何のために生きている?

と問われれば、もっと幸せな人間社会が見たいから

人が宗教や占いにはまるのは不運なとき、

というのが相場ですが、このところ宗教や占いにのめりこみ過ぎているわたしも、たしかに不運というか、調子の良くない状況が続いています。

 

いまは前回のブログで触れた「宿曜占星術」なるものに、プチはまっています(笑)

 

麻原彰晃氏の「星回り?」に少し驚かされましたもんね。

あれで見ると、上川陽子氏が法相になった時点で、麻原氏の運命は極まった、ということだったんだなあ、と、それなりに納得がいきます。

 

ただ、師 - 弟子 - 妻が「壊」だったからといって、それが即「凶」ということではないんですね。

この場合、まったく人間的な交流のなかった「法相」と違って、

師・弟子・妻にとっては麻原氏は「安」。つまり安心してお付き合いのできる良い相性の人で、これを「安」-「壊」の関係というそうです。

 

この宿曜占星術の面白いのは、「相性」ということを考えたとき、「双方にとって良い」「双方にとって悪い」というのではなく「片方にとっては良くないかも知れないが、もう片方にとってはその人は良い相性」ということをいっているところです。

(「相性の悪い相手だから夫婦になる。相性が良い同士の結婚はむしろ珍しい」というのは、奥が深いですねえ・・・)

 

だから、「安」-「壊」の関係で言えば、「安」に対して「壊」の人は、「折れる」あるいは「従」えばいいわけです。

(自分にとって「壊」の人は、その人にとっては(こちらは)「安」になるそうです)

 

そこから見ると、麻原氏にとって「師」であるダライラマ十四世との関係は問題なく、「壊」である妻との関係も、「安」である自分(麻原氏)が「折れれば」、うまくいくわけです。

 

ただ、「弟子」である井上氏との関係は、やや難しいものがあったと思いますね。

それでも長年うまくいって、双方にプラスであったように見えるはの、おそらく麻原氏が弟子に対して一歩譲るとか、持ち上げてあげる、という努力をしていたからではないでしょうか?

 

最後の最後で、井上氏の麻原氏に対する「運の力の強さ=優位」が出て、その関係のバランスが崩れた、ということだったのかもしれません。

 

特大級の「不運」は「(不運を)みんなまとめた」かのように襲って来ますからねえ。

 

わたしにもこれまでの人生で一度だけ(何度もあっちゃたまらない)そんな「特大級不運」のときがありました・・・、

 

わずか2ヶ月くらいの間の出来事だったのですが、

可愛がっていた外ネコ(いちおうわたしの飼い猫。性格のいいオスでした)が何者かに切り刻まれるような死に方をしたのを皮切りに、住居トラブルで次の住居も決まらないまま住居を出ることになり(ビジネスホテルなどを転々)、そんな半ホームレス状態のときに母と二人の兄が亡くなり、仕事上の事で警察に引っぱられました(しばしの留置場暮らしで、兄二人の葬儀には出席できませんでした)。

 

当時、身体だけは頑健そのもので、命は亡くしませんでしたが、精神的には打ちのめされ、

一生に一度(?死ぬのを不運というなら、一生に二度かな?)の、まったく身動きのできない、なすすべもない、特大級不運のオソロシサは骨の髄まで沁みました。

 

そのころのわたしは生活が乱れ気味で、行いも感心できるものではなかったので、それが「超不運」を招き寄せたのかな?とも思いますが、

じつは、若い頃、ひやかし感覚で街頭の占い師さん(30歳代くらいの女性)に運勢を見てもらったとき、「その年代」での「大破滅」を指摘されていました。

 

そのとき、その占い師さんは「ハッ」という顔をして、暗い表情でそのことを言ったのですが、「破滅」があるということを指摘しただけで、それを防ぐにはどうすればよいか?などのアドバイスは無し、というか

「避けえぬ運命」というという感じだったんですけど、それじゃあ、占いが当たってもどうにもならない(悲)

 

その不運がやってきて、しばらくたったあとでその「占い」を思い出したのですが、なるほど、当たる「占い」というのもあるんだな、と思いました。

 

そういうことがあるから、

インチキ、詐欺師の「占い師」というのも出てくるんですね。

高額な占い料を要求したり、高価な「災難よけ」グッズを買わせようとするような人は要注意だと思います。

わたしが「たしかに中(あた)った」と実感した唯一の占い師さんであるその女性の「見料」は3000円ポッキリでした。

 

それにしても、「解脱者」「超能力者」といわれていた麻原彰晃氏でさえ?避けることのできなかった「不運」、「運命」とは恐ろしいものです。

 

「どうすりゃいいの?」

って話し。

で、そこに(麻原氏を尻目に?)「宗教」がやってくるんですよねえ(笑)

 

人の不運と宗教は表裏一体のようにも見えます。

 

不運に対する考え方、対処のしかたにはそれぞれの宗教によって違いがあると思いますが、

この「不運」の問題を教義の中心にすえて、「宿命転換」ということを言っている宗派が日本にはあるようで、創価学会顕正会といった日蓮正宗系の「教団」はとくにそのことを強調しているように思います。

 

この「不運からの脱却」「宿命転換?」という「教義?」を教団の中心に据えることは、教団の拡大には大きな力となり、実際、創価学会顕正会などの「宿命転換」をいう教団は勢いもあり、結束も強いようです。

 

ただ、「宿命転換」とはいうものの、それは「タイヘンなこと」だと思うんですけどねえ(外部の者がこんなこと言うと怒られるかな?(笑))

「特大不運にやられた」経験のあるわたしには、なかなか理解し難いというか、承服し難い(笑)話しではあります。

 

それでも、「宿命転換」というか、それに限らず、「宗教」を信じることによって救われた、という人が多いのも事実です。

だから、わたしは「宗教」を一方的に悪者とする考え方には同調しません。

 

わたしの亡くなった父は生前

「自分は無神論無宗教だが(先祖からの宗教を慣習的に継承しているだけ)、宗教を信じている人を悪くは言わない。宗教というのはどこの宗教でも良いことを言って、良いことをしようとしているのだから、尊敬しなくてはいけないんだ」

とわたしに話したことがありますが、

わたしも基本的に父の路線を継承しています(父の話とは関係なく、わたしの考えで)。

 

ただ、戦争の時代を経験した父は生活でも仕事でも、残酷、冷酷というか、厳しい現実を多く体験したために「無神論」になったようですが、わたしは「無宗教」ではあるけれど、「無神論」ではありません。

 

ともあれ、「宿命転換」ということについて、これまでのわたしの人生経験上、「運命」「宿命」は確かに変えることができる、と考えます。

ただ、それは、「お題目をあげる」ということだけではなく、「環境」を変えることによって(「も」と付け加えておきましょう(汗))

 

人間の運命というのは周囲の環境、社会制度、政治などによって大きな影響を受けているわけで、それが変わることによってわたしたち一人ひとりの運命も大きく変わって行くからです。

 

たとえば、もし、資本主義から、共産主義へと政治体制が変わったらどうでしょうか?

私たちの運命、宿命も劇的に変わる、と思いませんか?

そこまで行かなくても、ちょっとした政策の違い=内閣の交代、あるいは政権の交代によってもわたしたちの運命には微妙な違いが生じるでしょう。

 

「環境」に働きかけ、「環境」を変えることによって、わたしたちは「自分の運命」を変えることができる。

いままで「不運」と思っていたものが、じつは「環境」によるものだった。

 

このことを、もっと、わたしたちは考えなくてはいけないと思います。

「ただ、お上の方針で流されているだけでは、不運な人はずっとそのまま」である可能性が強いということです。

そして、それ(大きなものにツブサレルこと)を「運のオソロシサ」と思い込んでいるんですね。

 

現状維持で「不運脱却」「宿命転換」を主張されている宗教団体さんは、「集団の力」でこの社会を乗り越えようとしているようにも見えるのですが、これもまた

そのことによって周囲の)「環境を変えている」ということではないでしょうか?

もちろん、「信仰」ということも大事でしょうが。

 

またまた、とりとめもなく長くなってしまいました。

ともあれ、「宗教」にしろ「占い」にしろ、インチキ詐欺師にはくれぐれもご用心、ということで。

不運なときは、悪いことや悪人も寄って来るんですよ。

ちょっとしたことで「妄信」に陥らないよう、くれぐれも注意してください。

では

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占いは「あたるも八卦あたらぬも八卦」、宗教は「助かることもあれば助からないこともある」

ということで




 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと気分を変えるために散髪して

きました。

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暑いと散髪屋さんに行くのもおっくうで、伸び放題だったのですが、刈ってもらってスッキリ、さっぱり。

夜風にふかれつつ、気持ちよく帰ってきました。

 

つつましくとも、不安や圧迫感なく平和に暮らせれば、庶民は言うことないんですけどね。

 

この国の政、財、官などのエライさんたちはそれを許してはくれないようで・・・

“どうしてそんなことをするのかねえ”というようなことばかりをやってくれます。

 

この夏の、オウム真理教13人処刑も、そんなことのひとつだったでしょう。

 

この13人処刑については、半ば公開処刑気味にテレビなどで、「処刑やっとるぞー」みたいな情報を流しましたが、

 

処刑以後はテレビなどのメディアは、「そんなことあったの?」という感じで13人の処刑に触れることは無くなり、ネットでも、さらなる「事実」の究明、大量処刑への批判などは見ることが少なくなりました。

 

「殺してオシマイ」「国民はおとなしくしてろ。いらないことは考えるな」ではいけないと思うんですけどね。

でも、いまの日本では、こういうことを言うだけで、異端扱い。

エライ国になってしまったものです。

 

ネットでもすっかり少なくなってしまったオウム真理教13人処刑に関する情報ですが、このあいだ検索していると、「占い」によって、処刑された13人の人間関係を「分析」しているサイトを見つけました。

 

「宿曜占星術」なるもので、12人の「弟子?」たちと麻原彰晃松本智津夫)氏の「相性」を見ているのですが、それによると、

12人の弟子たちは一人を除いて、すべて麻原氏とすごく相性がいい。

「こんなに“相性”のいい人たちばかりを集めているのは、驚き」

ということでしたが、ただ一人、この「占星術師さん?」が触れていない人物がいる。

「?」と思ったので、「宿曜占星術」のサイトを点々と「訪問」しながら、この人と麻原氏の「相性」を見ると、

「なるほど」

 

宿曜占星術では「壊」という、下手をすれば自分がぶっ壊されてしまう危険な相手ということでした。

 

・・・麻原氏にとってその「壊」の相手は、側近中の側近だった井上嘉浩氏。

あるサイトによると、

「この壊の相手を「部下」に持つと、特に危険」ということでした。

上司とか同僚が「壊」だと、それほどでもないらしいですが・・・。

 

要は、自分にとって「壊」である人は、自分に対して非常に強い運勢を持っているので、それを「部下」にすると、自分が負けてしまって、「破戒」される恐れがある。ということのようです。

 

たしかに、井上嘉浩氏の「証言」の数々が、麻原氏を追いつめたことは否めないので、この「宿曜占星術」は当たっていた、といえます。

 

それにしても、井上氏が、自分が「証言」を変えれば、すぐにひっくり返せるような「嘘」をいっぱいつき続けたのはなぜか?

このあたりが、理解できないのですが、それなりの「思惑」が井上氏にあったことは間違いないと思います。

しかし、井上氏が麻原氏に対して「壊」であったため、その「思惑」も「凶」となってしまった、ということではないかと、わたしは想像するのですが・・・

 

ちなみに、この「宿曜占星術」というのは、日本では弘法大師空海が中国から持ち帰った「宿曜経」によって始まったもので、「密教占星術」ともいうようです。

 

この井上氏の持っていた、麻原氏(「井宿」)に対する「壊」の「宿」は「軫宿」(しんしゅく)といいます。

全部で27ある「宿」の一つです。

 

「う~ん、麻原氏に対して「壊」の人ねえ」

ということで、   「あの人」

処刑命令を出した上川陽子法相の「宿」を調べてみると・・・・ナント!

「軫宿」!  でした

 

さすがに「ゲッ」と思いましたねえ。わたしは正直、占いはあまり信用していないものですから。

これ、27宿あるうちの一つですから、「証言」の井上氏と処刑命令の上川氏が同じ「軫宿」というのはかなりの確率というか、不思議な符合ではないでしょうか?」

 

こうなると、少しハマッて、それ以外の麻原氏関係の人たちの「宿」をいくつか調べてしまいました。

 

すると、驚く人が「軫宿」でした。

それは、麻原氏が「師」と仰ぐ、ダライラマ十四世。

 

ダライラマ十四世が、チベット仏教を日本に導入しようとした麻原氏の事件に関して、どこか「縛られた」ような感じで、影響力を発揮できなかったように見えたのは、そのためでしょうか?

(しかも、麻原氏たち7人の処刑日はダライラマ十四世の誕生日でした)

 

あと、麻原氏の夫人も「軫宿」。

ただ、こちらのほうは、「壊」との相手との結婚は多い、ということなので、特別どうということはないのでしょう。

宿曜占星術から見ると、互いの結婚相手は「凶」であることのほうが圧倒的に多くて、「吉」同士の結婚は少ない、ということらしいですから。(相性が「凶」だから結婚する?)

 

しかし、27の「宿」があるのに、

最重要の「弟子」と、最大の「師」と、妻がすべて「軫宿」。

そして、処刑命令を出した法相も「軫宿」

 

これでは・・・

麻原氏の「破滅」は「運命」としか言いようがない?

 

背筋に冷たいものを感じます。

 

しかし、よしんば、麻原氏の「破滅」が逃れえぬ?運命だったとしても、麻原氏の弟子たち12人の処刑は、やってはいけないものだったと思いますね。

 

これをやった政府関係者の「罪」は軽くない、とわたしは思います。

まあ、こんなことを書いたら、「抹殺」に近い扱いを受けるのかもしれませんが。

・・・いまの政府、安倍政権は恐ろしく「罪深い」政府・政権であるようにわたしには思われます。

歴史を遡ってみても、日本における国家レベルでのこのような政権は珍しい、というか、「無い」。

 

・・・それにしても、どうしてここまで、国民の生活と命をないがしろにするようなことをやり続けるんですかねえ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オウム真理教とは縁もゆかりもない

わたしが、なんでこんなにオウム真理教の人たち13人の処刑にこだわるのか?

 

考えれば不思議ですが、どうにも、処刑された人たちのことが頭から離れないんですね。

 

13人の霊がまだこの世の近くにいて、そのことをわたしの乏しい霊感が感じ取っているからでしょうかね?

「霊感度フツー」程度のわたしがこういうのもなんですが、彼ら、「悪霊」ではないんですね。むしろ、「善霊」的なものを感じます。

・・・素人が独断でこんな判断をするのは危険だといわれますが・・・「悪いもの」は感じとれないですねえ。

(「そこ」にいるような???でも恐ろしくはないような???)

 

そういうこともあってなのか、彼ら13人の処刑が「冤罪」によるものであった、という確信が日に日に強くなっています。

 

歴史を見ると、日本という国は、権力者が多くの無実の人たちを死に追いやった、「冤罪処刑」国家でもあるんですよね。

このオウム真理教13人処刑の前の大量処刑は明治末期の大逆事件(12人処刑)でしたが、こちらも権力の「都合」による「冤罪処刑」でした。

 

ところで、

松本智津夫氏の遺骨に関して、彼の四女の後見人になっている弁護士さんが、

「遺骨はパウダー状にして海に散骨したい」

というようなことをおっしゃっていました。

 

どういう意図で言われたのかはわかりませんが、そのことを聞いたとき、わたしの頭には、ふと、「長屋王」のことが浮かびました。

長屋王」というのは、天武天皇の長男である高市皇子のさらに長男という、天武天皇直系の人で、8世紀の始めころの日本政界のトップ、天皇に次ぐ位置にいた人です。

 

これほどの位置にいた人でも、「冤罪」攻撃をかけられるとひとたまりもなかったんですね。

長屋王が仏教左道を使って天皇を呪殺しようとしている」

という「密告」によって、あっというまに滅ぼされてしまいました。

 

この「密告」については、日本書紀の後継「正史」である続日本記が「誣告(ぶこく)」としていますから、国も認めた冤罪であったわけです。

 

この冤罪事件の黒幕は藤原不比等の子どもたちである「藤原四兄弟」。

長屋王滅亡の後、長屋王に変わって政界のトップの地位についたのは四兄弟の一人である藤原武智麻呂でした。

 

なぜ、ここで長屋王のことが頭に浮かんだかというと、殺された(自害した?)長屋王の骨が、やはり焼かれて砕かれたあと、海に撒かれた、という伝説?があるからです。

 

このとき、遺灰が土佐の海岸に流れ着き、土佐に疫病が蔓延した、という話しが残っています。

(権力争いに関係のない庶民には迷惑なはなしですが、「国」のケガレのとばっちりを食った、ということでしょうか?

じつは今回のオウム真理教の件についても、わたしは「いやな感じ」がしています)

 

長屋王の変」の八年後には、事件の黒幕であった藤原四兄弟天然痘によって一年のうちにすべて死に、「長屋王の祟り」がいわれました。

 

天智天皇(高宗) - 藤原鎌足(王文度)の関係から始まった「藤原氏」ですが、天武ー持統系の血統の天皇が続いている間は、けっこう苦労の連続でした。

権勢を誇った、武智麻呂の息子、藤原仲麻呂称徳天皇によって滅ぼされています。

 

しかし、称徳天皇の死後、皇位継承権の無かった天智系の大納言を天皇にするクーデターに成功(光仁天皇)。

その際、天武ー持統系の血統は断たれます。

(ここで、(この後ずっと続く)天智系天皇藤原氏の体制が確立します)

 

称徳天皇の姉妹とその子どもたちも殺されてしまいますが、藤原氏がその(隠然たる)「処刑」理由にあげたのが、「呪殺」(をしようとした)。

もちろん「冤罪」です。

光仁天皇の「格上の」正妻であった井上親王とその息子の親王(どちらも父親と違って皇位継承権があった)も「光仁天皇」を呪殺しようとしたとして「逮捕」、暗殺されてしまいます。

(自分の正妻と実の子どもを殺させたという点では、徳川家康の先輩ともいえるお方ですね)

 

このように、「呪殺」を理由とした冤罪作りは、このころの藤原氏のお得意技と言って良く、非常に効力を発揮しましたが、いまここであげた「冤罪犠牲者」の人たちが、すべて熱心な仏教徒だったということは、注目に値します。

 

仏教による呪殺。

ありえないようでいて、案外、あるんですねこれが。

 

オウム事件に戻って、

わたしが不思議に思っているのは、オウム事件でしきりに言われた「ポア」って「呪殺」のことじゃないか?ということ。

 

オウム真理教チベット仏教の影響が大きいようですけど、チベット仏教でいう「ポア」は「神」に祈ることによって、「悪人」を文殊菩薩の浄土に送り届けること、のよう。

 

この素人のわたしにさえわかることが、ヨガやチベット仏教のプロ?であるオウム真理教の人たちにわかっていなかったはずはないんじゃないでしょうか?

なんで、「呪殺」を試みずに、「毒物(ガス)」なんて撒いたの?って話しですよ。昔のチベットでも「毒殺」は最低の行為、とされていたんじゃなかったっけ?

 

その(宗教的な)面からも、不思議な事件としかいいようがないですね。

チベットでも「呪殺」は良くないこととされ、ずいぶん前から禁止されているようですが、だからといって「毒薬(ガス)」はないんじゃないですかねえ???)

 

ちなみに「呪殺」といえば、日本では不動明王の姿を思い浮かべる人が多いようですが、「呪殺」で祈る「神」は日本では「大威徳天」であるようです。

「大威徳天」は日本では水牛に乗った姿で描かれますが、本場?チベットでは、頭自体が水牛です

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この大威徳天に祈る(ってポアする)ための「修行」はとても仏教徒は思えない、「特殊な性交」等、「破戒」の限りを尽くした、すさまじくもおぞましいものであるようです。

 

このあたり、「性と呪殺の密教 - 怪僧ドルジェタクの闇と光」(正木晃・著)に詳しいようです。(また読んでみます)

 

「呪殺」といえば、(宗教屋さんではない)日本のお坊さんも、公害をふりまいたり、放射能を撒き散らしたりしている資本家や権力者さんに対する「呪殺」のパフォーマンスをやっておられましたが、

本来、本格的な「呪殺」からみれば、あれは「戒め」「お叱り」みたいなもので、お坊さんの一種のジョークといっていいんじゃないでしょうか?

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ともかく、いましばらくはオウム真理教の13人の処刑(そのほかの冤罪処刑)のことから頭が離れないようです。

(彼らの四十九日くらいまで?)

 

ともかく、事件の「犠牲者」、処刑された人たちの冥福と成仏を祈りつつ

 

ここは

【南無シャカムニ仏】

ということで

(大威徳天のマントラ?は、聞いていても少しコワイです(笑))

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今回のオウム真理教の開祖と幹部、13人の処刑

は日本人の「宗教観」「国家観」を鋭く問うものになりましたが、

 

わたしにおいては、それ以前というか、

「日本人とは何か?」という疑問が濃霧のように思考を覆ってしまって、有効な考えひとつ見出せないまま、空回りする歯車状態。

 

確かにあるのは「不吉な思い」と「不安感」だけ。

ちょっとやばい状態に陥らされています。

 

「日本人とは何か?」と問うたとき、今のわたしの頭に浮かぶのは、具体的な言葉ではなく、「強い日光に照らされた雪」というイメージなんですよね。

あるいは「地上に積もった真夏の雪」

 

やがて「蒸発」するか「溶けて」無くなる運命。

 

今回の事で、わたしには「政権=政府」も「国会議員」も「官僚」(←司法・立法・行政)も「財界人」も「マスコミ人」も、つまり、私たちを「支配」しているものが、わたしのイメージしていた日本人とはまったく「違うもの」だということがはっきりと認識できました。

 

まあ、わたしら庶民がどうすることもできないことですが。

カネと権力と虚栄、私利私欲のエゴイズムによってわれわれは滅んで行くわけですよ。

 

これが、近代・現代の日本人が自ずから選んだ「形態」であるとするならば、それも仕方の無いこと、なんでしょう。

べつにどこの国が悪いとか、そういう問題じゃないと思いますよ。

 

支配層は自分たちだけは生き残ろうと必死なんでしょうけど。

 

庶民も私利私欲、エゴイズムの塊ですからね。

歯止めはないですわ(笑)

 

濃霧に加えて日も落ちて(夕方から夜へ?)真っ暗け。

やがては帰る家もなくなるんでしょうか?

 

オウム真理教かあ・・・

欠陥だらけだったからこうなった、ということもあるんでしょうが、

(組織論、運動論。100%宗教で政治改革を目指したところにすでに無理があったというべきでしょう。「自分たちがやる」というより、「(政治に)大きな影響を与える」ことを目指すべきだった、とわたしは思います)

 

それでも、麻原彰晃氏が「資本主義でも社会主義でもない宗教による国家」を目指す、とあえて言い切ったところは、(大きな意味での)現実無視のきらいはあるといえ、立派な根源的問題提起だったと思いますよ。

 

資本主義も社会主義も人間を幸福にする、している、とはいえないですからね。

 

彼らはおそらく「仏教国家」を目指していたのでしょうが、現代の知識に基づいて、キリスト教の要素も大きく取り入れようとしていたように思えます。

 

それにしても、そういう人たちに対する、限りなく冤罪に近い(陥れられた?)13人の処刑。

よくこんなことができるものです。

われわれから見れば、まさにキ○ガイの所業としか思えません。

 

(いまの安倍首相、上川法相をはじめとした政権関係者=閣僚・官僚(同類の人たち)はみんなサイコパス(精神病質者)やソシオパス(社会病質者)だといわれていますよね。

←カネ、権力、利権、虚栄の世界に生きるには適したパーソナリティ?)

 

せめて庶民の中にひとりでも多く「正気」の人たちが存在するよう祈るばかりです。

 

・・・「仏教国家」といえば、天武天皇持統天皇聖武天皇称徳天皇たちが目指した体制で、その方針の大本にあったのは唐の武后の方針です。

f:id:hibi333zakkan:20180730033520j:plainこの人がたぶんそうですね(武后)

唐では太宗が「仏教に基づく国家は失敗する」として仏教国家を否定していましたが、武后はあくまで仏教国家を目指し、「先道仏後(=仏教より道教の法が上)」の唐の方針を覆し、「先仏道後」のために自ずから「皇帝」になりました。

 

その方針を受け継いだのが、天武・持統・聖武・称徳といった「武后系」の天皇だったわけです。(天武天皇は「出家」したほどの仏教信者。持統天皇は武后の長女)

 

天智(高宗)、藤原鎌足(王文度)は「先道仏後」の国(唐)の方針そのままで「仏教国家」には否定的な立場だったでしょう。

(これは称徳天皇の時代になって、藤原氏との「対決」という決定的な局面を迎えます→称徳天皇の死後、天武・持統系の血統の断絶。以降は天智系の天皇へ)

 

 

(われわれ日本人にとっては、「道」=道教を「神」=神道と言い換えれば、理解しやすいでしょう。つまり、「先神(道)仏(教)後」。明治政府がやったのはまさにこれなのですが、明治政府には仏教否定・弾圧の側面もありました)

 

・・・やはり「歴史」は無意味ではないようです。

気を取り直して、またぼちぼちやっていきます。

 

 

 

 

間違いなく日本史上の大汚点の

ひとつとなるであろうオウム真理教の開祖&信者7人の同日大量処刑、から今日で17日になるわけですが、いまだに嘔吐感に近い不愉快感が抜けきらなくて困っています。

 

今回の安倍晋三自公政権上川陽子法相の所業は世界的に見ても(歴史的に見ても)最悪の部類に入るでしょう。

 

それにしても、この国はいつからこんな国になってしまったのか?

 

「死刑」をとってみても、「日本」はその始め(天武朝~)から否定的な態度で、悪人といえどもその生命を重く見ていました。

 

だから機会があるごとに、「恩赦」「大赦」を発して死刑囚の命を救っていました。

 

とくにそういった恩赦に熱心だったのが持統天皇聖武天皇で、しばしば恩赦を発し、死刑囚のほとんどを救っている、といった状態だったようです。

 

→「~詔(みことのり)したまはく

天下に令して、繋囚(とらへびと)の極刑(しぬるつみ=死刑)は、本罪(もとのつみ)一等(ひとしな)を減(おと)せ。

軽繋(かるきとらへびと)は皆(みな)赦(ゆる)し除(や)めよ」

(=極刑(=死刑)の囚人は本罪一等を減じ(て命を助け)よ。軽罪の囚人はみな釈放せよ)  <持統二年六月の詔>

 

というような内容の記事が「日本書紀」や「続日本記」にはしばしば出てきます。

聖武天皇は「死刑」に際しては三度天皇に報告させていました)

 

この持統天皇聖武天皇の血統は断たれましたが、その後、「平安京」を確立したといわれる嵯峨天皇によって国の制度としての「死刑」は廃止(停止)、それが338年間続きました。

(豪族などの「私刑」としての「殺人(死刑)」は行われていました)

 

そのころは、いまの政府・体制とはまったく違う考え方によっていた、ということがよくわかりますが、これは「仏教」を国の根幹に置いていたからでしょう。

 

天武天皇持統天皇聖武天皇が目指していたのは「仏教国家」です。

この系統の最後の天皇である称徳天皇は、天皇制による支配から「(仏教の)法王」制による支配体制に移行させようとしましたが、藤原氏によって阻まれました。

 

それでも、それ以後の天皇も熱心な仏教徒であり、嵯峨天皇空海最大の庇護者となり、ついには死刑を廃止(停止)したわけです。

 

しかし、当時すでに仏教は世界的に衰退傾向にあり、日本でも「末法思想」が流行り、それを「再興」すべく鎌倉仏教が起きたわけですが、その後は徐々に宗教的な力を失い、「神仏習合」などの制度に頼って、権力に依存するようになって行きます。

 

それでも、代々の日本の支配者は仏教を大切にしてきました。

 

それが、まったく違った「事態」に直面するのが明治政府の行った「廃仏毀釈」です。

このとき、驚くほど抵抗がなかったのは、仏教界全体が権力と結びつき、権力の一翼を担う、「行政教」のような存在になっていたからでしょう。

 

この傾向は今もあまり変わってはいません。

(だから、国家神道とも簡単に結びつくことができるんですね)

 

ま、政府権力・国家体制との関係で悩み苦しむわれわれ庶民にとっては(格差、貧困、生活苦、などなど)、気休めくらいの意味しかないような存在、と見えなくもないですね(笑)

 

しかも、明治以降の日本の「支配体制」の行ってきた「戦争」の数々の結果、いまの日本は「半植民地」のような状態です。

国民も「奴隷化」「家畜化」が進行していて、総フヌケ状態。。

政治家・官僚は「植民地監督官」のようなもの、になっているようです。

 

これじゃ、先行きがおぼつかない、ということで、オウム真理教なんてのが出てきたんじゃないでしょうか?

 

彼らが目指していたのは「仏教の「再興」」であったように見えます。

少なくとも「仏教による」「救済」を唱えていたことは間違いないでしょう。

しかも、かなり本質的な部分での。

 

それが国家・社会(さらにはは植民地宗主国(CIA?))との衝突によっておかしな方向に行った、あるいは行かされた?

ように見えるのは、やはり、その組織、教義に大きなあるいは多くの矛盾があったからではないでしょうか?

 

ただ、わたしは彼ら(処刑された人たち)が「仏教修行者」=「僧」であったことは確かだと思います。

とくに「シヴァ」神にまで行った麻原氏は相当なレベルまで行った修行者ではなかったでしょうか?(社会的な意味ではなくあくまで「個人の修行者」として)

 

それを、幾多の疑惑にフタをしたまま「処刑」した現政権は「異常」だと思います。人間として異様・異常というか、頭に穴が開いているとしか、わたしには思えない、見えないのです。(あるいは動物以下)

 

しかも、仏教の修行者をキリスト教徒の上川陽子法相に処刑させる。

これはどういうことなんですかねえ?

下手をしたら、国内に「宗教的憎悪」を生じさせかねないやり方ですよ?

 

この国、国民をバラバラにして滅ぼそうと考えているんですかね?

少なくとも「建設的」な方向に向かっているとは思えません。

 

ともあれ、明治(とくに明治六年)以降の日本は日本ではない「(変質した)日本」(≠日本)なのです。

基本的人権の尊重、平和主義、民主主義(=日本国憲法の基本原則)を否定すれば、それは完全に日本ではなくなるのです)

そのことを、「歴史」から「証明」していきたいと考えています。

 

ちょっと長い道のりですが。

 

 

 

 

 

 

オウム真理教事件での7人同日

処刑、西日本への集中豪雨、200人以上の犠牲者、と

「何なんだ!?これは」

というしかない「事件」が連発。

 

おかげでブログに手がつきません。

どうなっているんですかね?この国は。こんな災難続きの国は世界を見渡しても、そうないんじゃないでしょうか?

(あの日航機123便の事故からかなあ、日本を繰り返し「災難」が襲うようになったのは・・・)

 

しかも、それらの「事件」「事故」「災害」がすべてといっていいほど「納得」のいかない、

「仕方なかったよね」では済まされない、済ましてはいけないものばかりじゃないでしょうか?

 

はたして

「日本人に対する「神」の怒り」か?

それとも「現代科学を駆使して日本を滅ぼそうとしている陰謀エリート集団の仕業」なのか?

「あるいは・・・?」

 

まあ、こういうことも、現代日本の有様を「歴史」の俎上に乗せることによって、分かってくる部分もあるかと考えています。

この「ブログ」と「日記」で少しずつでもそういう作業をやって、わたしなりに納得のいく結論を得たい、と思います。

 

お暇があれば、わたしの「日記(hibi333zakkan)」と、お仲間ブログである「osantati12345-われら庶民主義」も見ていただければ、幸いです。

 

今は「古代日本史」への思考が一時中断していますので、

今日は、オウム真理教事件で7人を同日処刑した上川陽子法相といまの日本政府について少し考えてみたいと思います。

 

日記にも書きましたが、上川陽子法相はカトリックであるとか。

だから、形としては、クリスチャン=カトリック信者である上川法相がヨガ系仏教集団のオウム真理教の教祖と幹部、計7人を同日処刑したということになるわけです。

 

キリスト教といえば、死刑には否定的で、キリスト教徒の多い国々では死刑を廃止している国がほとんどですので、意外に思ったのですが、よく考えたら、これは「キリスト教徒がキリスト教徒を殺すこと」を否定しているからではないでしょうか?

「汝、殺すなかれ」

ですよ。

 

これはユダヤ教も同じで、

イスラエル死刑廃止国家です。

 

反対に国内で死刑をバンバンやっている印象のあるのは「イスラム教国」「仏教国(とくに日本)」「共産主義国」です。

 

こう考えると、上川法相が一日に7人も処刑できたのは、相手が「仏教徒」だったから、といえるかもしれませんね。

これを「キリスト教シオニズム」といいます?

 

ユダヤ教徒にしてもキリスト教徒にしても、国内の「同胞」に対する「殺人」は否定しても、他国の「異教徒=異邦人(ゴイム)」はせん滅的に殺したりしますからね。

ただ、「シオニズム」というのは「宗教」であれば、多少の差はあれ、どの宗教にもあるものでしょう。

 

イスラム系、仏教系、共産党系の国々では、「同胞」もへったくれもなく国家体制からはみ出せば、抵抗なく処刑しちゃっていますが、それでも「他国」に対してはシオニズムなんですよね)

 

ちなみに、シオニズム云々に関係なく、わたしは「平気で死刑執行」国家は嫌いです。死刑廃止国家はすべて尊敬します。

宗教に関係なく、人間の生命は最も尊重されるべきだと思っていますから。

 

しかし、オウム真理教がここまでの目にあったのは、「世界」と「日本」の状況認識に甘いところがあったからではないでしょうか?

 

この世界に「陰謀論」があることをわたしがはじめて知ったのは、

1995年のオウム事件の際、都内某駅前で、オウム服を着た人からオウム真理教の無実を訴えるパンフレットを(けっこうな量)もらって、それを読んだ時です。

 

部屋に帰って、コーヒーを入れて

「どうせ、くっだらねーこと書いてあるんだろうなー」

なんて思いながらパンフレットを開いたところ

「え?」「ナニ?この世界、この内容」といった感じで、目が引き付けられてしまいました。

それまでわたしの知らなかったことばかりが書かれていて、正直、新鮮というか、そこらへんの本よりずっと面白かったのを憶えています。

 

と言っても、その当時は「凶悪犯罪組織」の「空しい抵抗」くらいの認識でしたけどね。(マスコミとかすごかったから。オウム真理教に同情したら国賊といった感じ)

 

いま言われている「陰謀論」をかなり、というか、ほとんど「先取り」したような内容でしたよ。

 

それなりの「組織(宗教)」として「陰謀論」にのめり込めばどういうことになるか?

(破滅したのは(させられたのは))オウム真理教だけではないですよね?

 

あと、国内でいえば、

「自分たちは「仏教」だから安全だろう」あるいは「国からもある程度受け入れられるだろう」

なんて考えて安心していなかったか?(甘えていなかったか?)

 

日本は「仏教国」ではないんですよね。

その点、他の仏教教団同様、オウム真理教も間違えていた。

 

明治以降のこの国は、政府としては仏教を「否定」した国です。

いったい、明治時代に政府主導で行われた「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」を日本の仏教教団はどう考えている=「総括」しているんですかね?(笑)

 

今も日本政府は仏教信仰を薦めてはいませんよ。

教団にとっては、ただ、日本国憲法の「信教の自由」あるのみ。

 

「優遇」されているように見えるのは、権力者の「利権・利益仲間」として利用し、利用される関係だからですよ。

 

したがって、政府、権力者に逆らえば、すぐに潰されます。

まさにオウム真理教がそれ。

初期の創価学会もやばかったけど、こちらは「時代」がよかったから潰されなかっただけ。いまは他の教団同様の「お仲間」になっちゃっていますね。

(ただ、まだ他の(大多数の)仏教教団より少しマシな印象があるのは「昔」の名残(なごり)?

公明党自民党と訣別すれば、また評価は変わってくると思います(笑))

昔では浄土真宗なども似た経過をたどっていますが、

・・・要は、みんな同じで、時がたてば・・・の世界(笑)

 

最近の新宗教は、最初から権力に擦り寄ろうとするウヨ宗教が多いようです。

 

あと、オウム真理教で気になったのは、キリスト教の要素も取り入れようとしていたように見えることですね。

ただ、その「キリスト教」は仏教的思考での「キリスト教」理解ではなかったかと思います。

それは別に悪いことではないと思うのですが、ただ、仏教的思考(だけ)でキリスト教を理解しようとすると、やはり、どこかに「穴」が生じてしまうように思います。

 

たとえば。「イニシエーション」と称して、アサハラ氏の「血」を飲む、といったような行為(儀式?)があったようですが、

ひょっとして、それはキリストが最後の晩餐で「このワインはわたしの血であり、パンはわたしの肉である」といったことにヒントを得たものかな?と思いましてね。

(仏教で「血」を飲む儀式というのは聞いたことがありません)

 

そのことに関しては、日本きっての碩学だった和辻哲郎氏が考察をしていて、

 

これは「バラバ」というユダヤ教の密議からきていて

Barabbas(バラバ)とはBar Abbasであって、「父の子」を意味する、と。

そして、古代ユダヤ社会においてはこの「父の子」を「犠牲」とする祭りがあったそうです。

そこで、「父の子」は「世界の罪を贖(あがな)うために」殺され、その「父の子」の血と肉にあずかる(を食べる)のが「聖餐(せいさん)」であった、ということです。

 

そしてさらに「古代」ではこの「父と子」を「イエス・バラバ」と言っていたことで、和辻氏はキリストの最後の晩餐におけるキリストの言葉は「この儀式」に基づいているのではないか?と推測されるわけです。

(ただ、わたしの拙い「私見」を言わせていただくと、Barというのは、キリスト教などの神ではなく、「異教」の「偶像崇拝」の神ではないでしょうか?

もしそうだとすれば、「犠牲者の血を飲み、肉を食べる」、「悪魔教」の起源とも考えられるのですが・・・?)

 

ともあれ、麻原氏の残した映像などを見ると、キリスト教の影響も強いようなので、そのあたりが気になった次第です。

 

・・・う~~ん、こう書いていると、きりがないですねえ・・・

次回も、こういった話になるのかな?

早くショックから抜けて、「古代日本」の歴史に戻りたいんですが・・・

 

それにしても、安倍政権、上川法相・・・酷いなんてものではないですよ・・・

 

 

あー、また寝苦しい夜(笑)

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年寄りや障害者、貧者といった社会的弱者を

(経済的)悪者・邪魔者扱いして差別、社会から排除しようとするような最近の日本の政治、社会は、どうにも困ったものですな。

 

歴史を見ても、そういう国は一時的には強国に見えても、長続きした例はありません。

 

「日本」が長続きしてきたのは、「建国」の当初から(実際はともかく)「フォア ザ ピープル」の観念が仕込まれていたからです。

日本書紀」や「続日本記」を見ても、政治は「社会で最も恵まれない階層のものを無視すべきではない」という理念がところどころで述べられています。

 

古代社会の「最弱者」として位置づけられているのが「鰥寡」(かんか)。身寄りの無い老人です。鰥(かん)は男のやもめ、女性のやもめが寡(か)です。

日本書紀や続日本記には、飢饉のときなどにこの鰥寡に米(稲束)を支給した記事がよく載っています。

 

後の徳川家康なども、「「鰥」を基本においた政治をせよ」などと言っています。つまり、社会的弱者をしっかりと支えられるような政治を目指せ、と言っているんですよね。

「鰥」だけになっているのは男のやもめのほうが悲惨だったからでしょう(笑)

ちなみにこの言葉は大塩平八郎が乱を起こす根拠ともなりました。

 

古代から江戸時代までの社会では「鰥寡」が最弱者とされましたが、明治以降、現代にいては「最弱者」の観念、実際はまた違ったものになっているでしょう。

 

しかし、政府やそれに同調するウヨといわれる人たちが、弱者を差別、攻撃して、それがまかり通っているような社会は困ったものです。

明治以降の日本は急速に「短命国家」化しているように思います。

 

明治以前の日本にも人民いじめの「領主」などはかなりいたようですが、

ただ、(国の)支配政権でそこまで悪質なのはなかったようです。

 

この点については、古代の政治状況と明治政権の「関係」に関連して述べたいと思っています。かなり先のほうになりそうですが(笑)

 

ということで、これまでの話を進めたいのですが、いま、ちょっと足をとられているのが「法隆寺」の問題です。

最初は単純に考えていたのですが、少し足を踏み入れると、次から次へと謎と矛盾が出てきて、頭が混乱。すっきりした解決点が見出せません。

 

まず、

f:id:hibi333zakkan:20180705140035j:plain← この人はどなたなんでしょう?

いわずと知れた救世観音ですが。「救世観音」というのは後世につけられた名前で、製作当初は何と呼ばれていたかわからない。

 

一般的には「聖徳太子」の等身大像と言われていますが、わたしには、どうもそうとは思われない。

わたしは聖徳太子=(基本)アマノタリシヒコと考えていますので、

彼の「位置」(倭の大王ではない)、とその性格(仕事では実際的でありつつ、謙虚な仏教信者。インテリ)からして、このような形で自分の「像」を残そうとは思わない、と思うんですよね。

 

また、「聖徳太子の怨念を鎮めるため」などと言われてもいますが、これも「熱心な仏教徒聖徳太子」からは出てこない話です。

 

では「誰か?」

最近強くなった説のようですが、わたしも「蘇我入鹿」ではないか?と思います。

この説に関連して、「聖徳太子蘇我入鹿」なんていう説も出ているようですが、これは明らかに違う。

しかし、この「救世観音」が聖徳太子の「旧住居」といわれる夢殿に安置されているのは事実なので、これも「謎」です。

 

ということで、頭を悩ましつつ至った結論が、

①「法隆寺はもともと蘇我氏のお寺だった」

もしくは、

②「(法隆寺は)蘇我氏、とりわけ非業の死を遂げた蘇我入鹿蘇我蝦夷の慰霊、あるいは怨霊封じのお寺である」

(あるいは①+②)

 

前者はともかく、後者はかなり可能性が高いと考えています。

 

明治まで布でぐるぐる巻きにして封印され、厄除け?のお札まで貼られていたという「救世観音」。

 

あと、法隆寺聖霊会で奉納される舞楽「蘇莫者」(そまくしゃ)も気になります。

f:id:hibi333zakkan:20180705144636j:plain 「白髪」を振り乱して乱舞します。

その横で聖徳太子はひたすら(鎮魂の?)笛を吹き続けます。

 

「蘇莫者」は有名な舞楽で、やはり聖徳太子ゆかりの寺、四天王寺聖霊会でも奉納されます。

 

蘇は蘇我氏の「蘇」、「莫」には「無い」という意味がありますから、「蘇莫者」を「(いまは)無き蘇の者」と考えて、「白髪」から、(滅ぼされた当時)老人であった蘇我蝦夷が「蘇莫者」である、と想定することもできるのではないでしょうか?

 

とすると、法隆寺蘇我入鹿蘇我蝦夷を「慰霊」している、と考えられるわけです。

 

興味深いのは、この「蘇莫者」は「唐楽」ですが、番舞(つがいまい)として高麗楽(こまがく=高麗楽百済楽新羅楽の総称)の「蘇志摩利」(そしまり)がワンセット?で演じられることです。

(番舞というのは別々の演目が左右の舞台で演じられること。この場合、唐楽である「蘇莫者」が左、高麗楽の「蘇志摩利」が右の舞台です)

 

「蘇志摩利」は高天原を追われたスサノオの苦難を現した舞楽です。

 

わたしは、スサノオのモデルを、アマテラス=天照大神つまり武后(武照)によって高天原(=唐の朝廷)を追われた「高宗」と考えているので、

蘇我氏の滅亡を現した??「蘇莫者」と蘇我氏を滅ぼした「(スサノオ=)高宗」の苦難を表現している「蘇志摩利」が番舞になっている・・・などと、いろいろな想像をしてしまうわけです。

 

しかしわたしは、この「聖霊会」における「蘇莫者」に、さらに解けない謎を感じています。

 

まず第一に、聖徳太子の命日に行われる「聖霊会」になぜ、この「蘇莫者」が演じられるのか?

蘇莫者において、聖徳太子は完全に脇役、というか舞台の隅でただ笛を吹き続けるだけです。

主役は明らかに、白髪の老人?

しかも、聖徳太子は「唐冠」を被り、白髪の老人(蘇我蝦夷?)の面は「猿」を現しているのです。(物語からきているということですが)

これで慰霊になるのでしょうか?

 

布でぐるぐる巻きにされ、まともに「供養」されていなかった「救世観音」といい、「ちょっと何かが違うぞ?」

という気がするのですが。

 

また、法隆寺といえば、五重の塔の上に置かれているという「鎌」の「謎」もあります。

「鎌」といえば藤原鎌足をどうしても思い出します。

蘇我氏を実際に滅ぼしたのは鎌足です。

 

この鎌足を思い出させる「鎌」が法隆寺五重の塔の上に置いてある。

 

これは雷除けとして、この五重の塔が建てられたときから置かれているらしい。

雷除けというのは、天智九年に法隆寺が全焼したという記事があって、その原因が落雷であった、というところからきているようです。

 

とすると、「雷」というのは蘇我氏父子の祟り?

 

もうひとつ不思議なことは、日本書紀法隆寺全焼の記事があるのに、その「再建」の記事がまったく無いこと。「続日本記」にもありません。

 

わたしは法隆寺を再建したのは天武天皇だと思いますが、日本書紀はこのほかにも天武天皇の行った大きな「事業」のいくつかをすっぱり切り捨てて書いていないのです。

 

このあたり、日本書紀の製作に大きく関わった藤原不比等の(天武系統への)「ある」意志が感じ取られるのではないか、と思います。

 

ちなみに、蘇莫者でひたすら笛を吹く「聖徳太子」は天武天皇でしょう。聖徳太子には天武天皇のキャラクターが反映している部分もあると思います。

天武天皇のアマ氏と蘇我氏の関係は(縁戚関係などを通じて)密接ではなかったか?と思います。

 

長くなりました。

ほんとうに、法隆寺は謎が多く、かつ深い・・・