何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

また3月11日が巡って来ました。

あの日からもう8年も経(た)ったんですね。早いものです。

 

それでもまだ被災の傷が癒(い)えずに苦労されている被災者の人たちが多い。

 

何年も急ごしらえの仮設住宅に住まわせるなど、この国は残酷なものですよ。

 

 そして、年数が経つにつれ、政府・行政や社会は被災者に対してどんどん冷酷になっていきます。

仮設住宅からの「追い出し」さえ始まっています)

 

これは、阪神大震災の被災者にも降りかかったことです。

被災者でも「弱者」は切り捨てられましたから。

 

わたしは、もしこの国が共産主義国家だったらどうだっただろう?と考えるんですよね。

 

たぶん、「被災者」の人たちはとっくの昔に「ふつう」の人たちの中に溶け込んでいたんじゃないだろうか?と。

 

自然災害に強いのは社会主義、あるいは共産主義の体制ですよ。

平等を旨(むね)とする社会では、「災害」を国あるいは社会全体の問題として引き受けることができます。

「被災者」もすぐに他の人たちと同じ(=平等な)位置におさまります。

 

共産主義」のほうが自然災害には強い。

これは小中学生でも、少し考えれは理解できると思います。

 

 わたしは、自然災害と常に隣り合わせのこの国(日本)には共産主義体制が最も適しているんじゃないか?と考えるんですよね。

 

もちろん、言論統制や情報統制、政治による宗教の弾圧、特定の人たち(共産党幹部)による独裁、そしてそのことによる腐敗(ふはい)など、「共産主義体制」の課題も多いですけど。※

 

ただ、それらの「共産主義体制」への懸念(けねん)のなかには、「私有財産の廃止」など、かなり誤解して受け取られているものもあるようです。

 

私有財産の廃止」なんて聞くと、自由もへったくれもないタコ部屋のような社会を思い浮かべてしまいますけど、

共産党宣言」によると、これは「人民を搾取(さくしゅ)できるほどの「私有財産」」のことだと書いてあったように記憶していますので、これは誤解解消、納得。

 

土地の国有化などは、いまのこの国にとっては喫緊(きっきん)の課題ですよね。

 

ただ、「強制労働(きょうせいろうどう)」はねえ・・・

共産党宣言」には、「平等な強制労働」なんて書いてありましたけど、これ、ほんとうにマルクスさんが書いたんでしょうか?

(人民の奴隷化ではないかいな?「搾取」はない?とはいえ・・・)

 

なんにせよ、わたしはひとつのイデオロギーで凝(こ)り固(かた)まっちゃうような政治体制はイヤです。

 

というところで、「日本には共産主義がよく似合う?」という考えと矛盾しちゃうわけですが・・・

 

難しいですね。(←ごまかしています)

 

ただ、自然災害が多いことと関係があるのか、日本は案外、社会主義的傾向のある国です。

 

社会主義というより、儒教の影響、といったほうがいいかもしれませんが、それでもどこか「社会主義者」的なものを感じさせる人物がかなりいます。

 

たとえば鎌倉政府の北条泰時

この人は質実剛健、質素な生活で知られた、この国の歴代指導者として屈指の優れた人格の持ち主でしたが、天皇、公家に厳しかったことでも知られています。

 

経済的な面でも天皇を締め上げる北条泰時に、ある人が

「ちょっと厳しすぎるのではないか」

と苦言を呈(てい)したのに対して、北条泰時

「まことに畏(おそ)れ多いことですが、民百姓(たみひゃくしょう=人民)のことを考えれば、致(いた)し方ないのです」

と答えたという。

 

これ以降、天皇家及び公家たちは経済的に恵まれない生活を送ることになるわけですけど、

それが、「天皇」の存在というか、「天皇制」を長きに渡って存続させることになったのではないか、とわたしは考えています。

 

経済的に人民の生活と大きく乖離(かいり)しない生活で、天皇や公家は人民や他の権力者の批判の対象にならず、ひっそりと長きに渡ってその存在が維持できたのではないか?と思うんですよね。

 

江戸時代最後の天皇である孝明天皇にも、お酒を水で割って飲んでいた、という話が伝わっていますが、

だから、幕末の「尊王」なんですよ。武士たちの「崇拝」の対象になったんです。

 

それが、薩長による明治クーデターの後は天皇が「世界一」の「金持ち」になってしまう。

 

ここらへんのことはまた日をあらためて触れようと思っていますが、江戸時代までの儒教論理がそこ(明治クーデター)で断たれて、西欧のブルジョア体制(の模倣?)へと一気に移行して行き、天皇も大ブルジョアになってしまう。

 

ただ、中国式の官僚制は残り、今に見るような「官僚資本主義」を形成してしまったわけです。

もともと残酷・冷酷なものである官僚制が資本主義と結びついたのだからたまりません。

(さらに、「官僚」とは腐敗するものなんですよね)

 

それでも、(江戸時代に育った)明治天皇はかなり立派で、薩長官僚制の「傀儡(カイライ)」のような立場に置かれつつも、それなりに立派な言動を残しておられる。

 

天皇が「薩長官僚制」(あるいは「長州官僚制」)をほぼ完全に体現したのは、昭和天皇ですね。

昭和天皇は生まれてすぐ薩摩藩士の家で育てられ、少し大きくなってからは長州藩士たちによって「教育」されました。

(戦前の)昭和天皇はパリパリの薩長閥官僚制の天皇であり、またトップ資本家として「財閥」の長だったわけです。

 

この影響は敗戦後の現在でも色濃く残っていると言えるのではないでしょうか?

まァ、世界が資本主義体制であるのは明治以降現在まで変わらないわけですから、仕方ないといえば仕方ないのかもしれませんが?

 

それでも、この国にまだ社会主義的といいますか儒教的な善政(ぜんせい)思想が僅(わず)かながらでも残っているのは、江戸時代までの長きに渡るこの国の「歴史」のおかげでしょう。

(それも強欲資本主義=新自由主義グローバリズムによって急速に破壊されて行っていますが)

 

あと、この国の「社会主義的傾向」については、「儒教」思想も越えたような「社会主義者」の「素質」?を感じさせるような人たちがいるんですよね。

 

武士では、唐の「貞観政要」をベースにした「善政」を目標にした源頼朝はともかく、

北条泰時織田信長徳川家康大塩平八郎西郷隆盛などに「エッ?」というようなものを感じます。

 

それはまた、おいおい・・・

 

 

それにしても、利益第一の「理想」なき社会というのは酷(ムゴ)いものです。

 

今の日本もその最中(さいちゅう)にあります。

 

イデオロギー優先の社会はイヤですが、人類が普遍的に目指し、歴史の「成果」として築きあげたものは確固としてあるはずなんですけど、それさえもが崩されようとしているわけで、この「先」のことを考えると暗澹(あんたん)とした気持ちにならざるを得ません。

 

ともあれ、民主主義も民本主義も否定されたこの国では明治以降、戦争で多くの人たちが殺され、また、戦災孤児や災害被災者など幾多の人たちが筆舌(ひつぜつ)に尽くし難い辛酸(しんさん)をなめてきました。

(昨日3/10付け東京新聞朝刊の東京大空襲(昭和20年3月10日)による「戦災孤児」の特集はよかったですね)

 

今日は鎮魂の日ですが、残された被災者の問題も深く、広く考えるべきだと思います。

 

そういった思いを込めて、黙祷。

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・・・江戸時代のある武士が、

「中国は偉大な思想の数々を生み出したけれど、それを実現したことはない(これにはやや異論がありますが・・・)、そういった思想、理想を実際に実現し、実現しようとしているのは日本だ」

と述べたといいますが、

中国の問題はともかく、いったん「理想」が与えられれば、それを実現していくのに最も適した国のひとつが日本だ、ということにはかなりの人たちが「納得」するんじゃあないでしょうか?

 

そういう意味で

「まだまだ終わらんぞ」

という気持ちを強く持って生きて行きたいものだと思います。

 

(それにしても、福島第一原発事故!あれを起こすに至った「原発マフィア」の罪は大きく、深いぞ! クッソ~)

 

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※ とはいうものの・・・

ロシアのお年寄りに聞くと、「社会主義体制のソ連時代」のほうが今の「ブルジョア民主主義?」(最近の日本や世界を見ていると「ブルジョア独裁主義」?)体制のロシアよりもずっと良かった、という意見のほうが圧倒的に多いようです。

 

日本でも、20年ほど昔、東京でお年寄りたちと話をしたら、東京がいちばん暮らしやすかったのは社共革新都政の美濃部都知事時代だった、と回想されていました。

実感がこもっていて、印象深いお話でした。

 

庶民の「実感」が最も正しい「価値判断」だとわたしは信じていますので、社会党が「消滅」させられた(?)今、わたしは共産党に投票している、ということを付け加えておきます。

 

山本太郎さんもいいようですね。

 

とにかく、これからも、“国民の立場に立ってくれる”人に投票していきたいと思っています。

 

せっかくの「投票権」なんですから。