何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

昨日、やっと山県大弐(やまがただいに)著・「柳子新論」を

読み終えました。

 

「やっと」というのは、目の調子が悪くて文字が読み辛くなっているから。

 

本を読むのもなかなかタイヘンになってきました。

 

わたしの目の調子が悪くなっているのは、加齢のためだけではなく、遺伝的要素もあるようです。

 

というのが、母がわたしくらいの年齢からしきりに目の不調を訴えていて、その症状がいまのわたしそっくりだったから。

 

当時のわたしは、目の調子の悪いことを嘆く母に対して

「なんだ、見えているジャン。たいしたことないんじゃない?」

くらいにしか思っていませんでしたが、いざ自分がその状態になると、不便この上なく、母の嘆いていた「辛(つら)さ」が、やっと理解できた次第。

 

何事も、その人(当事者)の立場、状態にならないとわからないものです。

 

「お母ちゃん、ゴメン」

             f:id:hibi333zakkan:20190202230158p:plain

 

もう亡くなっているから、遅いですけどね・・・

 

 

ということで、「柳子新論(りゅうししんろん)」なんですけど、苦労しながらでも(文字が小さかったですからね)読むに、じゅうぶん価値のある内容でした。

 

f:id:hibi333zakkan:20190319202741j:plain ←この人が著者の山県大弐さん(1725年~1767年)

甲府藩の与力でしたが、弟が事件を起こしてクビ(改易)になり浪人。

その後江戸に出て医者をしながら学問研鑽に励み、その学識の深さから多くの門人を抱えるようになった、儒学者、思想家です。

 

今では、「尊王思想家」の先がけ、くらいな認識しか持たれていない大弐さんですが、著書を読むと、その思想の根幹が「民本主義」、徹底した「人民第一主義」であったことがわかります。

 

その山県大弐さんが、「人民を苦しめるもの」として批判、鋭く対峙(たいじ)していたのが、江戸中期から勢威を増してきた「富商」、「初期資本主義」というような「利益第一主義」だったんですね。

 

たとえば、こんな調子・・・

→『~「資本家」というのは天下で最も下賎(げせん)な民である。天下で最も下賎な民でありながら、天下の大金持ちの地位にいる。

 それなのに、うまい肉を食べ軽い着物を着ている。

しかも、思いのままに天下の財貨(ざいか)を投機(とうき)的にに買いだめしたり売り出したりする。

罪はなんと大きいではないか。 ~』(現代語訳のベースは筑摩書房「日本の思想」(1970年刊))

 

ちなみに「資本家」は原文では、「商人」となっていますが、大弐さんのいう「商人」あるいは「富商」は、「資本家」のイメージに近いので、「資本家」と言い換えたほうが、現代では理解しやすいと思いましたのでそうしました \(^^;)

 

また、山県大弐さんは、「士農工商」を身分差別とはとらえておらず、「職業区分」としていたので、ここで言っている「下賎」という言葉も「身分差別」ではなく、あくまでもその「行為」に対する批判から出てきている言葉だということに注意する必要があるかと思います。

 

この「柳子新論」を読みながら、山県大弐さんの生きた時代前後の「年表」を見ていて気がついたのですが、商業資本(初期資本主義)が発展して行くにつれ、大きな「飢饉(ききん)」が発生するようになっているんですね。

享保の飢饉(1732年)→宝暦の飢饉(1753年~1757年)→天明の大飢饉(1782年~1787年)→天保の飢饉(1833年~1839年)など)

 

昔の「飢饉」が自然災害だけによるものではなく、支配者の政策による「人災」の側面があったことは近年指摘されていますが、「資本主義」の勃興と「飢饉」の関係を論じたものは、あまりないようです。(わたしは見たことがありません)

 

飢饉では何万、何十万という農民、民衆が餓死(がし)したわけですが、(当然のことながら?)官僚(仕官している武士)や富商はひとりとして餓死していません。

それどころか、彼ら(=富商やそれと結びついた官僚)は飢饉のたびにその資産を富み加え(「倍加」させ)ているのです。

 

「人民の不幸は資本家やそれと結びついた政治家や官僚の幸福」という資本主義の「法則」が既にこの時代に現れているわけです。

 

近・現代ではさらにそれ(※1)が「人為的」にやられるようにさえなっているようですが、それが人々に認識されるようになったのは最近のことで、2007年に出版されたナオミ・クラインさんの「ショックドクトリン」が文字通り世界の人々に「ショック」を与えたのは記憶に新しいところです。

 

おっと、少し行き過ぎましたか・・・

 

とにかく、この山県さんの著作は時代の制約は当然あるものの、それを突き抜けている部分も多くあるように思えました。

 

こんなところとか↓

 

『すべて損得勘定の立場に立ち、朝廷をけがし官界をけがし、みだりに人民と利益を争い、かみは権勢をもっている人にくっつき、しもは商人から支配を受け、天下の財貨が日一日と流通せず、食糧が日一日と不足するようにしむけ、~』

『努めて自分の国を弱くし、努めて自分の人民を貧しく~』

しているような?現代日本の政治家、官僚、(経団連などの)資本家は、この「柳子新論」を読んで山県大弐さんに学ぶべし、

と思うんですけど、・・・読むわけないですよねえ(笑)

 

もし現代に山県大弐さんが生きていたら、今の日本の状況を「亡国亡民への道」と断じていたんじゃあないかとわたしは思います。

 

「柳子新論」の出た1759年は奇しくも、商業資本をバックにした田沼意次(たぬまおきつぐ)が幕府の実権を完全に握った年でもありました。

山県さんにとって「最悪」の体制が現れたわけです。

 

「柳子新論」はその末尾で

「この書は家の庭を掘ったら出てきた石函の中にあったもの」

と書いて、煙幕を張っていましたが、

大弐さんは、田沼時代の真っ只中である1767年に、謀反事件にかこつけたフレームアップ(※2)によって逮捕、斬首されてしまいます。

 

それでも昔の民衆というのはたいしたものですね。

「罪人」として斬首されたにも関わらず、その学識と人格を慕って山県さんの故郷である甲斐の国(山梨県)に山県神社を建てます。(追注!)

 

その神社は現在もあり

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学問の神さまとして、山梨県の「天神様」のような存在になっているようです。

 

わたしもお参りしたい!

できれば氏子になりたいですねえ・・・ \(^^)/

 

 

 ※1 災害、戦争、不況、恐慌 等々・・・近年ではあからさまとも言える「経済封鎖」とか。。

 

※2 フレームアップ → 事件を捏造(ねつぞう)して犯人に仕立てあげて逮捕したりすること。でっちあげ。でっちあげ逮捕。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追:田沼意次の政策は商業資本による「内需拡大策」だったわけで、当時の情勢から見れば、必ずしも悪い政策ではなかったように思えます。

少なくとも、消費税増税に象徴されるように、国民の血(富)を吸い上げ、その身体を冷やすような、ここ最近の政治、政治家よりはマシな為政者だったんじゃないでしょうか?

しかし、金権腐敗政治によるモラルの低下は甚だしく(田沼意次の息子で若年寄りだった意知(おきとも)もその横暴と反モラル的な行為が原因で、城内で斬り殺されています)、

また、飢饉の頻発で民衆の怒りが最高度に高まり、田沼意次は非難の嵐の中で失脚した、

というのはご存知の通り、です。

 

さらに追:

あと、(柳子新論で)「易経」から、

益卦(えきか)のシンボル〈 陽陰陰陰陽陽 〉は「上を減らして下に増す」を意味し、

損卦(そんか)のシンボル〈 陽陽陰陰陰陽 〉は「下を減らして上に増す」を意味している、

と判じているのもいいですねえ。

現代でいえば、「富裕層ばかりを富ませる」ような格差拡大策は天下の「損」で、庶民貧者・弱者に富を回す「格差縮小」策は天下の「益」だということです。

 

これは「天地の原理」だと。

 

学識の深さも窺われます。

 

追注!

山県神社は明治天皇の意向を受けて、大正時代に建てられたものとか。

明治天皇山県大弐に相当な思い入れがあったようで、明治13年の山梨巡幸に際して、山県大弐の祭祀料を賜り、当時今の新宿区にあった大弐の墓に勅使を派遣した、とあります。

明治天皇山県大弐の「柳子新論」を読んでいたのではないでしょうか?

 

ただ、地元では山県神社の元になるようなものがあったのではないか?とも思いますので、記述はこのままにしておきます。

 

ただ、江戸時代は、どうやら「柳子新論」は禁書扱いだったようで、吉田松陰もこの書を極秘に読んだ、というようなことが書かれているものもあるとか。

 

明治天皇の強い「支持」のあった山県大弐ですが、

昭和に入ると一変、

「抹殺」の動きが出て、昭和10年、ついに山県大弐は教科書から除外されます。

 

文化人や知識人、地元の郷土史家、地元の人たち、などの運動により、山県大弐が教科書に「復帰」したのは、6年後の昭和16年、日米開戦の年でした。(どさくさにまぎれて復帰?)

 

それにしても、明治天皇山県大弐に対する「強い思い入れ」は意外でした。

 

山県大弐の「思想」は「官僚資本主義」へと向かっていった明治政府とは真っ向からぶつかるものでしたから。

 

明治13年・・・明治天皇はどんな「気持ち」だったのでしょう?

 

(しかし・・・・・それにしても、昭和天皇・・・・・・・w)

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

山県大弐さんが主張していた、飢饉に備える食料の大備蓄政策(計画)。

 

その政策が取り入れられていれば、

 

(もちろん、当時の商業資本からは嫌がられます)

 

田沼時代(重商主義)の末期に起きた「天明の大飢饉」での100万人を越えるといわれる餓死者の相当数が救われたと思うんですがねえ。

 

そんな人を処刑しちゃうんだから

 

(現代も似た時代かも・・・

山県大弐さんが突きつけたのは、「金もうけと人の命、どちらが大事か?」

という問題ですもんね。)

 

 

https://youtu.be/Tjd35u16elQ

   ↑ 山梨まで行けないので、

食糧自給率39%、種子の保護の廃止、国民のための公事業、公共施設の民営化、さらには遺伝子組み換え食品、ゲノム編集食品、その他もろもろ?のこの国の先行きを案じつつ、

 こちらの画像に手を合わせます。

 

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参考動画 

 

天明の大飢饉

https://youtu.be/R_tiyqGxAyo

 

昭和天皇

 https://youtu.be/bxpAeRC6rvQ

 

https://youtu.be/dHNX0N867qk

 

↑2,26事件と昭和天皇の関係について詳細に述べられていますね。

こちらの動画は連続して長く続くので、わたしもヒマを見つけて、ぽつぽつ追って見ていきたいと思っています。

 

そろそろ「歴史」としての「昭和天皇」が語られるときがきているのでしょう。

 

うーん。。

 ・・・・・・・

明治天皇」が山県大弐さんを高く評価 → 「大正天皇」の時代に山県神社が建てられる → 「昭和天皇」の時代になって山県大弐さん抹殺の動きが出てくる → 昭和10年、教科書から山県大弐さん削除  そして → 翌、昭和11年、農民、庶民の絶対的貧困の救済を訴えて青年将校・兵士が決起=2.26事件 → 

「君側の奸」といわれた重臣たちは反乱兵の意見を汲むべしとの意見が大勢 → 

昭和天皇が日本をロシアのようにするつもりか、と激怒。鎮圧を命令 → 反乱兵投降 → 重臣たちは投降した将校や兵たちの刑罰の軽減を進言 → 昭和天皇は許さず、青年将校17名と民間の思想家2名を処刑 → 翌、昭和12年、日中戦争開始 → 昭和16年、日米戦争開始 → 日本人300万人の非業の死をもって、昭和20年敗戦。。。

 

「昭和」の飢饉ならぬ戦争禍での非業の死は天明の大飢饉における死者の約3倍、ということになりますか。

 

権力者の「失政」の恐ろしさをわれわれは肝に銘じるべきです。

 

しかし、

それでも、日本人は変わらないというか、この国は変わらないんですよねえ。

 

キーワードは「命」(いのち)。

国民の命を大切にする政治であるか否か、なんですよね。

 

そのことが理解できない人たちが、また、この国の支配層を形成しています。(戦前の昭和への回帰)

 

 

なんだか絶望的な気分のまま後付けが長くなってしまいました。

 

わたしは「右翼」ではありませんが、こちらの動画がよくできているので・・・(^^;)↓  日本が変わらない、という意味でも。

https://youtu.be/e89NqIgQ3DE

 

↑でも、もしこの決起がある程度成功していたとしても、それは彼らが期待した結果にはならなかったと思うんですが、どうでしょう?

 

あと、歌詩はいいんですが、曲調が苦手・・・(どうしてもあの○○車の音量とかが思い出されて・・・?スミマセン)(笑)

 

ちなみに、「戦後右翼」の行動を分析すると、ごく一部の民族派を除いて、間接、直接にCIAの子分あるいは手先だということがわかります。

 

眠れなくなる歌なので、夜より朝聞くことをお勧めします。画像は抜群。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また3月11日が巡って来ました。

あの日からもう8年も経(た)ったんですね。早いものです。

 

それでもまだ被災の傷が癒(い)えずに苦労されている被災者の人たちが多い。

 

何年も急ごしらえの仮設住宅に住まわせるなど、この国は残酷なものですよ。

 

 そして、年数が経つにつれ、政府・行政や社会は被災者に対してどんどん冷酷になっていきます。

仮設住宅からの「追い出し」さえ始まっています)

 

これは、阪神大震災の被災者にも降りかかったことです。

被災者でも「弱者」は切り捨てられましたから。

 

わたしは、もしこの国が共産主義国家だったらどうだっただろう?と考えるんですよね。

 

たぶん、「被災者」の人たちはとっくの昔に「ふつう」の人たちの中に溶け込んでいたんじゃないだろうか?と。

 

自然災害に強いのは社会主義、あるいは共産主義の体制ですよ。

平等を旨(むね)とする社会では、「災害」を国あるいは社会全体の問題として引き受けることができます。

「被災者」もすぐに他の人たちと同じ(=平等な)位置におさまります。

 

共産主義」のほうが自然災害には強い。

これは小中学生でも、少し考えれは理解できると思います。

 

 わたしは、自然災害と常に隣り合わせのこの国(日本)には共産主義体制が最も適しているんじゃないか?と考えるんですよね。

 

もちろん、言論統制や情報統制、政治による宗教の弾圧、特定の人たち(共産党幹部)による独裁、そしてそのことによる腐敗(ふはい)など、「共産主義体制」の課題も多いですけど。※

 

ただ、それらの「共産主義体制」への懸念(けねん)のなかには、「私有財産の廃止」など、かなり誤解して受け取られているものもあるようです。

 

私有財産の廃止」なんて聞くと、自由もへったくれもないタコ部屋のような社会を思い浮かべてしまいますけど、

共産党宣言」によると、これは「人民を搾取(さくしゅ)できるほどの「私有財産」」のことだと書いてあったように記憶していますので、これは誤解解消、納得。

 

土地の国有化などは、いまのこの国にとっては喫緊(きっきん)の課題ですよね。

 

ただ、「強制労働(きょうせいろうどう)」はねえ・・・

共産党宣言」には、「平等な強制労働」なんて書いてありましたけど、これ、ほんとうにマルクスさんが書いたんでしょうか?

(人民の奴隷化ではないかいな?「搾取」はない?とはいえ・・・)

 

なんにせよ、わたしはひとつのイデオロギーで凝(こ)り固(かた)まっちゃうような政治体制はイヤです。

 

というところで、「日本には共産主義がよく似合う?」という考えと矛盾しちゃうわけですが・・・

 

難しいですね。(←ごまかしています)

 

ただ、自然災害が多いことと関係があるのか、日本は案外、社会主義的傾向のある国です。

 

社会主義というより、儒教の影響、といったほうがいいかもしれませんが、それでもどこか「社会主義者」的なものを感じさせる人物がかなりいます。

 

たとえば鎌倉政府の北条泰時

この人は質実剛健、質素な生活で知られた、この国の歴代指導者として屈指の優れた人格の持ち主でしたが、天皇、公家に厳しかったことでも知られています。

 

経済的な面でも天皇を締め上げる北条泰時に、ある人が

「ちょっと厳しすぎるのではないか」

と苦言を呈(てい)したのに対して、北条泰時

「まことに畏(おそ)れ多いことですが、民百姓(たみひゃくしょう=人民)のことを考えれば、致(いた)し方ないのです」

と答えたという。

 

これ以降、天皇家及び公家たちは経済的に恵まれない生活を送ることになるわけですけど、

それが、「天皇」の存在というか、「天皇制」を長きに渡って存続させることになったのではないか、とわたしは考えています。

 

経済的に人民の生活と大きく乖離(かいり)しない生活で、天皇や公家は人民や他の権力者の批判の対象にならず、ひっそりと長きに渡ってその存在が維持できたのではないか?と思うんですよね。

 

江戸時代最後の天皇である孝明天皇にも、お酒を水で割って飲んでいた、という話が伝わっていますが、

だから、幕末の「尊王」なんですよ。武士たちの「崇拝」の対象になったんです。

 

それが、薩長による明治クーデターの後は天皇が「世界一」の「金持ち」になってしまう。

 

ここらへんのことはまた日をあらためて触れようと思っていますが、江戸時代までの儒教論理がそこ(明治クーデター)で断たれて、西欧のブルジョア体制(の模倣?)へと一気に移行して行き、天皇も大ブルジョアになってしまう。

 

ただ、中国式の官僚制は残り、今に見るような「官僚資本主義」を形成してしまったわけです。

もともと残酷・冷酷なものである官僚制が資本主義と結びついたのだからたまりません。

(さらに、「官僚」とは腐敗するものなんですよね)

 

それでも、(江戸時代に育った)明治天皇はかなり立派で、薩長官僚制の「傀儡(カイライ)」のような立場に置かれつつも、それなりに立派な言動を残しておられる。

 

天皇が「薩長官僚制」(あるいは「長州官僚制」)をほぼ完全に体現したのは、昭和天皇ですね。

昭和天皇は生まれてすぐ薩摩藩士の家で育てられ、少し大きくなってからは長州藩士たちによって「教育」されました。

(戦前の)昭和天皇はパリパリの薩長閥官僚制の天皇であり、またトップ資本家として「財閥」の長だったわけです。

 

この影響は敗戦後の現在でも色濃く残っていると言えるのではないでしょうか?

まァ、世界が資本主義体制であるのは明治以降現在まで変わらないわけですから、仕方ないといえば仕方ないのかもしれませんが?

 

それでも、この国にまだ社会主義的といいますか儒教的な善政(ぜんせい)思想が僅(わず)かながらでも残っているのは、江戸時代までの長きに渡るこの国の「歴史」のおかげでしょう。

(それも強欲資本主義=新自由主義グローバリズムによって急速に破壊されて行っていますが)

 

あと、この国の「社会主義的傾向」については、「儒教」思想も越えたような「社会主義者」の「素質」?を感じさせるような人たちがいるんですよね。

 

武士では、唐の「貞観政要」をベースにした「善政」を目標にした源頼朝はともかく、

北条泰時織田信長徳川家康大塩平八郎西郷隆盛などに「エッ?」というようなものを感じます。

 

それはまた、おいおい・・・

 

 

それにしても、利益第一の「理想」なき社会というのは酷(ムゴ)いものです。

 

今の日本もその最中(さいちゅう)にあります。

 

イデオロギー優先の社会はイヤですが、人類が普遍的に目指し、歴史の「成果」として築きあげたものは確固としてあるはずなんですけど、それさえもが崩されようとしているわけで、この「先」のことを考えると暗澹(あんたん)とした気持ちにならざるを得ません。

 

ともあれ、民主主義も民本主義も否定されたこの国では明治以降、戦争で多くの人たちが殺され、また、戦災孤児や災害被災者など幾多の人たちが筆舌(ひつぜつ)に尽くし難い辛酸(しんさん)をなめてきました。

(昨日3/10付け東京新聞朝刊の東京大空襲(昭和20年3月10日)による「戦災孤児」の特集はよかったですね)

 

今日は鎮魂の日ですが、残された被災者の問題も深く、広く考えるべきだと思います。

 

そういった思いを込めて、黙祷。

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・・・江戸時代のある武士が、

「中国は偉大な思想の数々を生み出したけれど、それを実現したことはない(これにはやや異論がありますが・・・)、そういった思想、理想を実際に実現し、実現しようとしているのは日本だ」

と述べたといいますが、

中国の問題はともかく、いったん「理想」が与えられれば、それを実現していくのに最も適した国のひとつが日本だ、ということにはかなりの人たちが「納得」するんじゃあないでしょうか?

 

そういう意味で

「まだまだ終わらんぞ」

という気持ちを強く持って生きて行きたいものだと思います。

 

(それにしても、福島第一原発事故!あれを起こすに至った「原発マフィア」の罪は大きく、深いぞ! クッソ~)

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

※ とはいうものの・・・

ロシアのお年寄りに聞くと、「社会主義体制のソ連時代」のほうが今の「ブルジョア民主主義?」(最近の日本や世界を見ていると「ブルジョア独裁主義」?)体制のロシアよりもずっと良かった、という意見のほうが圧倒的に多いようです。

 

日本でも、20年ほど昔、東京でお年寄りたちと話をしたら、東京がいちばん暮らしやすかったのは社共革新都政の美濃部都知事時代だった、と回想されていました。

実感がこもっていて、印象深いお話でした。

 

庶民の「実感」が最も正しい「価値判断」だとわたしは信じていますので、社会党が「消滅」させられた(?)今、わたしは共産党に投票している、ということを付け加えておきます。

 

山本太郎さんもいいようですね。

 

とにかく、これからも、“国民の立場に立ってくれる”人に投票していきたいと思っています。

 

せっかくの「投票権」なんですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し暖かくなって

季節の変わり目ですねえ。

 

ということで、     (←???)

最近、やや惑乱気味であります(笑)

 

どうも、ミスやもの忘れが多い。

 

で、一週間ほど前からイチョウ葉のサプリを飲んでいるのですが、いまのところ全く効果はないようです(笑)

(ドラッグストアで買ったものをレジ袋に入れて、それをそのままそこに忘れてきたり???とか(泣)

まだボケるトシではないと思うんですけどねえ・・・)

 

 

 閑話休題(それはさておき)(汗)

 

このあいだの夜、久しぶりに巣鴨に行ったら、この地域のシンボルとも中心ともいうべき「とげ抜き地蔵」さんにちょっとした「異変」が。

f:id:hibi333zakkan:20190226193018j:plain これまで「満載」で掲げられていた商店や企業の「協賛」提灯がすべて撤去、というか、無くなっていました。

 

「ははあ」

と思ったのは、今年の節分の豆まき中止をめぐって、お寺(とげ抜き地蔵=高岩寺)さんとこの商店街のメンバーによる「巣鴨地区街づくり協議会」さんに「確執」があったことを新聞記事で読んでいたから。

 

どうも、お寺のご住職と「商店街」(巣鴨地区街づくり協議会)の関係がうまくいってないようです。

 

記事を読むかぎり、

「商店街」は、「ナニお寺の坊さんがエラそうにうるさく言ってきたりしてるんだ」

という感じで、

 

お寺の住職からすれば、「商店街はただお寺を利用しているだけじゃないか」

といったところでしょうか。(まァ、たしかに近年、この街の宗教的な雰囲気が薄れている、とはわたしも感じます)

 

「商店街」は商売優先。お寺としては「信仰」第一。

その溝(みぞ)が妥協し難いところまで広がってしまったように思えます。(?)

 

これは、江戸時代では考えられなかったことでしょう。

 

いうまでもなく、江戸時代には「寺請制度(てらうけせいど)」というのがあって、庶民は必ずどこかのお寺の檀家(だんか)になることが強制されていましたから。

 

おそらく、江戸時代のこの地域の人たちの多くはこのお寺の檀家だったでしょうし、商店の経営者さんたちもそうだったでしょう。

 

しかし、今は違います。

 

わたしは十数年前からときどき巣鴨に来ているのですが、巣鴨商店街の商店の移り変わりは結構激しく、当初からみればほとんどの商店が入れ替わっているように見えます。

それと、チェ-ン店が増えた。

 

こういう状況では、商店街にそのお寺さんの檀家などほとんどいないんじゃないでしょうか?

 

今回のごたごたで協賛提灯がすべて無くなったことが、それを証明していると思います。

 

それと、この「とげ抜き地蔵」さん=高岩寺曹洞宗のお寺であることも、「商売人」さんたちとの関係を微妙にしているんじゃないでしょうか。

曹洞宗といえば禅宗

 

禅宗というと、わたしのような外部の者(父方=親族ほとんど日蓮宗、母方=親族ほとんど浄土真宗(^^;))から見ると武家の宗教といったイメージが強いくらいに質実剛健、禁欲的な面の強い宗派ではないか、と思います。

 

そのお寺に、「とげ抜き地蔵」があるというのは、ちょっとギャップがあるような気もするんですよね。

 

これが、真言宗あたりだと、派手に祈祷やら護摩焚きなどをやって、相当な「収入」を得ることができて。

商店街ともウィンウィンの関係でうまくやっていけるような気がしますが、

                  (イメージだけで言ってます(^^;))

 

禅宗では・・・(笑・・・失礼!)

 

今の時代、現世利益を強く打ち出している宗教以外の宗教は苦しいですよ。

 

現世利益がなければ、いまの世の中では「葬式仏教」としか見られません(年々その見方が厳しくなっています)。

また、この国では一般人が「悟り」を求めようとすれば、生きていくことさえ難しい、というのが現実です。

 

(やはり一般人が)宗教的、道徳的にほんとうに正しい道を歩こうと思えば、利潤がすべての資本主義のこの国でどんな目に遭うでしょうか?

 

そう考えると、巣鴨の商店街と、巣鴨のシンボルである「とげ抜き地蔵」さんの間の不協和音は出るべくして出てきた、といっていいのではないでしょうか?

 

信仰の街であってほしいお寺と、生き馬の目を抜く商売の世界で「儲け」なければやっていけない商店。

その裏には消費者の変化、消費者のニーズの変化、(つまり日本人の(あり方の)変化)もあると思います。

 

・・・今のニッポン

お寺さん(仏教)も苦しい。(激しい淘汰の嵐にもまれ、明日の運命も知れぬ)商店も苦しい。

 

それでも巣鴨には、東京の他の街にはない、お年寄りが安心して行ける「やすらぎ」と「落ち着き」を感じさせるものがあるので、その雰囲気は無くならないでほしいものです。

(わたしにとっても「息抜き」のできる街なので)

 

 

・・・実は今回のブログでは明治期の「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」と「宗教一揆(しゅうきょういっき)」について書くつもりでいたのですが、なんだか別の方向に行っちゃいました(笑)

(そのため、最後がかなりいいかげんなまとめになってしまったような・・・(笑))

 

それ(「廃仏毀釈」「(明治期の)宗教一揆」)についてはまた次回以降に触れたいと思います。

 

 

追記:

このあいだの天皇在位30年式典での天皇のお言葉で

「自分の在位中に戦争が無かった」ことを、自らの“名誉””実績”として「自負」されていたのはよかった、と思いますね。

 

ただ、わざわざそうおっしゃったということは「戦争」の危機もあったのかな?と深読みしたくなりますけどね。

(今の日本の状態を見れば・・・)

 

ともあれ、現代の戦争とは支配者層(エリート)が民衆(非エリート)を殺すことをいいます。

(民衆を殺す)テロ、経済制裁、大搾取、弱者殺しの経済・社会政策、も戦争の一種です。

 

イラクにしろリビアにしろシリアにしろ、ほんとうの被害者は民衆でした。

 

そして今またベネズエラで・・・

 

独占強欲資本主義が支配する世界では民衆は日常的に戦争を仕掛けられているようなものです。

 

これからの日本はさらに厳しい局面に立たされるのでしょう。

 

わたしは、天皇は明治時代以前、孝明天皇以前の天皇の姿に戻るべきだと思っているんです。

 

だから(今の)天皇のあり方に反対している「反天皇」の運動を評価しています(笑)

(反天皇の運動はなくてはならないものと思っています)

 

孝明天皇までの天皇なら、民衆は誰も天皇に反対したりしませんよ。

 

「次の天皇が最後の天皇になるだろう」

と言われているようですが、わたしは早く「ああ、そういや、天皇さんがいるんだっけ」と民衆から思われる(忘れられる)ほどに「権力」から離れた存在になっていただきたいと思っています。

 

あと、資本家からも距離をとってほしいですね(無理?)

 

4G(ジェネレーション)→5G(ジェネレーション)と進むテクノクラシー(科学技術による支配)こそが、ニューワールドオーダーなのだという人がいます。

それはまた、強欲、冷酷無残なサイコパス独占資本家が世界の全ての人たちの運命を握ることでもあります。

 

この事態に世界の99%は、われわれ日本の99%はどのように対処すべきか?

 

とりあえず、天皇は「権力」とも資本家とも、すっぱり手を切って、孝明天皇以前の天皇に戻っていただきたいと思っています。

 

(・・・少しアタマがしっかりしてきたかな?(笑))

 

では、次回また

 

 

 

 

 

 

 

 

世界標準?の情報に接したければ、どうしても

英語が必要のようです。

 

理由は、日本のメディアがあまりにも酷(ヒド)すぎるから。

 

“すべての”この国における日本語でのマス(メディア)情報は、情報というものではありません。

あれは人間を愚かに保つためのクスリ、幻覚剤のようなものですよ。

 

外国からの英語によるニュース中継を見ているとそれがよくわかります。

 

かく言うわたしも英語ができる人の部類ではなく、英語放送も字幕を必死で追って、やっと「大意」が理解できる程度で、

目がイカレている身としてはかなり辛いのですが、

それなりの「世界」の情勢、「文化」を知りたければ英語放送に頼るしかない。

 

もちろん外国からの英語放送にもCIA?の「フィルター」がかかっているのですが、それでも、情報の質と量は、日本のメディアとは比較になりません。

 

簡単に言っちゃえば、英語放送は「賢い人」用、日本の日本語によるマスメディアは「ばか」用、「愚か者」用、といったところでしょうか?

 

もっとえげつなく言えば、英語は「人間」用、日本語は「家畜」用、と(笑)

もちろんすべての日本人が「家畜」になっているということではないのですが、日本政府やマスメディアによって、そうなるように「誘導」されているということです。

 

この間のわたしの日記「ひぐらし無常」では、テレビ朝日の所業について触れました。

まあ、日本の企業なんてそんなもんだ、と言ってしまえばそれまでなのですが、それに関して、

 

テレビ朝日のトップだか幹部だかの人が、面白いことを言っています。

 

「これまでの報道ステーションは“偏差値”70くらいの内容を目指していたが、それではダメだ。偏差値50くらいのものでいいのだ。そのほうが視聴率を稼げる」

というような内容のもの。

 

“ヘンサチ”が出てくるあたり、いかにも「朝日~」といったところでしょうが(笑)、まあ(学校でのお勉強による)

“ヘンサチ”中心による「ランク付け」は学閥官僚さんや、学閥&コネのマスメディアさんの「方針」だから、そういう発言にもなるのでしょう。

 

(いまの彼らも含めた日本の支配層の実態は、「カネ」「世襲」「コネ」そして「学閥(民衆にヒエラルキーを納得させるためのアクセサリー)」ですけどね)

 

((ヘンサチイデオロギー脳?)において特別「悪質」なのは「サンデー毎日」ですね。   余談です。(笑))

 

それにしても、民衆というか、日本人をバカにした言い草ですよね。

 

「日本人はバカだからきちんとした情報など提供する必要はないんだ」

ということを言っているわけですから。

 

(スポーツに「食い物見せつけ」、それにフェイクニュースや政府・企業のプロパガンダ、庶民たたきの映像を混ぜて、家畜(国民)に「ほいよ。食え」。

 

テレビは今やアヘン、とは、以前にも指摘したことですが、ナルほど、「麻薬業者」というのは儲かるんですね(笑))

 

それにしても、あなた方ナニサマ?

 

と言いたくなってしまいますが、マスメディア(とくにテレビ業界?)という「おいしい」既得権益の上にあぐらをかいていると、人間、そうなってしまうのでしょう。

(これは国会議員やコネと学閥で固められた「特別おいしい独占貴族企業?特殊法人?」なんかも同じですよね)

 

たとえ複雑でわかりにくい情報であっても、それが重要なものであれば、できるだけわかりやすく、視聴者が興味をもって理解できるように伝えるのがあなた方メディアの仕事でしょうが?

 

それは違う?     ・・・はあ・・・そうなんですか。なるほど(納得?(笑))

 

しかし、そういった日本のメディアをはじめとして、政治家、学閥官僚、最近では大学教授などの「学者」さん

 

・・・「理性」と「知性」の区別もつかないような(学歴とコネだけの)真性のおバカ、愚か者さんたちが、よく言うよ、とは思います。(言っちゃった)

 

まあ、たしかに欧米崇拝を始めた明治時代からこの方、強力な権力構造の上にあぐらをかいた日本の支配層が、

日本人をバカにし差別し、虐待し、

またその「差別」イデオロギーをバカ(にされた)で従順な大多数の日本人が受け入れてきたということは仕方のないことかもしれません。(少しでも体制にもの言う、あるいは逆らえば、徹底してやられちゃいますからね)

 

いみじくも旧民主党の大幹部だった人が言ったように、日本はいま「第二の開国」の時、なんだとか。

 

で、その「実態は」  と見ると・・・

 

第一の開国から始まった(支配層以外の)日本人への「差別」「虐待」から、「日本人大削減」へ、といったところですか。

 

いやあなんだか、「腹立ち」でオナカがふくらみすぎているためか、文章が全然まとまりません。

 

「怒り」もまた、人間を愚かにしてしまいますからね。

「怒り」には当然理由があるわけですが、それをコントロールして問題の解決を図っていく、というのが、立派な人、賢人の行いなんでしょう、

が、

 

あいにくわたしは立派でも賢くもないもので・・・(笑)

 

「うー、この怒り、どうしてくれよう~~~」

という心理状態にしかなりません。

 

少し気持ちを落ち着けましょう。

f:id:hibi333zakkan:20180613063941j:plain  ←少しホッとします (笑)

 

それにしても、それまでの「日本」が「日本」でなくなった「明治の断絶」。

 

「歴史」に埋没していたくても、そうはさせてくれない「現実」が目の前にあります。

 

 

 

追記:

明治以前の「民はおろかに保て」の時代はともかく、今は愚かでは「淘汰」(とうた)されちゃいますからね。

経済格差も江戸時代の比ではありません。

 

(「保って」くれれば、まあその考え方にも一理あるかな、と思いますけど、今のこの体制、この路線では「民を保つ」ことなどできなくなるのが目に見えていますもんね)

 

そして、ひたすら「民」を愚かにし、虐待し、家族も子どもも持てなくして貧しい人たち(彼らの言う「落ちこぼれ」「むだめし喰らい」)から「始末」して行く政府とアヘン=マスメディア。

 

これじゃあ、危機感を抱かないほうがおかしいですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

おととい、やっと「ロック『市民政府論』を読む」松下圭一・著

を読み終えることができました。

 

他の本との併読ということもあったのですが、そう厚くない文庫本にもかかわらず、約1ヶ月かかってしまいました。

なんせ目の調子が悪い。

 

「レンズ屋虫めがね」というレンズの専門店さんで買ったこのルーペがなければ、もっとタイヘンだったのではないかと思います。

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倍率2倍で開閉もできるスグレモノ。

それが、お店の「経営」大丈夫なの?と余計な心配をしてしまうほどのお値段でした。

重宝してます。

大資本に抗してがんばっている最近のニッポンの個人商店はありがたいところが多いようです。

 

われわれ貧乏人だけではなく小資本経営も圧迫する消費税は絶対反対!

(国民総体の購買力、消費力を上げましょう!)

全国の小資本経営者、個人商店ガンバレ。

 

また国会前に行きまっせ(笑)

選挙でも消費税(そのもの)に反対している政党に投票しましょう!ヽ(^-^)ノ

 

(「ナニこのスローガンの羅列みたいなのは?」 て、?

すいませんねえ、最近フラストレーションが溜っているもんで、やや情緒不安定気味。。?

東京で堂々と大声が出せるのは今のところ国会前の集会だけなので、今度は「消費税」に対する抗議行動、よろしく(笑)

地方の皆さんも、思いっきり大声の出せる「抗議の場」を創出してゆきましょう\(^^)/

何事も「内攻」(「内向」?)ばかりでは心身の健康に良くありませんからねえ。)

 

ということで、

本を読んだ感想なのですが、

 

著者の松下圭一さんはナショナルミニマム(→国家が国民に対して保障する生活の最低限度水準)に対して、

シビルミニマム(→都市化する社会において、官治主義の国家ではなく、市民と自治体が協同で最低限必要な生活基準を定める)

を提唱したことで有名な学者さんです。

(「シビルミニマム」は松下圭一さんの造語)

 

日本の政治への影響としては、旧社会党の右派といわれた江田三郎さんの系統が基本的にこの考えに沿っています(江田「構造改革」路線)。

 

「考え」としては非常によく練られていて、

「官治主義」「官僚内閣制」である日本の政治を「市民」主導の政治へと変えていく、

《「国家社会」主義から「市民社会」主義へ》

という主張も、理念としてはまったく納得で、その通りだと思うのですが、

その実現への道となると、そう簡単ではない。

 

まず、「市民社会」主義とは言うものの、この国にどれほどの「成熟した」市民がいるのか?という問題にぶつかります。

 

もうひとつは現代世界を席巻(支配?)している「資本主義グローバリズム」。

1%の利益派である国際独占資本が人類の99%を支配・搾取、奴隷化して行っている、という現実があります。

そこでは大衆としての?「市民」の成長どころか、「市民」自体が消されて行きます。

日本などでは、「市民」以前に、貧しい層から順々に「国民」「人民」までが「消され」つつあるように見えます。

(「日本では貧困層は家族も子どもも持てないから、貧困の連鎖はない」BY自民党の国会議員さん?)

 

この「資本主義グローバリズム」は松下圭一さんが克服の対象としている「国家社会主義」ともむしろ正反対の位置にあるのではないでしょうか?

 

小泉政権小泉純一郎元首相)が、言葉としては同じ「構造改革」をもって登場、「ナショナルミニマム」を破壊し、それを「資本家」の利益へと転換していったのは記憶に新しいところです、

というか、今も同じ路線上にあるといっていいのではないでしょうか?

(途中、民主党に政権が移りましたが、管ー野田政権は消費税を増税、「資本主義グローバリズム」の路線をとりました)

 

かつて、グローバリズムによって失脚させられた東欧のある指導者が

「国が守らなければ誰が国民を守るというのだ」

と言いましたが、これがまさに現代の「課題」ではないでしょうか?

 

 

ただ、こういったからと言って、わたしが松下圭一さんの論に否定的だというわけではありません。

 

国家社会主義」も、日本のような「国家主義」も、「資本主義グローバリズム」も、“超エリートによる独裁的支配”ということでは共通していて、何よりそれが問題なのだろうと思います。

 

(わたしはアホな庶民として、この中から一つ選べ、と「強制」されたら、「国家社会主義」を選んじゃいますけどね(笑) ←ファシスト

 

(松下さんによれば、旧ソ連や中国、日本の「「新左翼」も含めた既成左翼も「国家社会主義」の一種になるようです)    ・・・(^^;))

 

松下圭一さんの「市民社会」主義はそれ(=超エリート支配)の「克服」ということでは、まったく「正統」な道筋を示していると思います。

 

この「容易ではない」道への「基礎」として、松下さんやその系統の旧社会党の人たちが「護憲」を主張していることは正鵠を得ていると思います。

日本で国民を守りつつ、市民の成熟を促(うなが)すには、現行日本国憲法の理念を実現して行くことが最も有効だし、今のところそれ以外には方法がないように見えますから。

 

(でも・・・今はとにかく国=国民を守る(ナショナルミニマム)、ということだと思うんですよね。

日本の資本家、官僚、多くの政治家たちは明らかにそれを破壊しようとしていますから。

 

だからわたしは今、共産党山本太郎さん(あるいは共産党山本太郎さんが入った野党共闘←これが今のベスト)を支持しています。)

 

 

それにしても、「政治」関係の本を読むのは疲れます。

現実との乖離に絶望的な気分にもなりますしね。

 

この松下圭一さんの「ロック『市民政府論』を読む」の中で、わたしの気持ちが最も惹かれたのはこの部分

        ↓

自然法とは何かといえば、お互いにオオカミなものですから、俺が食われたくないように俺もお前を食わない、だから仲よくしようという個人相互のルールです。

このルールは『マタイ伝』(新約聖書)の

「されば凡(すべ)て人に為(せ)られんと思うことは人にも亦(また)その如(ごと)くせよ」

という、古来からの「普遍宗教」がもつ《黄金律》ではありませんか。

この《黄金律》が市民社会の理性ないし倫理、したがって《近代》の<自然法>の原型なのです。』

 

ここで、孔子

〈おのれの欲せざるところは、人に施(ほどこ)すなかれ〉

という言葉と、

 

「昔、二人のユダヤ教の大学者がいて、ある人が、ユダヤ教をひと言で説明してほしいと乞うたことがあった。

そのとき、ひとりの学者は、ユダヤ教はひと言で説明できるものではない、と回答を拒否したが、

もうひとりの学者は

「“人からしてもらいたいことを人に為せ”ユダヤ教はそれに尽きる」と解答した。」

という逸話(まさに上記の「マタイ伝」の言葉)。

 

この二つを思い出して、

「なるほど」

と思った次第。

 

けっきょくは、そういうことだと思うんですよね。

 

この国の資本家や政治家や官僚のみなさんも、

「国民に痛みを与えろ、もっとこき使え、締め付けろ、弱者など淘汰してしまえ」

などと言わず、

どうかこの《黄金律》をふまえてわれわれ庶民に対してもらいたいものだと思います。(無理?)

 

 

 



 

 


 

 

 

 

 

 

昨日(1/27)のNHKニュース。

冒頭で、アナウンサーさんがこわばった表情をして、「大変なニュースがいま入ってきました」

「お!?珍しくNHKニュースが“大変な”ニュースをリアルに速報か?」

と思ったら、

 

ジャニーズのアイドルフループである「嵐」が解散宣言をしました~

という「ニュース」でした。

 

「はあ~~~?」と思ったものの、いまのNHKの「重大ニュース」としては納得。

 

ネットでは、「スピン(目くらまし)だ」という書き込みが大量に発生。

わたしもそうだと思います。

 

いったい何を目立たないようにさせるための“スピン”だったんでしょうかね?

 

安倍首相による北方領土交渉の成り行き?、ダボス会議での安倍首相による「徹底したグローバリスト」宣言?、それとも、「またやったか」の山梨県知事選?、それとも別の何か?

 

と書いても、国民のほとんどの人は「いつものこと」で感覚がマヒしているような状態のようで、わたしの「問題意識」も「空回り」感がハンパありません。

 

【無理が通れば道理が引っ込む】【ウソも百回繰り返せば本当になる】?????

 

ともあれ、スピンに使われた「嵐」のみなさんはこれから周囲が騒がしくなって大変でしょうね。

グループ活動を長く続けていれば、問題が積み重なっていくというのは当然のことだと思います。

みんな「個性」がありますし、グループ活動とは別にやりたいことも出てくるでしょうし。

 

だから、今回の件は

「これまでご苦労さま。これからは一人ひとりの個性を生かしてがんばってください」

 

で、いいと思うんですけどね。

(この時期に「解散」を発表したのが政権や政府関係者とつながる所属事務所の思惑に基づくものであったとしても)

 

 

べつに、NHKが7時のニュースのトップで「ショックありあり?」の表情でやるようなもんじゃありません。

 

NHKって何の略だったっけ?N(日本)H(恥かき)K(協会)?いやいや、「恥かき」というより「恥ずかしい」だったかな?

どっちでしたっけ?(笑)

 

ま、NHKのアナウンサーさんや職員さんたちもタイヘンです。「局」の方針には絶対的に従わなくてはいけないですからね。

 

いかに学歴とコネがなくては入れない職場の超エリートさんたちであっても、クビになれば「えらいこと」ですもん。

 

豪華に飾られた床の下は無限の地獄、というのが日本の企業・公務員社会。

エリート社員・職員さんの世界。

そこから「落ちたら」もう・・・

 

みなさん、何が何でも高額退職金と高額年金の待つ「定年」まで、必死に「職場」にしがみついて、地獄を見ないようにしてくださいね。

 

ところで、今回の「嵐」の解散でショックを受けている女性フアンも多いことでしょう。

 

女性グループのなんとか48とか47とか

の男性フアンもそうですが、

今回の事で、わたしは、こういうアイドルグループは、いわゆる3S(=スポーツ、スクリーン、セックス)政策の「セックス」部門を担っているんじゃないか?

と思ったんですね。

 

「セックス」といってもポルノの類(たぐい)ばかりではない。

こういった「異性」のアイドルに傾倒する、追いかけるということも「セックス」に深く関わっている。

だから、潜在意識の深くまで浸透しているのだと思います。

 

ただ、これは大昔からあったことで、特にそれが問題だとは思わなくて、そういった「スター」「アイドル」の存在がその人の精神史の1ページになることも、それはそれでいいことだと思うのですが、

近年はそれがより強く権力の「道具」として使われることが多くなっているように感じています。

 

これは結局、それらのアイドルあるいはアイドルグループの「個性」を「平板」なものにし、「セックス」の質も低下させているんじゃあないでしょうか?

(「精神」のレベルも低くする?)

 

と、今回はそういった「セックス」の世界からは卒業した(見放された?)おっさんが余計な?繰言(くりごと)を述べてみました(笑)

 

アイドルや芸能人の皆さんはNHKや民放などのメディアのエリート社員さんたちよりも、さらに、ずっと厳しい環境に置かれていると思うので、頑張ってください。

心よりその活躍と幸福を願っております。(マジで)

 

それでも、やっぱり「スピン」は気になりますね。

わたしが少しイヤな気持ちになっているのは山梨県知事選。

新潟知事選に続いて、また野党系の現職知事が自公候補に負け「させられ」ました。

 

全国の「知事」を自公系で「固める」。

 

「知事」というのは形としてその自治体の警察を管轄する立場です。

 

改憲」に向けて、いまの憲法を守ろうとする市民の抵抗を、警察などを使って抑圧、弾圧するために「県知事」を自公系で「独占」しようとしているのではないか?

 

そんな疑念が頭から離れないのです。

 

3S(スポーツ・スクリーン・セックス)1N(ニュース)1W(お笑い?)1K(食いもの)での徹底したマインドコントロール体制。

「民主憲法を守ろう」という話をすれば「迷惑がられる」「仲間はずれにされる」という国民社会の現状。

徹底した「収奪・搾取体制」でがっちりとスクラムを組んでいる1%派の財界・政界・官界・メディア。

 

考えていれば、先行きの暗さにまたぞろ「鬱」状態になってしまう(笑)

 

最近は「歴史書」を読んでいても、もうひとつ身が入りません。

 

「ああ、幕末・明治でそれまで千数百年続いた「日本」は終わっていたんだなあ・・・」

 

そんな考えに「打ちのめされて」います・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寒さもあって、この年末とお正月三が日は

ずっと部屋の中に閉じこもっていました。

 

だいたい、横になってごろごろ、うとうと。

オナカがすいたら起きて食べて、退屈したら読書かネット閲覧。

究極のお気楽怠惰生活を満喫しました(笑)

 

いいですねえ、お正月は(笑)

 

テレビはほとんど見ません。

 

今年も箱根駅伝はタイヘンな視聴率だったようですが、

わたしは、関東限定のこのイベントを見ると、明治以降の日本政府がひそかに地域に序列をつけていて、その序列第一が関東だ、ということを知っているので?

「なんだかなー」ということで、ちょっと見る気になれないんです(笑)

 

この国は官、民の身分差別から始まって、目に見えない様々な差別の存在する国です。

その象徴が東京大学閥の官僚さんと世襲の有力政治家さんかな?(これは目に見えている)

 

閑話休題(それはともかく)

 

年末から(今も)読んでいる本は、《ロック『市民政府論』を読む》(松下圭一・著)と《耳囊(みみぶくろ)》(根岸鎮衛(ねぎしやすもり)・著)です。

 

タイヘンためになる(ロック~)のと、面白い(耳囊)のと、どちらもとてもいい本です。

 

「耳囊」はこれまで何回か読んでいるのですが、いつもぽつぽつの拾い読みなので、どの程度読めているのかわからない(笑)。

今回も同じです。

いつもは岩波文庫版で読むのですが、文字の小さいのが苦痛になってきたので、今回は東洋文庫の「耳囊」を借りて読んでいました、

 

が、

「あれ?」

と思ったのが、東洋文庫では100以上の項目が「省略」されていることです。

 

編者は

「内容的に興味の薄いもの、資料的に価値の低いもの、あるいはまじないや民間療法的な記事を削ることにし、~」

と「凡例」に書いていますが、

 

「なるほど」と思えるものもあれば、「あれ?なんでこれを削っているの?」と首をひねるのもある。

 

とりわけ、わたしが納得できなかったのは、

巻四の『清乾隆帝大志の事』

が削られていることです。

 

その内容は

 

清で乾隆帝に対して反逆(暗殺?)を試みようとした者があって、逮捕された。

その者に反逆の理由を問いただすと、

「自分は先祖代々中国人(華人)だ。

乾隆帝は夷狄(いてき)の種族(清=満州人)なので、これを殺して中華正統の(中国人の)支配に戻そうとしただけだ」

と答えたといいます。

それを聞いた乾隆帝

華人(中国人)夷狄(異民族)という差別は人間から見た見地、差別だ。

天から見ればそのような差別はない。

たとえ古代以来の中国の正統を受け継ぐ天子であろうとも、民を虐(しいた)げる桀(けつ)紂(ちゅう)のような暴君なら天もこれを認めはしないだろう。

異民族の支配においても同じことだ。」

と言い、反逆の者もその言葉に納得した、

 

という、その話を聞いた根岸鎮衛

 

「さすがに50年以上清国を治め、この国(日本)同様、

(清国を)四海静謐(しかいせいひつ=平和)に保った皇帝だけあって、エライものだ、

と感心している話で、

 

わたしは江戸中期の南町奉行でもあった根岸鎮衛の見識というか政治倫理の高さと、良質のグローバリズム?とも言うべき開明性に、意外な驚きを感じたものでした。

 

 

それがなぜ「資料的価値が低い」として?削除されなくてはならないのか?

ちょっと納得がいきません。

 

ただ、乾隆帝は清で善政を行ったことで有名な3皇帝の1人ではあるけれど、たびたび遠征の軍を起こして領土を広げ、国内では蓄財にかまけた腐敗官僚(いまの日本では総理大臣に相当する人物?)を寵愛するなど、必ずしも根岸鎮衛が言うような平和で英明なだけの皇帝ではなかったので、編者はその「認識(情報)不足」を問題にしたのかもしれません?

 

ともあれ、この江戸時代中期の南町奉行は、明治以降の「戦争政府」、いまの「国を戦争へと向かわせようとしている政府」の人たちよりは、

ずっとまともな考え方をしていました。

 

 

ネットのほうでは、1月5日の「日記 - ひぐらし無常」に書いた、わたしの幼児時代?の頃の政治、社会情勢が知りたくて、ぼんやりと追憶にひたりつつ、「過去」を検索。

 

なんだかタイムマシーンに乗って「その当時」のあれこれを見ているような楽しさでした。

 

その中には、「おお~」というような、『今』につながる興味深いものもありました。

 

それは

『[昭和32年12月] 中日ニュースNo.205_1「この一年 - 1957年の歩み」』

『[昭和33年12月]中日ニュースNo.258 1「1958年ニュースハイライト」』

 という二つのyoutube動画です。

 

 この二つの動画をここに貼ろうと思ったのですが、なぜか?失敗(お恥かしい・・・)

お仲間ブログの『おっさんやじいさんが過激に語り合うブログ』に貼ってもらうようお願いしました。(見てください!)

 

 岸信介内閣が誕生したのは昭和32年(1957年)だったんですね。

「ニュース」では病気で辞任した石橋湛山首相による指名、ということで、いかにも「禅譲」による政権継承のように書かれていますが、実際は「権力奪取」だったでしょう。

民主的で人気のあった石橋首相と、日本の政治を一気に「右傾化」させた岸政権ではあまりにも差がありすぎますからね。


昭和32年制作/第110号 石橋首相来県 他

これ貼っときました \(^^) 石橋政権時の日本の雰囲気が窺えます。

上記の二つの(岸政権時の)youtube画像とは明らかに雰囲気が違ってますよね。

 

(あらら、関連画像が・・・(^^;)「今」ですねえ・・・)

 

岸信介政権時のニュースといいますか、記録を見ると、いまの安倍晋三首相が岸信介元首相の「完全コピー」であることがよくわかります。

 

安倍晋三氏は岸首相のやったこと、やろうとしたことを、いま、「コピー人間」としてやろうとしているだけなんですよ・・・

 

2本のyoutube画像を見ればそのことがよくわかると思います。

 

画像以外の事柄でも、いま安倍首相がやろうとしている、「改憲」「北方領土解決」についても、本格的に取り組んだのは岸首相が最初、といっていいでしょう。

 

岸首相は60年安保で一気に改憲を狙ったわけですが、「北方領土」についてもアメリカに協力を依頼して解決を図っています。

(いっぽう石橋氏はアメリカの存在(米ソ対立=冷戦構造)ゆえに、北方領土解決は難しいだろう、という立場でした)

 

アメリカ大統領とゴルフで親睦を深めるところまで、安倍現首相と岸元首相はそっくりです、というか、ほんとうに、安倍首相は岸元首相の「コピー」なんですねえ。

 

しかしこれ、わたしたち庶民からすると「異様」「異常」としか思えないですよね。

 

たとえば、国会で安倍首相が口をとんがらせて「ニッキョーソ」「ニッキョーソ」(日教組)と連呼していたことがありました。

わたしなんかは、教育の完全右傾化、労組壊滅の今現在、何で首相が「ニッキョーソ」を口にし続けるんだ?と不思議でならなかったのですが、

この動画を見て納得です。

 

安倍首相の頭は、岸政権と日教組が激しく対立した「勤評闘争」時のあたりで止まっていたんですね。

 

(「勤評闘争」とは、それまで「公選制」だった教育委員会が任命制に変わり、その教育委員会が教師の勤務評定を行うことになったため、教職員組合が激しく反発、全国的に展開された「反岸政権」の闘争は父兄をも巻き込んで大変な騒ぎになりました。)

 

安倍首相はその「日教組」のことを言っていたんですよ(・・・呆然)

 

それにしても、ここまで孫がおじいさんのコピーになる、というか、されてしまうのは、もはや「ホラー」の世界ではないでしょうか?

 

あなたも(わたしも)

「おまえはじいちゃんのコピーになれ~。じいちゃんと同じ考え方をし、同じことをしろ~」

なんていわれたらどうします?

 

・・・どうも安倍首相及びその周辺は、われわれ一般庶民とは違う世界で生きている人たちのように思えます。

 

ということで、ここでなぜかわたしが思い浮かべたのは、「横溝正史」の世界(^^;)

 

犬神家の一族」ならぬ「岸家の一族」、「八つ墓村」ならぬ「改憲村」・・・

 

いったい誰がアベシンゾー氏をキシノブスケ氏のコピーにしたのでしょう?

わたしの推理では(?)

それは、キシノブスケ氏を異常に愛していた人、あるいはオカルト的にキシノブスケ氏に傾倒していた人たちなのです(怖;)

 

わたしには安倍首相が犬神家の一族佐清(すけきよ)に見えます。

佐清マスクの進化形である晋三マスクを脱いだら、キシノブスケ氏の顔が・・・ギャーーーー!!!\(°0°)/          なんて(^^;))

 

ひょっとしたら、ノブスケじいさんの脳みその半分くらいが孫のシンゾー氏に移植されているのかもかもしれませんね()(あくまでも横溝正史的ワールドでの話です(笑))

 

けっきょく岸元首相の野望は、当時まだ強かった野党と、自民党良識派の抵抗によって、すべてを達成することはできませんでした。

 

その「無念」というか「恨み」を(岸家の一族の誰かが)孫の身体と頭を使って(乗っ取って、あるいはキシノブスケ氏のコピーとして作りあげて)達成しようとしている、というのが安倍政権の「実態」=「正体」ではないでしょうか?

 

それにしても、

「リベンジ」で政治をやられちゃたまりません。

 

(まあ、無念なのはわかります。

岸元首相が「退陣」して登場した池田政権の「高度経済成長路線」は戦前戦後を通じて唯一国民の幸福度を大きく上げた政策だったわけで、

日本人の(腹の中で、も含めれば)99.9%は岸元首相がああいう形で退(しりぞ)いていったのはいいことだ、と思っていますからねえ(笑))

 

それにしても、

「じっちゃんの名において」どころか「じっちゃんそのものになって」いるアベ少年、いや佐清(すけきよ)、いやいや岸信介元首相のコピー人間=アベ首相、を見ていると、そこはかとなく気の毒な気持ちになってしまうのは、どうしてなんでしょうか?(笑)

 

困ったもんです(笑) 

 

(実はこの文章、いったん「削除」、というか「ゴミ箱」にポイしてたものです。

が、「うーーーん」と悩んだ挙句、「復活」して公開することにしました。

後半のキーポイントとなる昭和32年と昭和33年のyoutube動画は、いったん「おっさんやじいさんが過激に語る」ブログにUPしてもらったのですが、今は削除しています。

 

この動画の扱いというか、UPをどうするかは、またそちらの方と話し合って決めたいと思います。(こちらでUPするほうが自然なんですが、それが今のところできない・・・)

 

興味のある方は、ぜひyoutubeで直接見てください。アベシンゾー = キシノブスケということが納得できると思いますので(笑))

 

追:「おっさんやじいさんが過激に語り合うブログ」さんが、また動画をUPしてくれたようです。

またみんなで「語り」ましょう ヽ(^ー^)ノ

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