ネットでも、さらなる「事実」の究明、大量処刑への批判などは見ることが少なくなりました。

 

「殺してオシマイ」「国民はおとなしくしてろ。いらないことは考えるな」ではいけないと思うんですけどね。

でも、いまの日本では、こういうことを言うだけで、異端扱い。

エライ国になってしまったものです。

 

ネットでもすっかり少なくなってしまったオウム真理教13人処刑に関する情報ですが、このあいだ検索していると、「占い」によって、処刑された13人の人間関係を「分析」しているサイトを見つけました。

 

「宿曜占星術」なるもので、12人の「弟子?」たちと麻原彰晃松本智津夫)氏の「相性」を見ているのですが、それによると、

12人の弟子たちは一人を除いて、すべて麻原氏とすごく相性がいい。

「こんなに“相性”のいい人たちばかりを集めているのは、驚き」

ということでしたが、ただ一人、この「占星術師さん?」が触れていない人物がいる。

「?」と思ったので、「宿曜占星術」のサイトを点々と「訪問」しながら、この人と麻原氏の「相性」を見ると、

「なるほど」

 

宿曜占星術では「壊」という、下手をすれば自分がぶっ壊されてしまう危険な相手ということでした。

 

・・・麻原氏にとってその「壊」の相手は、側近中の側近だった井上嘉浩氏。

あるサイトによると、

「この壊の相手を「部下」に持つと、特に危険」ということでした。

上司とか同僚が「壊」だと、それほどでもないらしいですが・・・。

 

要は、自分にとって「壊」である人は、自分に対して非常に強い運勢を持っているので、それを「部下」にすると、自分が負けてしまって、「破戒」される恐れがある。ということのようです。

 

たしかに、井上嘉浩氏の「証言」の数々が、麻原氏を追いつめたことは否めないので、この「宿曜占星術」は当たっていた、といえます。

 

それにしても、井上氏が、自分が「証言」を変えれば、すぐにひっくり返せるような「嘘」をいっぱいつき続けたのはなぜか?

このあたりが、理解できないのですが、それなりの「思惑」が井上氏にあったことは間違いないと思います。

しかし、井上氏が麻原氏に対して「壊」であったため、その「思惑」も「凶」となってしまった、ということではないかと、わたしは想像するのですが・・・

 

ちなみに、この「宿曜占星術」というのは、日本では弘法大師空海が中国から持ち帰った「宿曜経」によって始まったもので、「密教占星術」ともいうようです。

 

この井上氏の持っていた、麻原氏(「井宿」)に対する「壊」の「宿」は「軫宿」(しんしゅく)といいます。

全部で27ある「宿」の一つです。

 

「う~ん、麻原氏に対して「壊」の人ねえ」

ということで、   「あの人」

処刑命令を出した上川陽子法相の「宿」を調べてみると・・・・ナント!

「軫宿」!  でした

 

さすがに「ゲッ」と思いましたねえ。わたしは正直、占いはあまり信用していないものですから。

これ、27宿あるうちの一つですから、「証言」の井上氏と処刑命令の上川氏が同じ「軫宿」というのはかなりの確率というか、不思議な符合ではないでしょうか?」

 

こうなると、少しハマッて、それ以外の麻原氏関係の人たちの「宿」をいくつか調べてしまいました。

 

すると、驚く人が「軫宿」でした。

それは、麻原氏が「師」と仰ぐ、ダライラマ十四世。

 

ダライラマ十四世が、チベット仏教を日本に導入しようとした麻原氏の事件に関して、どこか「縛られた」ような感じで、影響力を発揮できなかったように見えたのは、そのためでしょうか?

(しかも、麻原氏たち7人の処刑日はダライラマ十四世の誕生日でした)

 

あと、麻原氏の夫人も「軫宿」。

ただ、こちらのほうは、「壊」との相手との結婚は多い、ということなので、特別どうということはないのでしょう。

宿曜占星術から見ると、互いの結婚相手は「凶」であることのほうが圧倒的に多くて、「吉」同士の結婚は少ない、ということらしいですから。(相性が「凶」だから結婚する?)

 

しかし、27の「宿」があるのに、

最重要の「弟子」と、最大の「師」と、妻がすべて「軫宿」。

そして、処刑命令を出した法相も「軫宿」

 

これでは・・・

麻原氏の「破滅」は「運命」としか言いようがない?

 

背筋に冷たいものを感じます。

 

しかし、よしんば、麻原氏の「破滅」が逃れえぬ?運命だったとしても、麻原氏の弟子たち12人の処刑は、やってはいけないものだったと思いますね。

 

これをやった政府関係者の「罪」は軽くない、とわたしは思います。

まあ、こんなことを書いたら、「抹殺」に近い扱いを受けるのかもしれませんが。

・・・いまの政府、安倍政権は恐ろしく「罪深い」政府・政権であるようにわたしには思われます。

歴史を遡ってみても、日本における国家レベルでのこのような政権は珍しい、というか、「無い」。

 

・・・それにしても、どうしてここまで、国民の生活と命をないがしろにするようなことをやり続けるんですかねえ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オウム真理教とは縁もゆかりもない

わたしが、なんでこんなにオウム真理教の人たち13人の処刑にこだわるのか?

 

考えれば不思議ですが、どうにも、処刑された人たちのことが頭から離れないんですね。

 

13人の霊がまだこの世の近くにいて、そのことをわたしの乏しい霊感が感じ取っているからでしょうかね?

「霊感度フツー」程度のわたしがこういうのもなんですが、彼ら、「悪霊」ではないんですね。むしろ、「善霊」的なものを感じます。

・・・素人が独断でこんな判断をするのは危険だといわれますが・・・「悪いもの」は感じとれないですねえ。

(「そこ」にいるような???でも恐ろしくはないような???)

 

そういうこともあってなのか、彼ら13人の処刑が「冤罪」によるものであった、という確信が日に日に強くなっています。

 

歴史を見ると、日本という国は、権力者が多くの無実の人たちを死に追いやった、「冤罪処刑」国家でもあるんですよね。

このオウム真理教13人処刑の前の大量処刑は明治末期の大逆事件(12人処刑)でしたが、こちらも権力の「都合」による「冤罪処刑」でした。

 

ところで、

松本智津夫氏の遺骨に関して、彼の四女の後見人になっている弁護士さんが、

「遺骨はパウダー状にして海に散骨したい」

というようなことをおっしゃっていました。

 

どういう意図で言われたのかはわかりませんが、そのことを聞いたとき、わたしの頭には、ふと、「長屋王」のことが浮かびました。

長屋王」というのは、天武天皇の長男である高市皇子のさらに長男という、天武天皇直系の人で、8世紀の始めころの日本政界のトップ、天皇に次ぐ位置にいた人です。

 

これほどの位置にいた人でも、「冤罪」攻撃をかけられるとひとたまりもなかったんですね。

長屋王が仏教左道を使って天皇を呪殺しようとしている」

という「密告」によって、あっというまに滅ぼされてしまいました。

 

この「密告」については、日本書紀の後継「正史」である続日本記が「誣告(ぶこく)」としていますから、国も認めた冤罪であったわけです。

 

この冤罪事件の黒幕は藤原不比等の子どもたちである「藤原四兄弟」。

長屋王滅亡の後、長屋王に変わって政界のトップの地位についたのは四兄弟の一人である藤原武智麻呂でした。

 

なぜ、ここで長屋王のことが頭に浮かんだかというと、殺された(自害した?)長屋王の骨が、やはり焼かれて砕かれたあと、海に撒かれた、という伝説?があるからです。

 

このとき、遺灰が土佐の海岸に流れ着き、土佐に疫病が蔓延した、という話しが残っています。

(権力争いに関係のない庶民には迷惑なはなしですが、「国」のケガレのとばっちりを食った、ということでしょうか?

じつは今回のオウム真理教の件についても、わたしは「いやな感じ」がしています)

 

長屋王の変」の八年後には、事件の黒幕であった藤原四兄弟天然痘によって一年のうちにすべて死に、「長屋王の祟り」がいわれました。

 

天智天皇(高宗) - 藤原鎌足(王文度)の関係から始まった「藤原氏」ですが、天武ー持統系の血統の天皇が続いている間は、けっこう苦労の連続でした。

権勢を誇った、武智麻呂の息子、藤原仲麻呂称徳天皇によって滅ぼされています。

 

しかし、称徳天皇の死後、皇位継承権の無かった天智系の大納言を天皇にするクーデターに成功(光仁天皇)。

その際、天武ー持統系の血統は断たれます。

(ここで、(この後ずっと続く)天智系天皇藤原氏の体制が確立します)

 

称徳天皇の姉妹とその子どもたちも殺されてしまいますが、藤原氏がその(隠然たる)「処刑」理由にあげたのが、「呪殺」(をしようとした)。

もちろん「冤罪」です。

光仁天皇の「格上の」正妻であった井上親王とその息子の親王(どちらも父親と違って皇位継承権があった)も「光仁天皇」を呪殺しようとしたとして「逮捕」、暗殺されてしまいます。

(自分の正妻と実の子どもを殺させたという点では、徳川家康の先輩ともいえるお方ですね)

 

このように、「呪殺」を理由とした冤罪作りは、このころの藤原氏のお得意技と言って良く、非常に効力を発揮しましたが、いまここであげた「冤罪犠牲者」の人たちが、すべて熱心な仏教徒だったということは、注目に値します。

 

仏教による呪殺。

ありえないようでいて、案外、あるんですねこれが。

 

オウム事件に戻って、

わたしが不思議に思っているのは、オウム事件でしきりに言われた「ポア」って「呪殺」のことじゃないか?ということ。

 

オウム真理教チベット仏教の影響が大きいようですけど、チベット仏教でいう「ポア」は「神」に祈ることによって、「悪人」を文殊菩薩の浄土に送り届けること、のよう。

 

この素人のわたしにさえわかることが、ヨガやチベット仏教のプロ?であるオウム真理教の人たちにわかっていなかったはずはないんじゃないでしょうか?

なんで、「呪殺」を試みずに、「毒物(ガス)」なんて撒いたの?って話しですよ。昔のチベットでも「毒殺」は最低の行為、とされていたんじゃなかったっけ?

 

その(宗教的な)面からも、不思議な事件としかいいようがないですね。

チベットでも「呪殺」は良くないこととされ、ずいぶん前から禁止されているようですが、だからといって「毒薬(ガス)」はないんじゃないですかねえ???)

 

ちなみに「呪殺」といえば、日本では不動明王の姿を思い浮かべる人が多いようですが、「呪殺」で祈る「神」は日本では「大威徳天」であるようです。

「大威徳天」は日本では水牛に乗った姿で描かれますが、本場?チベットでは、頭自体が水牛です

        f:id:hibi333zakkan:20180810200932j:plain

この大威徳天に祈る(ってポアする)ための「修行」はとても仏教徒は思えない、「特殊な性交」等、「破戒」の限りを尽くした、すさまじくもおぞましいものであるようです。

 

このあたり、「性と呪殺の密教 - 怪僧ドルジェタクの闇と光」(正木晃・著)に詳しいようです。(また読んでみます)

 

「呪殺」といえば、(宗教屋さんではない)日本のお坊さんも、公害をふりまいたり、放射能を撒き散らしたりしている資本家や権力者さんに対する「呪殺」のパフォーマンスをやっておられましたが、

本来、本格的な「呪殺」からみれば、あれは「戒め」「お叱り」みたいなもので、お坊さんの一種のジョークといっていいんじゃないでしょうか?

f:id:hibi333zakkan:20180810202134j:plain

                              f:id:hibi333zakkan:20180723232926p:plain

ともかく、いましばらくはオウム真理教の13人の処刑(そのほかの冤罪処刑)のことから頭が離れないようです。

(彼らの四十九日くらいまで?)

 

ともかく、事件の「犠牲者」、処刑された人たちの冥福と成仏を祈りつつ

 

ここは

【南無シャカムニ仏】

ということで

(大威徳天のマントラ?は、聞いていても少しコワイです(笑))

                              f:id:hibi333zakkan:20180810204704p:plain

 

 

 

 

 

 

今回のオウム真理教の開祖と幹部、13人の処刑

は日本人の「宗教観」「国家観」を鋭く問うものになりましたが、

 

わたしにおいては、それ以前というか、

「日本人とは何か?」という疑問が濃霧のように思考を覆ってしまって、有効な考えひとつ見出せないまま、空回りする歯車状態。

 

確かにあるのは「不吉な思い」と「不安感」だけ。

ちょっとやばい状態に陥らされています。

 

「日本人とは何か?」と問うたとき、今のわたしの頭に浮かぶのは、具体的な言葉ではなく、「強い日光に照らされた雪」というイメージなんですよね。

あるいは「地上に積もった真夏の雪」

 

やがて「蒸発」するか「溶けて」無くなる運命。

 

今回の事で、わたしには「政権=政府」も「国会議員」も「官僚」(←司法・立法・行政)も「財界人」も「マスコミ人」も、つまり、私たちを「支配」しているものが、わたしのイメージしていた日本人とはまったく「違うもの」だということがはっきりと認識できました。

 

まあ、わたしら庶民がどうすることもできないことですが。

カネと権力と虚栄、私利私欲のエゴイズムによってわれわれは滅んで行くわけですよ。

 

これが、近代・現代の日本人が自ずから選んだ「形態」であるとするならば、それも仕方の無いこと、なんでしょう。

べつにどこの国が悪いとか、そういう問題じゃないと思いますよ。

 

支配層は自分たちだけは生き残ろうと必死なんでしょうけど。

 

庶民も私利私欲、エゴイズムの塊ですからね。

歯止めはないですわ(笑)

 

濃霧に加えて日も落ちて(夕方から夜へ?)真っ暗け。

やがては帰る家もなくなるんでしょうか?

 

オウム真理教かあ・・・

欠陥だらけだったからこうなった、ということもあるんでしょうが、

(組織論、運動論。100%宗教で政治改革を目指したところにすでに無理があったというべきでしょう。「自分たちがやる」というより、「(政治に)大きな影響を与える」ことを目指すべきだった、とわたしは思います)

 

それでも、麻原彰晃氏が「資本主義でも社会主義でもない宗教による国家」を目指す、とあえて言い切ったところは、(大きな意味での)現実無視のきらいはあるといえ、立派な根源的問題提起だったと思いますよ。

 

資本主義も社会主義も人間を幸福にする、している、とはいえないですからね。

 

彼らはおそらく「仏教国家」を目指していたのでしょうが、現代の知識に基づいて、キリスト教の要素も大きく取り入れようとしていたように思えます。

 

それにしても、そういう人たちに対する、限りなく冤罪に近い(陥れられた?)13人の処刑。

よくこんなことができるものです。

われわれから見れば、まさにキ○ガイの所業としか思えません。

 

(いまの安倍首相、上川法相をはじめとした政権関係者=閣僚・官僚(同類の人たち)はみんなサイコパス(精神病質者)やソシオパス(社会病質者)だといわれていますよね。

←カネ、権力、利権、虚栄の世界に生きるには適したパーソナリティ?)

 

せめて庶民の中にひとりでも多く「正気」の人たちが存在するよう祈るばかりです。

 

・・・「仏教国家」といえば、天武天皇持統天皇聖武天皇称徳天皇たちが目指した体制で、その方針の大本にあったのは唐の武后の方針です。

f:id:hibi333zakkan:20180730033520j:plainこの人がたぶんそうですね(武后)

唐では太宗が「仏教に基づく国家は失敗する」として仏教国家を否定していましたが、武后はあくまで仏教国家を目指し、「先道仏後(=仏教より道教の法が上)」の唐の方針を覆し、「先仏道後」のために自ずから「皇帝」になりました。

 

その方針を受け継いだのが、天武・持統・聖武・称徳といった「武后系」の天皇だったわけです。(天武天皇は「出家」したほどの仏教信者。持統天皇は武后の長女)

 

天智(高宗)、藤原鎌足(王文度)は「先道仏後」の国(唐)の方針そのままで「仏教国家」には否定的な立場だったでしょう。

(これは称徳天皇の時代になって、藤原氏との「対決」という決定的な局面を迎えます→称徳天皇の死後、天武・持統系の血統の断絶。以降は天智系の天皇へ)

 

 

(われわれ日本人にとっては、「道」=道教を「神」=神道と言い換えれば、理解しやすいでしょう。つまり、「先神(道)仏(教)後」。明治政府がやったのはまさにこれなのですが、明治政府には仏教否定・弾圧の側面もありました)

 

・・・やはり「歴史」は無意味ではないようです。

気を取り直して、またぼちぼちやっていきます。