何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

寒さもあって、この年末とお正月三が日は

ずっと部屋の中に閉じこもっていました。

 

だいたい、横になってごろごろ、うとうと。

オナカがすいたら起きて食べて、退屈したら読書かネット閲覧。

究極のお気楽怠惰生活を満喫しました(笑)

 

いいですねえ、お正月は(笑)

 

テレビはほとんど見ません。

 

今年も箱根駅伝はタイヘンな視聴率だったようですが、

わたしは、関東限定のこのイベントを見ると、明治以降の日本政府がひそかに地域に序列をつけていて、その序列第一が関東だ、ということを知っているので?

「なんだかなー」ということで、ちょっと見る気になれないんです(笑)

 

この国は官、民の身分差別から始まって、目に見えない様々な差別の存在する国です。

その象徴が東京大学閥の官僚さんと世襲の有力政治家さんかな?(これは目に見えている)

 

閑話休題(それはともかく)

 

年末から(今も)読んでいる本は、《ロック『市民政府論』を読む》(松下圭一・著)と《耳囊(みみぶくろ)》(根岸鎮衛(ねぎしやすもり)・著)です。

 

タイヘンためになる(ロック~)のと、面白い(耳囊)のと、どちらもとてもいい本です。

 

「耳囊」はこれまで何回か読んでいるのですが、いつもぽつぽつの拾い読みなので、どの程度読めているのかわからない(笑)。

今回も同じです。

いつもは岩波文庫版で読むのですが、文字の小さいのが苦痛になってきたので、今回は東洋文庫の「耳囊」を借りて読んでいました、

 

が、

「あれ?」

と思ったのが、東洋文庫では100以上の項目が「省略」されていることです。

 

編者は

「内容的に興味の薄いもの、資料的に価値の低いもの、あるいはまじないや民間療法的な記事を削ることにし、~」

と「凡例」に書いていますが、

 

「なるほど」と思えるものもあれば、「あれ?なんでこれを削っているの?」と首をひねるのもある。

 

とりわけ、わたしが納得できなかったのは、

巻四の『清乾隆帝大志の事』

が削られていることです。

 

その内容は

 

清で乾隆帝に対して反逆(暗殺?)を試みようとした者があって、逮捕された。

その者に反逆の理由を問いただすと、

「自分は先祖代々中国人(華人)だ。

乾隆帝は夷狄(いてき)の種族(清=満州人)なので、これを殺して中華正統の(中国人の)支配に戻そうとしただけだ」

と答えたといいます。

それを聞いた乾隆帝

華人(中国人)夷狄(異民族)という差別は人間から見た見地、差別だ。

天から見ればそのような差別はない。

たとえ古代以来の中国の正統を受け継ぐ天子であろうとも、民を虐(しいた)げる桀(けつ)紂(ちゅう)のような暴君なら天もこれを認めはしないだろう。

異民族の支配においても同じことだ。」

と言い、反逆の者もその言葉に納得した、

 

という、その話を聞いた根岸鎮衛

 

「さすがに50年以上清国を治め、この国(日本)同様、

(清国を)四海静謐(しかいせいひつ=平和)に保った皇帝だけあって、エライものだ、

と感心している話で、

 

わたしは江戸中期の南町奉行でもあった根岸鎮衛の見識というか政治倫理の高さと、良質のグローバリズム?とも言うべき開明性に、意外な驚きを感じたものでした。

 

 

それがなぜ「資料的価値が低い」として?削除されなくてはならないのか?

ちょっと納得がいきません。

 

ただ、乾隆帝は清で善政を行ったことで有名な3皇帝の1人ではあるけれど、たびたび遠征の軍を起こして領土を広げ、国内では蓄財にかまけた腐敗官僚(いまの日本では総理大臣に相当する人物?)を寵愛するなど、必ずしも根岸鎮衛が言うような平和で英明なだけの皇帝ではなかったので、編者はその「認識(情報)不足」を問題にしたのかもしれません?

 

ともあれ、この江戸時代中期の南町奉行は、明治以降の「戦争政府」、いまの「国を戦争へと向かわせようとしている政府」の人たちよりは、

ずっとまともな考え方をしていました。

 

 

ネットのほうでは、1月5日の「日記 - ひぐらし無常」に書いた、わたしの幼児時代?の頃の政治、社会情勢が知りたくて、ぼんやりと追憶にひたりつつ、「過去」を検索。

 

なんだかタイムマシーンに乗って「その当時」のあれこれを見ているような楽しさでした。

 

その中には、「おお~」というような、『今』につながる興味深いものもありました。

 

それは

『[昭和32年12月] 中日ニュースNo.205_1「この一年 - 1957年の歩み」』

『[昭和33年12月]中日ニュースNo.258 1「1958年ニュースハイライト」』

 という二つのyoutube動画です。

 

 この二つの動画をここに貼ろうと思ったのですが、なぜか?失敗(お恥かしい・・・)

お仲間ブログの『おっさんやじいさんが過激に語り合うブログ』に貼ってもらうようお願いしました。(見てください!)

 

 岸信介内閣が誕生したのは昭和32年(1957年)だったんですね。

「ニュース」では病気で辞任した石橋湛山首相による指名、ということで、いかにも「禅譲」による政権継承のように書かれていますが、実際は「権力奪取」だったでしょう。

民主的で人気のあった石橋首相と、日本の政治を一気に「右傾化」させた岸政権ではあまりにも差がありすぎますからね。


昭和32年制作/第110号 石橋首相来県 他

これ貼っときました \(^^) 石橋政権時の日本の雰囲気が窺えます。

上記の二つの(岸政権時の)youtube画像とは明らかに雰囲気が違ってますよね。

 

(あらら、関連画像が・・・(^^;)「今」ですねえ・・・)

 

岸信介政権時のニュースといいますか、記録を見ると、いまの安倍晋三首相が岸信介元首相の「完全コピー」であることがよくわかります。

 

安倍晋三氏は岸首相のやったこと、やろうとしたことを、いま、「コピー人間」としてやろうとしているだけなんですよ・・・

 

2本のyoutube画像を見ればそのことがよくわかると思います。

 

画像以外の事柄でも、いま安倍首相がやろうとしている、「改憲」「北方領土解決」についても、本格的に取り組んだのは岸首相が最初、といっていいでしょう。

 

岸首相は60年安保で一気に改憲を狙ったわけですが、「北方領土」についてもアメリカに協力を依頼して解決を図っています。

(いっぽう石橋氏はアメリカの存在(米ソ対立=冷戦構造)ゆえに、北方領土解決は難しいだろう、という立場でした)

 

アメリカ大統領とゴルフで親睦を深めるところまで、安倍現首相と岸元首相はそっくりです、というか、ほんとうに、安倍首相は岸元首相の「コピー」なんですねえ。

 

しかしこれ、わたしたち庶民からすると「異様」「異常」としか思えないですよね。

 

たとえば、国会で安倍首相が口をとんがらせて「ニッキョーソ」「ニッキョーソ」(日教組)と連呼していたことがありました。

わたしなんかは、教育の完全右傾化、労組壊滅の今現在、何で首相が「ニッキョーソ」を口にし続けるんだ?と不思議でならなかったのですが、

この動画を見て納得です。

 

安倍首相の頭は、岸政権と日教組が激しく対立した「勤評闘争」時のあたりで止まっていたんですね。

 

(「勤評闘争」とは、それまで「公選制」だった教育委員会が任命制に変わり、その教育委員会が教師の勤務評定を行うことになったため、教職員組合が激しく反発、全国的に展開された「反岸政権」の闘争は父兄をも巻き込んで大変な騒ぎになりました。)

 

安倍首相はその「日教組」のことを言っていたんですよ(・・・呆然)

 

それにしても、ここまで孫がおじいさんのコピーになる、というか、されてしまうのは、もはや「ホラー」の世界ではないでしょうか?

 

あなたも(わたしも)

「おまえはじいちゃんのコピーになれ~。じいちゃんと同じ考え方をし、同じことをしろ~」

なんていわれたらどうします?

 

・・・どうも安倍首相及びその周辺は、われわれ一般庶民とは違う世界で生きている人たちのように思えます。

 

ということで、ここでなぜかわたしが思い浮かべたのは、「横溝正史」の世界(^^;)

 

犬神家の一族」ならぬ「岸家の一族」、「八つ墓村」ならぬ「改憲村」・・・

 

いったい誰がアベシンゾー氏をキシノブスケ氏のコピーにしたのでしょう?

わたしの推理では(?)

それは、キシノブスケ氏を異常に愛していた人、あるいはオカルト的にキシノブスケ氏に傾倒していた人たちなのです(怖;)

 

わたしには安倍首相が犬神家の一族佐清(すけきよ)に見えます。

佐清マスクの進化形である晋三マスクを脱いだら、キシノブスケ氏の顔が・・・ギャーーーー!!!\(°0°)/          なんて(^^;))

 

ひょっとしたら、ノブスケじいさんの脳みその半分くらいが孫のシンゾー氏に移植されているのかもかもしれませんね()(あくまでも横溝正史的ワールドでの話です(笑))

 

けっきょく岸元首相の野望は、当時まだ強かった野党と、自民党良識派の抵抗によって、すべてを達成することはできませんでした。

 

その「無念」というか「恨み」を(岸家の一族の誰かが)孫の身体と頭を使って(乗っ取って、あるいはキシノブスケ氏のコピーとして作りあげて)達成しようとしている、というのが安倍政権の「実態」=「正体」ではないでしょうか?

 

それにしても、

「リベンジ」で政治をやられちゃたまりません。

 

(まあ、無念なのはわかります。

岸元首相が「退陣」して登場した池田政権の「高度経済成長路線」は戦前戦後を通じて唯一国民の幸福度を大きく上げた政策だったわけで、

日本人の(腹の中で、も含めれば)99.9%は岸元首相がああいう形で退(しりぞ)いていったのはいいことだ、と思っていますからねえ(笑))

 

それにしても、

「じっちゃんの名において」どころか「じっちゃんそのものになって」いるアベ少年、いや佐清(すけきよ)、いやいや岸信介元首相のコピー人間=アベ首相、を見ていると、そこはかとなく気の毒な気持ちになってしまうのは、どうしてなんでしょうか?(笑)

 

困ったもんです(笑) 

 

(実はこの文章、いったん「削除」、というか「ゴミ箱」にポイしてたものです。

が、「うーーーん」と悩んだ挙句、「復活」して公開することにしました。

後半のキーポイントとなる昭和32年と昭和33年のyoutube動画は、いったん「おっさんやじいさんが過激に語る」ブログにUPしてもらったのですが、今は削除しています。

 

この動画の扱いというか、UPをどうするかは、またそちらの方と話し合って決めたいと思います。(こちらでUPするほうが自然なんですが、それが今のところできない・・・)

 

興味のある方は、ぜひyoutubeで直接見てください。アベシンゾー = キシノブスケということが納得できると思いますので(笑))

 

追:「おっさんやじいさんが過激に語り合うブログ」さんが、また動画をUPしてくれたようです。

またみんなで「語り」ましょう ヽ(^ー^)ノ

blog.goo.ne.jp