なりました。
改憲シフトというんですかね、全てのテレビ局が安倍自公政権の意向に沿った番組作りをやっているような状況です。
今こそ国民全てが、国のあり方について、正しい情報に基づいて、必死になって考えなくてはいけない、と思うのですが、
これまで、国民の意識に根を張ってきたマスメディアが一斉に「愚民化」路線をとり、国民の議論の足を引っぱっています。
目も耳も塞がれている国民。
微かに、ネットでなんとか事実、真実を伝えようとしている人たちはいますが、その「良心の叫び」も国民全体からすれば少数派で、ネット規制の強められている今、風前の灯となっているようです。
それにしても、革新陣営、99%の立場に立つ政治勢力って、こんなに力が弱かったっけ?
世界的にもそういう傾向はあるようですが、とくに、顕著なのが日本でしょう。
ひょっとして、この世界的な「民主主義の後退」はこの国が原因ではないか?
最近、そんなことを思い始めました。
「1%のための世界」
今の世界の支配層はそんなことを考えているようで、その中心に近いところにこの国があるような気がします。
・・・あるいは、「そういう世界、社会のモデル作り、実験場」
この国で「成功」した「制度改悪」「人民弾圧」「人民管理」、被支配人民はどこまで「悪政」に耐えられるか? を、
まず、奴隷的民族、家畜的人間である日本人で実験してから、世界に「応用」していく。
・・・それだと、「外国」の陰謀のように思われますが、
いやいや、それだけではないでしょう。
問題は、日本の「支配者」、「支配層」にもあるのです。
99%の人民の利益を損なう「改憲」を目論む政党が、「違法性」の臭いをぷんぷんさせながら半独裁体制を作り上げている現状ですが、
なぜ、そんなことがまかり通るのか?
ということを理解するには、日本では、やはり「歴史」から見ていくしかないのではないでしょうか?
そのとき大事なのは、「虚偽の歴史」にダマされないこと。
「歴史」といっても、それが支配者のためにする虚偽の歴史であっては、どうしようもないわけで、
というか、そんなものに騙され続けていたら、決定的に誤らされ、われわれ民衆が地獄に落とされちまうんじゃないでしょうか。
そのためには、事実を必死に追い求め、とことん考え抜く必要があるのです。
いまの日本で、そういう苦しい作業を行っているのは、在野の歴史学者さんたちでしょう。
大学教授やマスコミなどにはほとんど期待できない、というのが現状なのです。
政府、体制に養われている(身分を保証されている)大学教授、支配体制に忠実であることによって企業から大金をもらっているマスコミ。
そんなものには、はなから期待することはできないでしょう。
日本には、いかにももっともらしく「虚偽の歴史」を垂れ流すNHKというたちの悪いプロパガンダ屋、洗脳屋もいます。
(民放は騙す以前に、自分たちも虚偽を信じさせられている単なるばかですが、NHKはそこらへんのところを知っていてやっているからタチが悪い)
日本人がおかしくなっているのは、そういう「意図的に」作り上げられた「虚偽の歴史」をとことんインプットされているためかもしれません。
「事実」「真実」に基づいていれば、人間はそうおかしな方向にはいかないものですよ。
そういう「在野」の歴史学者のひとりに最近亡くなった古田武彦さんという方がいます。
「九州王朝説」であまりにも有名な人ですが、その著作の多さにも関わらず、中央?の学者さんたちからは完全に無視されてきました。
わたしは古田さんの著作をそう多く読んだわけではないのですが、古代、九州に「日本(倭)」の中心があったという説には賛成です。
常識的に考えれば、そうなりますよ。
ただそれを「王朝」と言ったところが中央(国)の学者さんたちの「拒絶」を招いたかな?とは思っています。
いまの「天皇制」と関係してきますからね(笑)
わたしは、「この国」の中心が九州にあったのは「壬申の乱」まで、と考えていたのですが、古田さんは、701年まで、としているようです。
そうすると、「倭」の首都は最後まで九州、「日本」という国の「始まり」とともに首都も近畿に移った、ということになりますか?
わたしが、「うーん」となるのは、蘇我氏の作った大きなお寺が、701年よりも前から近畿にあること。
わたしは、倭の大王家である蘇我氏がその中心勢力を九州に置きつつ、近畿大王家との妥協で、近畿に倭の首都を置いていた、と考えていたのですが、
しかし、「移築」の可能性もあるんですよね。
九州から近畿に「移築」。その考え方は持てなかった。
さすがによく調べられているな、と思いました。
飛鳥大仏。いずれ触れるかと思います。
ともあれ、いまわたしは「明治以前」の日本の歴史をなるべく事実に近いところで理解して、明治以降の日本を考える基礎としたいと考えているのですが、
なるほど、
ちょっとこれまでは、どうかな?と思っていた古田」さんの著作も、これから本格的に読んでいかなくてはならないな、と思っています。
(在野であることによるマイナスイメージ。やはり無意識的に影響されてしまうんですねえ。人間は(たとえそれが偽りではあっても)「権威」に弱い・・・)
話は飛んで、
最近、在野で歴史に真摯に取り組んでいる人たちが、
「<それまでの日本>は明治「維新?」クーデターで滅んだ」
というような考え方をされているのを多く見受けるようになりました。
わたしは、明治「維新(←ウソ)」はブルジョワ革命だったと思うのですが、
それは、産業資本家によって資本主義社会がもたらされたというよりも、薩長のクーデター利権享受者と天皇、およびそれにつながる人たちが大ブルジョアになっていったという、変則的なものだったと思います。(しかもその頃、世界の資本主義はすでに金融資本主義の段階に達していました。)
・・・・(明治「維新」を社会民主革命だと勘違いしていた北一輝など2.26の将校たちは処刑されてしまいました。・・・まさに、虚偽の歴史を信じさせられていた人たちの悲劇)
明治以降の天皇はそれまでの天皇とはその性格がまったく違うのですね。
それをまったく覆い隠して「万世一系の」なんてやって、国民虐待、侵略戦争なんかを始めて、ついには日米戦争で国を滅亡の寸前にまで追いつめたんです。
いまも、その「誤れる」路線のままですよ。
違うのは民主的な日本国憲法があることだけ。
この日本国憲法「路線」のほうが明治以前、千数百年続いた「日本」の歴史の「後継」、「続くもの」としてふさわしいんですよね。
わたしは、それを明らかにして行きたいと思っているんです。
(わたしは、平成天皇が明治以前の天皇の姿に戻っていくかな?と期待していたのですが、現状を見るかぎり、違ったようです)
まじめに日本の歴史に取り組んだ人は、その多くが「明治維新」を否定的に捕らえるようになるのですが、
古田氏も晩年の著作で、「水戸学」(=これが明治の東京帝国大学による「国史学」の基になった)の批判とともに、こう述べています。
→『明治維新以降の「歴史」、それは“偽りの歴史”“欺瞞の歴史”である。すなわち、明治以降の国家は、“欺瞞の国家”であった』
『戦争中、多くの日本人は死んでいった。兵士は戦場で。一般人は町の中で。
~
けれどもその人々の「死」を悼み、無駄にせぬとは、決して「敗戦前の国史大系」を美化することではない。
天皇家の祖先が天からこの地上に降りてこられた、などという、荒唐無稽の歴史を「再認」することではない。当然のことだ』
これはまったく同感。
また、上記のわたしの、革新陣営の力の弱さに対する嘆きについては、こんな「記述」が
→『現代の選挙は「オール与党」の選挙である。
(すべての政党は)「天皇中心の国史」という、栗田寛(東京帝国大学教授)によって“偽置”された「水戸学」風味の“偽りの歴史”の支持者たちの“寄り集まり”である。
どの政党を見ても、他の選択肢はまったく無い。まったく影すらないのである。
そのような「コップの中の選挙」、それをあたかも“民主主義”であるかのように言っているだけなのである』
うーむ。歴史家の確かな「目」というか、歴史をしっかりやると、そこまで見えちゃうんですねえ。
今を生きるわたしたちにはちょっと絶望的だけど(笑)
ともあれ、「活路」も「歴史」に求めるしかないわけで、
またぼちぼち「歴史」をやって行きましょう。
求めるのは「事実」「真実」、そしてそこから導き出される「人間」のあり方。
とにかく、いまの日本のアタマの連中(政・官・財・マスコミ)に「おまかせ」なんかしていたら、「えらい目に遭う」可能性が大きいのですから。