が、
誤解のないように付け加えれば、わたしはべつに「改憲」の俎上にのって「憲法改正」を議論することを否定しているわけではない。
むしろ、国民の前で公明正大に、おおいに議論するのは、いいことだ、とも考えているのです。
というのは、こういうことがあるんで・・・
日本の改憲を語るとき、よく比較されるのがワイマール憲法とナチスドイツの関係。
日本人のほとんどの人が、ナチスと相容れない民主主義的なワイマール憲法はナチスによって改憲された、と「思い込んで」いる。
ところが、「改憲」したわけではないんですよね。
ナチス政権下でも、ワイマール憲法はそのまま。ただ、ナチス政権がワイマール憲法を無視した、というのが事実なのです。
政権からまったく無視され続けたのですから、ワイマール憲法は“自然消滅”
これは改憲以上にコワイ話ですよねえ。
ところが、いまの自民党政権は「それ=憲法無視」を前提にしてやっている。いわば、ナチスドイツの前例にならった「確信犯」なんですよ。
そう考えると、「憲法」を口に出しているだけ「マシ」
おおいに憲法を議論しましょうよ、というのは現実的な路線だと思います。
いっぽうで、前のブログで述べたとおり、「改憲阻止」の「護憲」にもおおいに意義がある。
要は、ナチズム独裁をどうやって防ぐか?だと思うんですよ。
だから、このふたつの路線を戦略的に使い分けていけばいいんじゃないかと・・・
絶対にやっていけないのは、これを「路線対立」にしないこと。日本の革新派の最大の汚点・病患である内ゲバをそのことによって生じさせることなど、愚の骨頂、ばかの極みです。
あくまでも野党は結束を保ちつつ、このふたつの路線をうまく使い分けて、戦略的に「ナチス的」政治に対峙していただきたい。
国民の立場を第一に考える、という方向で一致できれば、「ナチス的改憲」にも柔軟かつ強靭(きょうじん)に対応していけると思います。
護(まも)ってほしいのは「国民が平和に生きる権利」。これは現行憲法の基本原則でもあるでしょう。
いち庶民として、安心して暮らしていけることを願っています。「護憲」「立憲」の皆様、がんばってくださいね!