何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

少し暖かくなって

季節の変わり目ですねえ。

 

ということで、     (←???)

最近、やや惑乱気味であります(笑)

 

どうも、ミスやもの忘れが多い。

 

で、一週間ほど前からイチョウ葉のサプリを飲んでいるのですが、いまのところ全く効果はないようです(笑)

(ドラッグストアで買ったものをレジ袋に入れて、それをそのままそこに忘れてきたり???とか(泣)

まだボケるトシではないと思うんですけどねえ・・・)

 

 

 閑話休題(それはさておき)(汗)

 

このあいだの夜、久しぶりに巣鴨に行ったら、この地域のシンボルとも中心ともいうべき「とげ抜き地蔵」さんにちょっとした「異変」が。

f:id:hibi333zakkan:20190226193018j:plain これまで「満載」で掲げられていた商店や企業の「協賛」提灯がすべて撤去、というか、無くなっていました。

 

「ははあ」

と思ったのは、今年の節分の豆まき中止をめぐって、お寺(とげ抜き地蔵=高岩寺)さんとこの商店街のメンバーによる「巣鴨地区街づくり協議会」さんに「確執」があったことを新聞記事で読んでいたから。

 

どうも、お寺のご住職と「商店街」(巣鴨地区街づくり協議会)の関係がうまくいってないようです。

 

記事を読むかぎり、

「商店街」は、「ナニお寺の坊さんがエラそうにうるさく言ってきたりしてるんだ」

という感じで、

 

お寺の住職からすれば、「商店街はただお寺を利用しているだけじゃないか」

といったところでしょうか。(まァ、たしかに近年、この街の宗教的な雰囲気が薄れている、とはわたしも感じます)

 

「商店街」は商売優先。お寺としては「信仰」第一。

その溝(みぞ)が妥協し難いところまで広がってしまったように思えます。(?)

 

これは、江戸時代では考えられなかったことでしょう。

 

いうまでもなく、江戸時代には「寺請制度(てらうけせいど)」というのがあって、庶民は必ずどこかのお寺の檀家(だんか)になることが強制されていましたから。

 

おそらく、江戸時代のこの地域の人たちの多くはこのお寺の檀家だったでしょうし、商店の経営者さんたちもそうだったでしょう。

 

しかし、今は違います。

 

わたしは十数年前からときどき巣鴨に来ているのですが、巣鴨商店街の商店の移り変わりは結構激しく、当初からみればほとんどの商店が入れ替わっているように見えます。

それと、チェ-ン店が増えた。

 

こういう状況では、商店街にそのお寺さんの檀家などほとんどいないんじゃないでしょうか?

 

今回のごたごたで協賛提灯がすべて無くなったことが、それを証明していると思います。

 

それと、この「とげ抜き地蔵」さん=高岩寺曹洞宗のお寺であることも、「商売人」さんたちとの関係を微妙にしているんじゃないでしょうか。

曹洞宗といえば禅宗

 

禅宗というと、わたしのような外部の者(父方=親族ほとんど日蓮宗、母方=親族ほとんど浄土真宗(^^;))から見ると武家の宗教といったイメージが強いくらいに質実剛健、禁欲的な面の強い宗派ではないか、と思います。

 

そのお寺に、「とげ抜き地蔵」があるというのは、ちょっとギャップがあるような気もするんですよね。

 

これが、真言宗あたりだと、派手に祈祷やら護摩焚きなどをやって、相当な「収入」を得ることができて。

商店街ともウィンウィンの関係でうまくやっていけるような気がしますが、

                  (イメージだけで言ってます(^^;))

 

禅宗では・・・(笑・・・失礼!)

 

今の時代、現世利益を強く打ち出している宗教以外の宗教は苦しいですよ。

 

現世利益がなければ、いまの世の中では「葬式仏教」としか見られません(年々その見方が厳しくなっています)。

また、この国では一般人が「悟り」を求めようとすれば、生きていくことさえ難しい、というのが現実です。

 

(やはり一般人が)宗教的、道徳的にほんとうに正しい道を歩こうと思えば、利潤がすべての資本主義のこの国でどんな目に遭うでしょうか?

 

そう考えると、巣鴨の商店街と、巣鴨のシンボルである「とげ抜き地蔵」さんの間の不協和音は出るべくして出てきた、といっていいのではないでしょうか?

 

信仰の街であってほしいお寺と、生き馬の目を抜く商売の世界で「儲け」なければやっていけない商店。

その裏には消費者の変化、消費者のニーズの変化、(つまり日本人の(あり方の)変化)もあると思います。

 

・・・今のニッポン

お寺さん(仏教)も苦しい。(激しい淘汰の嵐にもまれ、明日の運命も知れぬ)商店も苦しい。

 

それでも巣鴨には、東京の他の街にはない、お年寄りが安心して行ける「やすらぎ」と「落ち着き」を感じさせるものがあるので、その雰囲気は無くならないでほしいものです。

(わたしにとっても「息抜き」のできる街なので)

 

 

・・・実は今回のブログでは明治期の「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」と「宗教一揆(しゅうきょういっき)」について書くつもりでいたのですが、なんだか別の方向に行っちゃいました(笑)

(そのため、最後がかなりいいかげんなまとめになってしまったような・・・(笑))

 

それ(「廃仏毀釈」「(明治期の)宗教一揆」)についてはまた次回以降に触れたいと思います。

 

 

追記:

このあいだの天皇在位30年式典での天皇のお言葉で

「自分の在位中に戦争が無かった」ことを、自らの“名誉””実績”として「自負」されていたのはよかった、と思いますね。

 

ただ、わざわざそうおっしゃったということは「戦争」の危機もあったのかな?と深読みしたくなりますけどね。

(今の日本の状態を見れば・・・)

 

ともあれ、現代の戦争とは支配者層(エリート)が民衆(非エリート)を殺すことをいいます。

(民衆を殺す)テロ、経済制裁、大搾取、弱者殺しの経済・社会政策、も戦争の一種です。

 

イラクにしろリビアにしろシリアにしろ、ほんとうの被害者は民衆でした。

 

そして今またベネズエラで・・・

 

独占強欲資本主義が支配する世界では民衆は日常的に戦争を仕掛けられているようなものです。

 

これからの日本はさらに厳しい局面に立たされるのでしょう。

 

わたしは、天皇は明治時代以前、孝明天皇以前の天皇の姿に戻るべきだと思っているんです。

 

だから(今の)天皇のあり方に反対している「反天皇」の運動を評価しています(笑)

(反天皇の運動はなくてはならないものと思っています)

 

孝明天皇までの天皇なら、民衆は誰も天皇に反対したりしませんよ。

 

「次の天皇が最後の天皇になるだろう」

と言われているようですが、わたしは早く「ああ、そういや、天皇さんがいるんだっけ」と民衆から思われる(忘れられる)ほどに「権力」から離れた存在になっていただきたいと思っています。

 

あと、資本家からも距離をとってほしいですね(無理?)

 

4G(ジェネレーション)→5G(ジェネレーション)と進むテクノクラシー(科学技術による支配)こそが、ニューワールドオーダーなのだという人がいます。

それはまた、強欲、冷酷無残なサイコパス独占資本家が世界の全ての人たちの運命を握ることでもあります。

 

この事態に世界の99%は、われわれ日本の99%はどのように対処すべきか?

 

とりあえず、天皇は「権力」とも資本家とも、すっぱり手を切って、孝明天皇以前の天皇に戻っていただきたいと思っています。

 

(・・・少しアタマがしっかりしてきたかな?(笑))

 

では、次回また