何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

【別の民族の成りすましが国の支配者層

を形成する】

などという陰謀論まがいの話が最近の日本でささやかれているそうですが、「歴史」を見れば、別段これは珍しいことでもなんでもない。

「他民族による支配」というのはむしろあたりまえのこと、と言っていいんじゃないでしょうか?

 

珍しい、あるいは変わっているのは「成りすまし」という部分だけでしょう。

これは民衆が「国」「民族」を強く意識しはじめた近・現代の特徴だと思います。

 

昔は他民族が堂々と別の民族を支配していました。

ヨーロッパ、中東地域は言うに及ばず、中国でも歴代王朝は漢民族よりも「異民族」によるもののほうが多い。

 

日本も「万世一系」云々といった「フィクション」はともかく、「日本」という国はその始まりから「異民族支配」です。

 

これはわたしの持論ですが、日本はまず「天皇」制ができ、その後に「日本」という国ができた。

その際、あるいはその後しばらくの間、朝鮮半島や中国大陸から多くの人あるいは部族が「日本」に来て、その人たちが「支配層」を形成していったわけです。

 

(異民族)天皇 - (異民族)支配層 - 旧来の土着日本人

というヒエラルキーです。

 

「異民族支配層」というのは、「源」「平」「藤」「橘」といった姓を朝廷からもらった一族で、その元はすべて渡来民です。

日本の苗字のほとんどはこれらのいずれかに属する、ということになっています。

 

だから、たとえば江戸時代に、氏姓を名乗れるというのは、潜在的に「渡来系」であるということを誇っていたわけで、それのない「くまさん」「八っつあん」「ごんべ」さん、なんてのが「原日本人」を「主張」?していたわけです(笑)

 

「旧来・土着の「日本」人」はバカにされる存在?

 

なんだかそんな潜在意識が日本人にはあるのかもしれませんね。

 

天皇制」以前の「倭」の時代に遡っても、「倭」の大王=蘇我氏は中国大陸にその始原を持つ「渡来系」です。(「倭」じたいがもともと中国大陸南部の部族)

さらにその前も、「夏」由来の民族がこの国の支配的部族であった(中心的部分を支配していた)といわれています。

 

つまり、この国は、後からやってきた有力部族が、それまでの支配勢力、「土着民」を支配していく、といった歴史の積み重ねでできているわけ。

 

だから今さら「異民族支配」云々を言って支配層を非難しても、その効果は薄いわけです。

実際、いまの日本も財・政・官といった支配機構の深いところまで(なりすまし)「異民族支配」が確立していて、「原日本人」たる庶民が「権力」を主張できる余地は無くなっているように見えます。

東京大学法学部を頂点とするヘンサチ教育そのものが「異民族」のための教育ですしね←原日本人=庶民を差別するための)

 

ただ、現代において進行する「異民族支配」の問題点は、それが「冷酷」「残酷」で、原日本人=庶民の滅びも辞さない体制だ、ということですね。

これは「成りすまし」ということの弊害であるともいえます。

 

いまの日本の(なりすまし)支配層(者)は、潜在的に日本人を「憎悪」しているのではないか?

 

自分たちの銭勘定(儲け)ばかりを優先して、日本人の生命、生活に対する関心が薄い、というか、そのことに対する「感受性」そのものが無いようにも見えます。

老人、障害者、災害被害者、貧者などの日本人弱者に対しての「敵意」に近い虐待ぶりがそのことをよく現しています。

 

「異民族支配」といっても、中国などを見ると、「異民族支配者」はそのことを意識するが故に?善政を心がけたということがある。

ともに末期には「悪政」になってしまったとはいえ、中国における二大善政王朝というべき「唐」「と「清」はともに異民族王朝です。

 

元祖「成りすまし」?の「日本」の「天皇」も異民族支配ヒエラルキーを構築する反面、「善政」を心掛けていました。

(土着日本人である「百姓(ひゃくせい)」を「宝」と言っていることなど)

 

天皇が招来した多くの渡来人は、天皇の家来としてこの国に定着したわけです。

(だから、たとえば関東に住んだ渡来系の武人(源氏や平家の元になった)は厳しい条件で防人として九州などにも行きました)

 

ともあれ、現代が「日本創始」のころのような「激変」の時代を迎えていることは間違いないようです。

もし、「日本」の始まりのころの支配者が「善政」(=「唐」の善政がモデル)を志すのではなく、残虐な「悪政」を行っていたとしたら?

・・・たぶん、わたしたちのほとんどは、今ここに存在していなかったでしょう。

 

現代・現在の国、社会の状況も、そのころのようなきわどい局面にあるのだということを、わたしたちは強く意識しなければならないのですが

・・・どうも、支配者・支配層も、庶民も、あまりいい状態ではないように思えます。

 

ともあれ、いまこの国の「歴史」を見直し、それを現状の理解に資する、そこから現状打開のヒントを得る、という作業は大切なことだと思います。

わたしも自分なりに納得できるよう、細々と、そういった作業を続けて行きたいと思っています。