何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

ほんとうに豊かな国?続き

まだ私が若かったころ、推理小説家の生島治郎さんが若者に向けて「君たちはいいときに生まれて育ち、悪い時代をむかえようとしている」と書いていたことを思い出しましたが、ふりかえってみると、ほんとうにそうだったなあ、と思いますね。

日本の「いい時代」というのは1960年代から1971年頃、高度経済成長時代のことでしょう。わたしは1950年代の生まれですけどね。

日本国民の相対的な経済的豊かさ、生活における幸福度の高さはたぶん1970年から1971年にかけてがピークで、それ以降は下降線をたどり続けている、と考えています。

途中であった‘バブル経済’というのは、下降線過程での‘あだ花’とでもいうもので、短期で終わり、バブルの恩恵を受けていた人たちの多くも「バブルの崩壊」でひどいめにあっていますよね。こんなものは日本人の「幸福度」の問題とも無縁なものでしたでしょう。

しかし、高度経済成長終焉以降の日本の経済界、政治家、官僚といった日本の支配層を構成する人たちが求めるのは常にこの「バブル経済」なんですよね。つまり、支配層の人たちが求めるのは「自分たちの利益」ばかりであって「国民、総体としての幸福度の向上」ではない、ということなんですよ。

不機嫌な、あるいは感情を殺した無表情な顔ばかりになった日本の今の光景を見ていると悲しさがつのります。

それでもまだ、日本は他の多くの国に比べて「豊か」なんだ、「幸福」なんだ、と思っている(思い込んでいる)人は多いのでしょう。

そういえば、まだわたしにも「日本は豊か」だという幻想があったころ、中東アラブの国を旅行した人が現地の人に「日本人はまともに食事をしているのか?」と問われたという話を聞いて驚いたことがありましたっけ。

その国の人が何を根拠にそう問うたのかはわかりませんが、案外、日本の姿は日本人よりも外国の人たちのほうによく見えているのかもしれませんねえ。