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3月16日のブログに

安政の大獄」以降起きた、「政治犯」の大量処刑事件を並べましたが、そのすべてに共通する「キーワード」がひとつあるんですね。

 

・・・それは「長州」

 

安政の大獄では、吉田松陰が処刑されるなど「長州」が「やられ」ましたが、それ以後の政治にからむ大量処刑事件では、すべて「やる」側として関わっています。

 

たとえば、「竹橋事件」は公には待遇(給与など)に不満を抱いた近衛兵が起こした反乱とされていますが、実際は西南戦争自由民権運動が深く関わっていて、これを「鎮圧」して、関係者を大量処刑したのは「長州閥」で、山縣有朋はこの事件で明治天皇に「警告」めいたことを言っています。

 

しかし、政治的な大量処刑事件で、今なおわたしたち日本人の脳裏に強烈に残っているのは、1910年におきた「大逆事件」でしょう。

 

これは当時の「無政府主義者」たちが明治天皇暗殺を企てた、ということで、「進歩的知識人」として有名だった幸徳秋水ら12人が絞首刑に処された、というものですが、「首謀者」の2~3名を除いた、他の処刑者たちはまったくの無実だったことが、今では証明されています。

 

しかし、「“爆弾”を投げつけようと計画していた」といわれる人たちは、なんでそんなことを考えたのか?

ナニが彼、彼女をして、そこまで怒らせたのか?

 

もうひとつ納得がいかなかったのですが、

池田浩士・編・解説による『逆徒「大逆事件」の文学』(インパクト出版会)を読んで、「ああ、なるほど、そういうことがあったのか」と、もやもやしたものが少し晴れた気持ちになりました。

 

ここに載せられた「自筆本 魯庵随筆」。

いや、学者さんはやはり凄いわ、と感心しました。

魯庵自身、(当然)公にすることはなく、1979年にはじめて「資料」の一部として刊行されたとのことですが、池田氏国会図書館に収蔵されていた魯庵自筆の「原稿用紙」から拾い出して、丁寧な注釈をつけている。

この「貴重な」史料・文章で、わたしがとりわけ注目したのはこの部分

 

→『・・・シカシ幸徳は ~ 無謀の実行が何の甲斐(かい)ないのを常に人に語っていたそうだ。

ところで、政府側でも幸徳等(など)が危険の言説をなすは一つは恒産(こうさん)が無いからだから、彼らに糧(かて)を与えて他日(たじつ)の禍根(かこん)を絶(た)とうという説を持ち出すものがあって、彼我(ひが)仲間(ちゅうかん)に立つものが斡旋(あっせん)、した結果、幸徳一派を北海道に移住せしむることとし、その資本として七万円※を与えようという議がほぼ決定した。

 

しかるに、これは前内閣(西園寺公望内閣)時代で、あたかも内閣が更迭(こうてつ)するとともに、その相談はオジャンとなって再び新たに相談をヤリ直すこととなった。

 

しかるに、新内閣(桂太郎内閣)は幸徳一派に対して極めて冷酷なる態度であったゆえ、容易にはかどらないので、奥宮などはこれをもどかしがって、政府を威嚇(いかく)して買い急がしむる手段として思いついたのがこのダイナマイトの芝居(しばい)である。まったく芝居であったのだ。

 

宮下等が捕縛(ほばく)されたとき押収(おうしゅう)された連名帖(れんめいちょう)というは、じつは政府から請求(せいきゅう)すべき金子(きんす=おカネ)の割賦(かっぷ)権利者の予定人名表であって、ダイナマイトとはまったく関係ないものだ・・・』

 

※当時の7万円は今日の約1億円くらいでしょうか?経済的に逼迫していた当時の「運動家」にとってはかなり大きな金額ですよね。

 

また、幸徳秋水は重い肺病で「2~3年の余命なのだから、資金を与えて大磯か須磨で余生を送らせてやれ」とも(西園寺内閣時代に)政府部内で話し合われていた、ということも書かれています。

 

ともあれ、これを読むと、「大逆事件」の背景に権力内部の勢力争いがあったことが窺われる。

このころは西園寺公望桂太郎が「交代」で政権についていました。

西園寺のバックには伊藤博文がいて、桂太郎の裏には山縣有朋がいた。桂太郎は「長州」だから、山縣ー桂は100%の長州閥です。

 

そして、大逆事件のときには伊藤博文は暗殺されていて西園寺は大きくその力を削がれていたのです。

 

この「権力争い」は、さらに深い「対立」を含んでいて、この「対立」というのは大雑把にいえば、「官僚派」対「政党派」という、明治以降、現代に至るまで続いている争いなのです。

 

官僚派というのはもとは薩長閥のことです。薩長閥による「有司専制」が現代までも続く「官僚閥」の源なのです。

 

いっぽうの「政党派」というのは「憲法」(大日本国憲法日本国憲法)に依って民間から選出された議員によって政治を行おうとする勢力で、その始めは「自由民権運動」です。

 

この「官僚派」と「政党派」の争いは戦後も続いていて、岸信介佐藤栄作などの官僚派とは一線を画した「党人派」というのが自民党にも(かつては?)存在していました。

 

この問題、けっこう奥が深いですよ。

原敬暗殺事件、犬飼毅暗殺事件、5.15事件、2.26事件とも深く関わってきますから。

 

ともあれ、この『逆徒「大逆事件」の文学』は「自筆本 内田魯庵随筆」だけではなく、大逆事件に関わる(ほんとうに)重要、本質的な文章が集められた、たいへんクオリティの高い「名著」です。

少しでも大逆事件に関心のある人には「必読書」ではないでしょうか?

読めば読むほど新発見があって飽きません。