(26日の日記)
で、「鬱々として楽しまず」。
・・・たまらんなあ・・・。
とまあ、こんな閉塞した気分のときは散歩で気分を変えるにシクナシ。
ということで、27日は半分ピクニックのようなロング散歩に行ってきました。
行き先は有名人なんかも多く眠ることで知られている大きな霊園。日本古来の言葉
で言えば、墓場です。
昼過ぎに出発。目的地まで、てくてく。それなりの距離です。
途中、いろんな人とすれ違ったりするわけですが、何人かの人から胡散臭げな視線を送られたり、交番の前を通るとお巡りさんから「じーっ」と見られたり、なんだかプレッシャーがきつい。わたしの被害妄想かもしれないんですけどね。
とくに小さな子どもを連れたり、自転車に子どもを乗っけている若いお母さんがたの視線が鋭い。
なんだかいやになってくる。こういうのんびり歩きをしているときのわたしはどうも、相当アヤシイ奴に見えるらしい。
「もう結構なトシなんだから緩(ゆる)めてよー」
と思うんですよね。どうもわたしは一見、相当若く見えるらしい。
道で出会う人たちなんて相手をよく見ているわけではないですからね。わたしなんかはぱっと見、20歳くらいは若く見られることがあるようで、以前、初対面の人から若造扱いされたこともあったくらいなんです。
多くの人は若く見られるとうれしいようですが、わたしみたいにぱっと見と、実際の年齢・行動が釣り合わないというのも困りものなのです。
まだ若い者が、年寄りのようにふらふら歩いていたら?・・・そりゃ、怪しいですわな。
「わしは目も耳も口も(?)悪い正真正銘の年寄りじゃー」
と叫びたくなる。
と、ともあれ、こんな境遇のわたしは、近代的なマンション群を見上げて歩いていても、ちっとも楽しくなくて疲労感が増すばかり。
しかし、途中でこんな廃屋が残っていたりすると
なぜか、ほっとします。都内のささやかな「廃墟」。ひとつの「滅び」のあとの安らぎ?いまのわたしはどうやら、こういうものを求めているよう。
それでも、霊園までの道のりはきびしいものでした(笑)
やっと霊園に到着。
やはり、それまでとは違った世界。一気に心が落ち着きます。
でも、やはり人間世界。入り口にこんな看板が
子孫がどこかに行っちゃったり(途絶えたり?)、お金がなくなるとお墓も追い出されちゃうんですね。なかなか永眠の地とはいかないようで・・・
とりあえず、ここにはまたあとで来るとして、霊園を「横断」、坂を下って、道一本隔てたお寺の墓地へ。
ここはわたしがファンである小説家さんのお墓があるんですよね。
芥川龍之介さんのお墓です。右の写真の花と、(よく見えないと思いますが)お菓子は年若いファンがもってきたものでしょうか?以前きたときは手製のカッパのぬいぐるみがおいてありました。
中・高校生くらいの若い人がよく訪れるようです。
わたしは、「先生の書かれた「将軍」をこれから読み返そうと思っています」と心に思って、軽く手を合わせました。
近くには司馬江漢さんのお墓も
江戸時代の有名な画家さんですが、作風同様、お墓もどことなくモダンな感じがします。
古いお墓を「整理?」している場所に立っていた古いお地蔵さん
よく見れば、カラスのフンが・・・
こらあ!!カラス!
今回②に続きます