何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

【働けざるもの生きるべからず】というナチズムが

“搾取(さくしゅ)の極限化と結びついている”、ということは前回触れましたが、

“これがより強い動機で隠然と内在、進行しているのが日本である”、ようなんですね。

 

それが今まで表面化してこなかったのは「民主主義」に基づく日本国憲法、とりわけ「生存権」を保障した憲法25条の存在があったからでしょう。

もっとも、戦後の日本政治の主流たる財・官・政=コンサバティブ(保守?)体制はこの憲法をまともに守ろうとはしてこなかったわけですが。

 

たとえば、「生存権」に関する国民からの訴えはことごとく政府・裁判所によって退(しりぞ)けられていますからね。

「おまえたち(一般国民)に生存権なんて認めるわけねーだろ。ナチスジャパンをなめるんじゃねー」

とばかりにね(笑ー悲)けっこうあからさまです。

 

で、その「民主主義」を保証しようとした「日本国憲法」をいよいよ葬(ほうむ)ろうとしているのが現在の安倍自民党政権なんですよね。

 

この件に関して、昨日(2/26)の東京新聞夕刊の「論壇・時評」に中島岳志東工大教授の「立憲的改憲論」という論文が載っていたのですが、これは、一連の憲法を無視・破壊した安倍政権という「暴政」を許してしまったことは、日本憲法の「不足=欠陥」によるのではないか?として、

 

日本国憲法をより強化するための「改憲」=「立憲的改憲」を提案したものだと理解しました。

 

一部を引用させていただくと

→『~ 真剣に検討しなければならないのが「長い憲法」への漸進(ざんしん)的移行である。これまで不文律(ふぶんりつ)の合意(ごうい)として共有してきたものを、しっかりと成分化し、明確な歯止めをかける。日本はもうその段階に来ているのではないか。』

『~ で山尾(志桜里・立憲民主党衆院議員)が問題視するのは、日本国憲法の「規律密度」の低さである。日本国憲法は分量が短いため、歯止め機能が不十分である。そのため「~ むしろ行間(ぎょうかん)を恣意(しい)的に歪曲(わいきょく)するタイプの政権に対して、その統制力が弱い」。だから規律密度を高める改正が必要である』

『~対米追随(たいべいついずい)を強化すると同時に、立憲主義や不文律(ふぶんりつ)のルールをないがしろにする安倍内閣は、どう考えても危険である。

国民による歯止めをかけるためには、立憲的改憲地位協定改定をしっかりと議論の俎上(そじょう)にのせるべきではないか。

「護憲」対「改憲」というイデオロギー化した二分法(にぶんほう)を超えた議論が求められている。』

 

う~ん。・・・重要な他の論点を省略してスミマセン(笑)

 

なるほどねえ・・・。たしかに言われていることはごもっとも。正しくかつ的確だと思いましたが・・・

ただ、いまのニッポンの政治状況を見ると、「正論」が正論として採用される?とはとても考えられないんですよねー。

 

従来から護憲派のひとたちが言っているように、「改憲の俎上(そじょう)にのせられることで、ただ「右翼改憲派自民党・維新の党」に利用されるだけではないか?」という危惧が払拭できない。

 

そして、いまの政治状況、国会の状態、日本社会の状態(世論の衰退・弱体化)で改憲して「民主主義」「人権」「平和主義」に基づいた憲法を作ることができるのか?

 

どうしても疑念が残ってしまうのです。

いくら欠陥があるとはいえ、現行の「日本国憲法」が支配者の立場ではなく、基本的に民衆=国民の立場に立ったものである、ことは重要だと思います。

 

今、直面している「憲法」の危機、政権による憲法破壊、憲法無視を許しているのはむしろ国民に責任がある、といえるんですよね。

憲法も日本国民に対して「この憲法はあなたがたにとって大切なものだから、守れ。」というようなことが書かれてある。

 

とにかく安倍(右翼)政権下での改憲を阻止するのか?それとも「対案?」でたいこうするのか?これは難しいもんだいだけれど、とにかく、国民第一で、野党は結束してファシズム憲法破壊に対抗してもらいたいものだと、切望しております。