何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

これまで先人が築いた業績を台無しに

してしまう。

この自民党公明党政権は日本史上最悪クラスではないでしょうか?

 

もちろん、最悪は戦争のきっかけを作った、戦争を始めた政権ですが、こういった自民党公明党による政権も戦争準備に着々、という風に見えます。

政府関係者や官僚公務員から「平和」という言葉を聞くこともなくなりました。当然、平和への努力もなされていません。

 

いったい「改憲」を目指すというけれど、国連の「敵国条項国」である日本が、敵国条項をそのままにして「平和憲法」を改憲すれば、どのような状況におかれるか?

散々利用された挙句、国を滅ぼされるのがオチではないでしょうか?

(それを隠して改憲しようとしている)

 

同時に、日本国民・民衆への締め付けも、真綿でクビを絞めるようにじわじわと進行中です。

「人権」「平和」「民主主義」の破壊。

内部でも民衆はそれらを奪われることによって、人間としての「尊厳」を奪われつつあります。(日本の内部破壊)

 

それでも「いま生きていればいい。いまなんとかなっていればいい。自分さえよければいい」といった様子で、おとなしく「破壊者」と化した権力者に従う国民大衆。

 

想像力の欠如したエゴイストであるのはトップから下々(しもじも)まで、共通した国民性になってしまったのかな?ニッポン人。

 

「歴史」を語っている場合じゃない?

うーん、たしかに、でも、江戸時代までの日本と明治10年以降敗戦までの日本、1980年代後半から現代までの日本は異質なものと考えられますので、やはり「歴史」は重要なのではないか?と思います。

いまは日本にとって「異質」な時代なのです。

 

戦後日本を支配した米国によって与えられた「自由」「人権」「民主主義」「それらに基づく平等性」

これらは、たしかに完全なものではなかったが、「形」は整っていました。

戦後少したったころの映像で、お年寄りが「日本人は戦争に負けて、はじめて自由を知ったんです」と語っているのを見たことがありますが、それは偽わらざる実感だったでしょう。

 

「占領軍」によって与えられた、その民主主義の「形」を取り上げていこう、としているのが今の安倍自民党公明党政権です。

その背景には「占領軍」=アメリカの「変質」があると思います。アメリカも変わったのです。

 

変わったというか、ズバリ「劣化」した。

劣化してその国是であるデモクラシーまでもが怪しくなってきている?

 

問題は、その劣化、衰退があまりにも早く来た、ということです。

おかげで日本もおかしくなっている、という状況でしょう。

 

いま「おかしな」連中によって危機に瀕している日本国憲法の理念は優れたものです。これをしっかり根付かせ、充分に使いこなせていければ、日本の将来はけっこう先のほうまで明るかったと思います。

 

実は大昔にも、日本では「アジア太平洋戦争」敗戦後のような状況があった、と見るのがわたしの「日本史観」なのです。

 

その大昔の「状況・状態」とは何か?

ズバリ、当時の世界帝国・唐によって蘇我氏(=倭の大王家)が滅ぼされたあとの「占領」状態にあった「倭」です。

 

当時も「占領軍」がやってきてこの国の政治全般を取り仕切りました。

この前の「占領時」と同じように、国内には占領軍にしたがってその補佐を行う勢力がありましたが、それが近畿大王家であったアマ氏で、当主は「オオアマ」(=後の天武天皇)です。

 

ここで、もう、従来の「日本史」とは大きく違ってきているので、若干補足しますと、

 

なるほど、天武(=歴史の教科書ではオオアマ皇子)は出てきた。

では「蘇我氏」を滅ぼしたという「天智天皇」(日本書紀では当時は中大兄皇子とされている)はどこに行ったんだい?

と疑問に思われるでしょう。

 

蘇我入鹿を「処刑」し、その父の蘇我蝦夷を攻め滅ぼした「天智天皇」らしき人物はたしかにいます。

しかし、それは中大兄皇子ではありません。「天智天皇」でもありません。

それらの名称は日本書紀など後の歴史書による「すりかえ」によるものです。

(ちなみに○大兄皇子(王子)という名称は(この次に)「大王」になるべき人物につけられた名称ですから、あるいは蘇我入鹿が○大兄皇子(王子)であったかも知れません)

 

ここで「?」となるかもしれませんが、

だいたい、当時まで倭を支配していた蘇我大王家を滅ぼすことのできる勢力がこの国に存在していたでしょうか?

天皇家」も、確立した「中央集権」もなかった時代の事なのです。

天皇に近い存在がいるとしたら、それは蘇我氏の大王です。

 

もちろん、オオアマ=近畿大王家が滅ぼしたわけでもありません。

蘇我氏とアマ氏は仏教信仰で共通の統治理念がありましたし、縁戚関係でも固く結びついていましたから。そして、何より武力面では蘇我氏のほうに主導権がありました。

 

では、そんな倭の大王蘇我氏の当主?(入鹿)とその父(蝦夷)を滅ぼしてしまったのは誰か?

 

もうわかりますよね。

蘇我氏の軍を打ち破って上陸してきた占領軍、つまり「唐」です。

その(占領軍)トップ(のちに天智天皇とされた人物)とナンバー2(トップの最側近=のちの藤原鎌足)によって入鹿は「処刑」、蘇我氏は滅亡させられたのです。

 

ここから先は次回以降で。「歴史」が長くなりそうです。。

 

今日、ここで言っておきたいことは、倭あるいは日本の敗戦後、その占領政策は唐、アメリカともに優れたものでした。

しかし、その後の歴史を見ると(アメリカ占領後の歴史はまだ70年ちょっとですが)、アメリカよりも唐のほうがずっとうまくやった。

何より「当初の理念」を長くこの国に根付かせ、世界的にも高いレベルの政治体制を維持させた、という点では比較にならない。

 

「当時としては最高レベルの政治理念」

を長く維持した日本(=たとえば源頼朝室町幕府徳川家康における貞観政要の重視とか)、

 

しかし今回は、今でも「理想」のはずの「平和」「人権」「民主主義」の理念をあっという間に、踏みにじり、捨て去ろうとしている日本の政権、あるいは捨てさせようとしているアメリカ。

 

これは日本の滅びへの道であるとわたしは見ています。

日本は本当の意味での「再生」「再復興」に失敗しようとしているのです。

 

なんだか結論めいたことを言ってしまいましたが、とりあえず、「日本史観」の見直し、は必要なので、続けます(延々と?(笑))