何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

いま日記の方ではわたしのホテルボーイ時代の

思い出話をしているわけなのですが、ここではその後(あと)の社会人生活スタート時の話などを。

 

大学5年生の秋も深まった頃、

そろそろ就職も考えなくてはなー、ということで、初めて就職課に行きました。

ドアを開けて中に入ると、就職課のおっさん、いや課長が目を丸くして、

「な、何だ。」

と、緊張感を漂(ただよわせ)わせてこちらを見る。

わたしも一瞬あっけにとられて就職課長を見つめたのですが、

「ああ、なるほど。」

そういえば去年の学費値上げ騒動の時、ここもバリケード封鎖したんだっけ?

(すぐに解除したんですけどね。)

 

「へー、よく調べているんだな」

と少し驚きましたが、いまはごく普通の善良な留年生にすぎないので、

「いや、就職先を紹介してもらおうと思いまして。」

穏(おだ)やかに言うと、

おっさん、いや就職課長はあきれた表情になって、

「いまごろ来て、紹介できる会社なんてあるわけないだろ。」

口には出さないけれど“あほか”という感じで、

取り合う気もないような気配でしたので、

わたしはソファーに座って、

「いやー、困ったなー、何とかなりませんかねー。ここまで学費もしっかり払ってきたしー。」

と事務所の中を見回していますと、

就職課長、裏に行ってしばらく何かを捜している様子でしたが、やがて一枚のコピーを持ってくると、わたしの前のテーブルに置いて、

「ここに行ってみろ。初任給もいいし、会社もしっかりしているぞ。」

聞けば、ここ数年求人は来ているけど、応募する人がいなかったのだとか。

 

ということで、その中小企業に就職することになりました。(笑)

 

うーん、その会社、たしかに給料は悪くなく、仕事もそれほどキツくはなかったのですが、家業というか、同族経営で、なじめばいいのでしょうが、わたしのようなそういう環境が苦手な人間にとっては息が詰まるというか苦痛というか、けっきょくなじめずに3か月で辞めることになってしまいました。

 

辞めて1週間くらいのときかな、

太陽の照りつける暑い夏の昼、

無職の晴天的な気楽さを満喫しつつ、冷房のきいた喫茶店朝日新聞の求人広告を見ていると、ある大企業の子会社の求人に目が留まりました。

 

見れば、その大企業が100%出資している会社とのこと。

 

中小企業に就職して失敗したことで、大企業へのあこがれみたいな気持ちがあったのでしょうか?(・・・ありました。(笑))

その会社に応募することにしました。

 

最初は筆記試験。

試験会場には二百人ちょっとの人がいたかな。

(受験資格がその年の新卒者でしたからみんな同年配。)

 

それに通って面接に行くと10人くらいの人がいました。

 

面接の担当者は3人。真ん中に座っている人が社長でした。

 

面接は楽しかったですね。質問はほとんどその社長だったのですが気が合うというかなんというか、話がはずんだ。(笑)

 

ということで、採用。\(^〇^)/採用されたのはわたしを含め2名、

だったのですが、じつは私は落とされる予定でした。

(これは後に知りました。)

 

ペーパーテストはわたしがトップだったらしいのですが、その会社は本社、いくつかの子会社ともわたしの出た大学の採用実績があまりない、というか、原則わたしの大学からは人を採らない会社だったのです。

会社の方針に逆らってわたしの採用を主張して通してくれたのがその社長だったわけですが、その社長は本社から来て数年で交代する「腰かけ」社長といったところの人でした。

 

そして入社して驚いたのが、わたしに対する会社の冷たい雰囲気。

(その子会社の)本社ビルでの新人紹介で、もうひとりの人の挨拶には「おおー」という感じで大きな拍手があったのですが、わたしの挨拶に対しては義務的な弱い拍手で、なんだかみなさんそっぽを向いているような・・・。

けっこうあからさまで驚きました。

 

そのとき見た社長の表情は平静で特段どうといったことない、という感じでしたが、内心はどうだったでしょうね。

 

それが社会人になってはじめて体験した、派閥というものの姿?でした。

 

 

うーん。長くなってしまいました。

続きは次回。

次回でこの話はオシマイにしたいと思います。(笑)